神道は宗教か 日本人の根源を探る

神道は宗教ではないという一文を何処かのサイトで読んだ覚えがある。

その時は、そうかもねって思ったくらいだが、最近また気になり始めた。

天照大神


ネットでそのあたりのHPを探してみた。

宮司の論文 「神道」は宗教ではありません。
http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2010-05-30

このページにはその根拠を書いてあったので、抜粋させて頂く。

①教祖がいない。
②教典がない。
③布教活動をしない。

なるほどと思う。

確かに世界の宗教の定義から外れるのは確かである。


私たちは、単純に神道と言っているが、日本人が、すべて同じ神様を信じているのか不明な事に気がついた。

例えば、私たちは、何事か慶事があった時神社へ行く。

初詣、宮参り、七五三などの時だ。

近所の神社へ行くこともあるし、大きい神社へ行くこともある。

だけどお参りに行っている神社に祀られている神様は、皆違うことのほうが多い。

全てが神道の大御所、アマテラスだけではない。実に様々である。

まあ八百万の神というくらいだから、当然といえば当然だが、これって実は不思議な事ではないだろうか。


例えばキリスト教だが、すべての教会にはキリストがいる。一神教だから当たり前だとおしかりを受ける事かもしれない。

しかし、日本では神道というくくりにいる神様である。天照大神とお稲荷さんが、ある意味同列で信仰の対象になっている。

こんなアバウトな宗教は日本だけに存在しているのかもしれない。

仏教と神道の違いは、お参りに行って柏手を打つか、打たないかだけがその分かれ目になっている(単純すぎるか)。

これも又、実にゆるい判別である。

もちろん宗教者の人たちは厳格な違いがある。私が言っているのは、信者である庶民の人たちの対応なのである。

私達が行うのは適当で簡単な儀式だけなのだが、仏教や神道を軽く思ってはいないことは確かである。

日本人は、なぜキリスト教に染まらなかったのか

フランシスコ・ザビエル


もう一つの命題がある。日本人は、なぜキリスト教に染まらなかったのか。

その答えは明白だ。世界中にキリスト教が広まったのは、キリスト教を信じる西洋の人達が、世界中を征服したからである。

そして日本人は西洋に屈服しなかったからである。

確かに、大東亜戦争で日本はてひどい敗戦を味わった。しかしその戦いぶりの勇猛さで、強圧的な占領を西洋はしなかった。

アメリカ軍による占領は、ある意味日本人に甘かった。様々な制約を敷いてきたが、神道の大本、天皇を排除できなかった。

そう、天皇こそ日本人神道の象徴だったからである。


天皇家の宗教、神道は穢を嫌い、ひたすら祈る。それだけである。それは日本人の宗教心の根源だろう。

しかし、それだけでは不十分だった。神道には救いや慈悲がなかったからである。

その為、日本人は仏教を取り入れたのだ。

その2重構造は一枚岩の一神教より、柔軟さがあり、時により強固な精神性を持つことが出来る、世界に類のない最新の力学を持ったのだった。

神道の種類

調べてみれば、神道にも多くの種類がある。


皇室神道(=宮中祭祀)
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の神道。
天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上する大祭と、掌典長(掌典職)らが祭典を行い、天皇が拝礼する小祭がある。

いわゆる「宮中のご公務」と云われる事である。これが神道の種類に入っているということが初めて知った。


神社神道
神社を中心に、氏子・崇敬者などによる組織によっておこなわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である。

これが一般的な神道といわれている。


民俗神道
民間神道ともいう。民間でおこなわれてきた信仰行事をいう。道祖神・田の神・山の神・竈神など。修験道や密教や仏教、あるいは道教の思想と習合している場合も多い。いざなぎ流なども入る。

民間の神道で色々混ざっているらしい。

それ以外にも教派神道(神道十三派 天理教・金光教・黒住教など)、国家神道、伊勢神道、伯家神道、吉田神道、山王(日吉(ひえ))神道、両部神道、吉川神道、垂加神道、復古神道などがある。

神道の種類より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/junkai4212/20151203/1449116309

キリスト教にしても仏教にしても、様々に枝分かれしているので、神道にしても不思議な事はない。


なぜ神教と呼ばないのか


神道という言葉は、日本製ではなく、中国の『易経』や『晋書』の中にみえる神道は「神(あや)しき道」と言う意味とある。

それが日本に定着した時に日本特有の意味を持つ名前になった。

日本における「神道」という言葉の初見は『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが、このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった。

しかし神道という言葉が定着するにはだいぶ時間がかかっている。

神教ではないのはカリスマの教祖がいないので「教」にはなり得なかった。

中国製ではあるが、「神の道」という日本語読みの意味を勝手にとって独自に展開していったのだろう。

日本人にとって、中国での本当の意味などどうでも良いことだからである。


鬼道は神道

日本古来の宗教ならば、その古さは縄文からだと言わなければならないだろう。

古代の遺跡にも、神殿と呼ばれる棟が存在している。何かを祈っていた証拠である。

その祈りの対象は、自然、祖先だといわれている。

自然と祖先は違うという意見もあるが、人は死ねば土に戻るという人間の生死観はあったはずである。

自然崇拝の中に、祖先崇拝も含まれているというのが正しいと思う。

日本は災害大国である。古代も同じである。自然の災害は因果関係が理解を超えているというか、不明である。

そこで、死者や祖先にその因果関係を求めていたのではないだろうか。

日本の宗教観で特筆すべきなのは、祟り神の存在である。

菅原道真や将門の怨霊など、死者を神として祀ることで災いを避けようとしている。

そのことを思えば、災害や厄災の因果を人の死に求めるのは理屈に合う。

日本人の合理性に合うのだった。

日本古来の信仰といえば、邪馬台国の卑弥呼の鬼道が有名である。

これも中国人が勝手に「鬼道」と呼んでいるのだが、中国で鬼といえば、死者のことである。

とすれば、「鬼道」は祖先崇拝の信仰ではないだろうか。

そして、「鬼道」は大和に受け継がれていき、神道になったと推測される。


日本人は利口で理屈っぽい民族


日本人が一神教にに染まらなかった理由は、日本人の性格だったとしか言えない。

ざっくり日本人の性格をいうのは乱暴だが、日本人が他の宗教と出会った時の反応を見れば、その傾向の一端が伺える。


仏教について言えば、日本人にとって仏とは「蕃神(あだしくにのかみ)」「今来の神(いまきのかみ)」「仏神」として理解されたとある。

つまり、神道の一部と理解していたので、すんなりと受け入れられたと考えられる。

その後も本地垂迹など、現在も神と仏は一体となっている事を思えば、十分理解できる。

それなら、キリスト教はどうだろうか。

あのフランシスコ・ザビエルは、日本での布教に大きな挫折感を持っていたという。

ザビエルは日本人を「もっとも優秀で理性的な国民」であると評価している。

さらに、優秀な宣教師でないと、キリスト教は広まらないと力説していた。

日本のキリスト教の布教に関して、注意しなければならないのがキリシタン大名の存在である。

戦国大名たちは、戦国時代の智慧者の集まりだと言っても良い。頭が悪くてはすぐ滅ぼされてしまうからだ。

その頭のいい大名たちにとって、南蛮の進んだ技術は魅力的だったはずだ。それに加えて南蛮人達と付き合えば貿易による利益も期待できる。

最初に入り口は、好奇心と利益だったと推測される。

さらにイエズス会の宣教方針も「適応主義」と呼ばれ、日本人の生活様式や考え方を尊重した、破格の寛容さで日本を攻略していく。

これにより、日本人もキリスト教に理解を示しだしたのだ。

逆に日本人の能力を軽視したフランシスコ・カブラルが布教長であった時代、ポルトガル人と日本人たちの間で不信感がつのり宣教活動が停滞したという。

この事を考えれば、日本人の性格の一端がわかる。

宣教師にも日本を野蛮人だと思っている人も多く、そのことで反発も持つ日本人も多くいた。

これは日本人が、感情と理屈がより強い国民性だとはいえないだろうか。


一神教の持つ強面の部分。つまり白人至上主義、キリスト教至上主義に、日本人は警戒し、疑りを捨てていなかったのだ。

ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの日本観

ルイス・フロイス

ルイス・フロイスは日本で生涯を終えた、日本通の宣教師である。彼が書いた歴史書はおおく、その本に日本人観が多く書かれている。

我々は二十歳の男でもほとんど剣を帯びない。日本では十二、三歳の少年も刀と脇差を帯びる。

我々の子供は青年になってもまだ使者になれない。日本の子供は十歳でもそれを果たす判断と賢明さにおいて五十歳にも見える。

我々は俗人の教師について読み書きを学ぶ。日本ではすべての子供が僧侶の寺で学習する。


青い目が見た、不可思議な中世日本人。 一部抜粋
http://www.beach.jp/circleboard/ad25106/topic/1100090850328


日本人と西洋人の溝は深くそう簡単に埋められないことに気づいた西洋人の言葉である。


やはり、日本人は上からの押しつけに極端に反応する国民なのだ。キリスト教の伝来の際、日本人はキリスト教を仏教と同じように理解しようとした。

ゼウスを大日と理解しようとしたが、ザビエルが危機感を持って言語を使い布教を始めたという話が残っている。

多分宣教師がいなく、自然とキリスト教が日本に伝わってきたなら、多分日本人はキリスト教も自分たちの宗教に取り込んだだろう。

これは隠れキリシタンと呼ばれる人たちに起こった現象でもあるが、禁教時代、隠れキリシタンの人たちは、信仰を続けたが、次第にキリスト教から離れ、独自の宗教として信仰をしていたという事実から推測される。

長い年月の中でキリスト教の教義などの信仰理解が失われていき、仏教や神道、民俗信仰などとも結びついたり、あるいは地元の殉教者に対する尊崇を精神的な拠り所としつつ、キリシタン信仰当時の聖具からなる御神体や、殉教者が没した聖地などを主要な信仰対象とするものに変化していった。

このため、明治時代以降にキリスト教の信仰が解禁されて再びカトリックの宣教がなされても、地域によっては半数以上のキリシタンは改宗に応じなかった。ウィキペディア抜粋

これが事実である。

日本人の独自性と同化力は強力なのだ。


日本人が外国と戦った歴史は、抵抗の歴史でもある。

聖徳太子の「日のいづる国」の話や、秀吉の朝鮮出兵、大東亜戦争など反アジア、反西洋の思想を貫いている。

大東亜戦争など、キリスト教の国対日本教(神道と仏教)の戦いでもあった。

日本がキリスト教を排除したのは歴史の必然でもあったのだろう。


神道は宗教か

これは多面的な見方が必要である。

日本国憲法では、信教の自由として宗教の存在を認め、保障しているが、定義は書かれていない。

原始宗教は、仏教伝来とともに、対仏教という形で形成されていった経緯がある。

司馬遼太郎氏の本の中にも、仏教の寺院が出来たので、慌てて神道というものが固まり始め、神殿が作られたと書いている。

最初に書いた宗教の定義だが、下記以外にもいろんな定義がある。

教祖がいない。教典がない。布教活動をしない。

これはわかりやすいが、広辞苑の説明では

広辞苑
神または、なんらかの超越的な絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰、行事。又それらの関連的体系。

帰依者は、精神的な共同社会(教団)を営む。原始宗教、民族宗教、世界宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)他、多種多様の宗教がある。

とある。いかにも広辞苑の説明だ。

この定義を適応すれば、教祖がいない、教典がない、布教活動をしない
ということでも、神道はれっきとした宗教である。

日本には各地に、有名な神社がある。

例えば、日本で一番神社が多いといわれる八幡信仰、どこにでもある稲荷信仰、九州ではよくある天神信仰。

これらは、古事記に書かれている神様はほとんど出ていない。まあ無理やり関連付けしている部分もあるが、神道の最高神、天照大神を祀っているのではない。

八幡信仰は八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)を祀る神社で、武士が信仰している。現在の神道では応神天皇(誉田別命)の神霊が祭神とされているが、八幡大菩薩といわれるように、純粋な神様ではなく仏教がしっかりと入っている。

宇佐神社

稲荷さんは稲荷大明神(いなりだいみょうじん)で、五穀をつかさどる神、ウカノミタマを主祭神としているが、ウカノミタマを知らない人も多いだろう。どうも室町時代辺りからウカノミタマを祭神としたようで、とってつけた感が強い。
お稲荷さんは、やはり白いキツネがシンボルで、商業の神様として商売人に圧倒的な支持がある。

天神信仰(てんじんしんこう)は、天神(雷神)に対する信仰のことなのだが、菅原道真を「天神様」といって信仰の対象になっている。

いずれも、アマテラスの天孫系とは別の系譜と言ってもいいだろう。


神道統一を行った人達も多いが、結局「チーム神道」という大きなくくりでまとめたと言ってもいいだろう。


日本人は何者にも縛られない自由な風土を根底に持っている。

もう一度ルイス・フロイスの文章を引用したい。

■我々の子供は青年になってもまだ使者になれない。日本の子供は十歳でもそれを果たす判断と賢明さにおいて五十歳にも見える。

これは、自立の社会である。男子女子も共に、早めに社会に参加していく。

■我々は息子は親の死にともなって相続する。日本では親が息子に財産を渡すために生前非常に早く引退する。

これも又合理的なシステムだ。老人が死ぬまで富を確保するのではなく、富を壮健の者に譲り渡して経済の活性化を図るシステムでとても合理的である。

■我々は、夫婦の間で財産は共有である。日本では各々が自分の分け前を所有しており、時々妻が高利で夫に貸し付けている。

これも又、女性の権利が確立している事の証である。

■我々は、妻を離別することはそれが罪悪であることはともかく、最大の不名誉である。日本では望みのままに幾度でも離別する。そして女性たちは、それによって名誉も結婚する資格も失わない。

■我々は、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の婦人は夫に知らさず自由に行きたいところに行く。

以上2つは、過去の日本が男尊女卑などといった慣習がなかったことの証である。

武士の社会は家制度が完成されており、おおよそ庶民とは違うシステムだった。江戸時代の武士が人口に占める割合は1.5%から10%の間だといわれている。

厳格な家制度を持つ武士は2%未満である。それ以外の庶民は、現在の西洋諸国並みに、個性的な個人主義であり合理的だったのだ。


そんな国民性の中で、画一的な一神教など根付くはずもなかったのだ。


日本人は和を好む。

それは平和主義者だからではない。多くの敵と同盟を結び、仲間として戦ったほうが強いことを本能的に知っているからだ。

それはオオカミが群れを作り、集団で狩りをすることに似ているだろう。

オオカミ


日本人が神教ではなく神道なのは、和を以て貴しとなすという日本人の本能がなせる、生き残りのための究極の選択だったとも言えるだろう。

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