壱岐 あぶない唐人神社
「壱岐人と対馬人は、仲がよくない」という話がある。
これは、司馬遼太郎、街道をゆく 13 壱岐・対馬の道の本から来ている。
壱岐は農業主体で、とりわけきめ細かい人間関係が重要だが、対馬は漁業主体で、対人関係が荒っぽいせいだという。
テレビの天気予報では、「壱岐、対馬」と、ひとくくりにしているので、ひと固まり的な感じかなと思っていたが、確かに文化も歴史も違う。
地図を見ても、かなり離れているので、違うのが当然か。
こんな話を聞くと、なんとなく見方が変ってしまう。
仲良し夫婦と思っていたのに、わけ知りの知人から「本当は仮面夫婦よ」とささやかれて 大きく頷いてしまった感がある。
壱岐、印通寺(いんどうじ。又はいんつうじ)浦に行って泊まった旅館のそばに「唐人神 (とうじんがみ)」の神社があった。
ふらりと立ち寄る。
整備されているようにも見えないが、名前に興味がわき鳥居をくぐった。
低い鳥居をくぐったが、正面には普通の細い道が見える。
左手をみれば、なにやらゴミ捨て場のような場所がある。
念の為覗いてみると、祠があった。 町のパンフレットには載っていたが、手入れはされていないようだ。
唐人神 中世の頃、印通寺浦に若い唐人の下半身が流れつき、それを土地の漁師が祀ったという。
後に、夫婦和合、良縁、安産の神になる。
「掃除くらいすれば良いのにな」 そう思って、祠に近ずくとギョッとしてしまう。
祠の横に、大きい男性自身があったからだ。
「ああ、そういう事か」
ここは、男性器や女性器を祀っている神社だったのだ。
回りに女性自身をかたどったものも乱雑に置かれていた。
話しでは聞くが、これだけの量は、初めて見た。
「若い唐人の下半身が流れ着いた」という曰くに納得。
しかし、下半身が流れ着いたのを弔ったという話しも、なんかすごい。
男女の下の病の神様で丑満参りをする人が多いとある。
「若い唐人の下半身」がなぜ、性病の神様になったのだろうか。
流れ着いた人のモノは、祀るほど、立派だったに違いない。
昔読んだ、半村良氏の巨根伝説を思い出した。
漂流外来神
大漁の神様七福神の「えびす様」 本来「えびす」は「夷」、「蛭子」と書き、外来神である。
特に「蛭子」は、ひること読み、水死体の事をいう。
「若い唐人の下半身」も漂流外来神として扱ったのであろう。
男性器、女性器を祭るのは子孫繁栄の祈願である。 農業地域にはよくあるので、壱岐が対馬と違って、農業国だったことが、再認識される。
また、遣唐使や遣隋使で賑わっていた街である。室町時代には倭寇の根拠地の一つでもあった。
「若い唐人の下半身」を祀るのも、ありえるか・・。
理由もなく、納得してしまう。
ちょっと写真を掲載するのをためらったが、載せる事にする。
これもまた、文化である。
2020/3/16 加筆