「日ユ同祖論」から見えてくるもの3 

「日ユ同祖論」系ホームページでよく見るのが、広隆寺の「十の善き戒め」である。

この「十の善き戒め」が「モーセの十戒」とよく似ているので、この広隆寺を作った秦氏が「ユダヤの失われた十部族」のひとつ「ミカド族」であるという論法である。

(再度いうが秦氏一族にユダヤ系の人がいるかも知れないというのは否定しない)

広隆寺[十の善き戒め]

1.不殺生(ふせっしょう)

2.不偸盗(ふちゅうとう)

3.不邪淫(ふじゃいん)

4.不妄語(ふもうご)

5.不綺語(ふきご)

6.不悪口(ふあっく)

7.不両舌(ふりょうぜつ)

8.不慳貪(ふけんどん)

9.不瞋恚(ふしんに)

10.不邪見(ふじゃけん)

 

十善戒

引用 京都の旅☆その⑤

http://ameblo.jp/yokkyun-oct/entry-12141122867.html

これは江戸時代後期の徳僧、慈雲尊者によって広く宣揚されたといわれている。

広隆寺は古天皇11年(603年)にたてられたものだから、あまりにも時代が違う。  

十の善き戒めで十戒と連想するのは、ストレートな連想である。

私もそう思う。

ただ、そう思うだけで「モーセの十戒」が、仏教と絶対相容れないものがある。  

それは、宗教のあり方である。

 

「モーセの十戒」

・主が唯一の神であること

・偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止

・神の名をみだりに唱えてはならないこと ・安息日を守ること

 

この4つは神との約束事である。

もし、広隆寺[十の善き戒め]が「モーセの十戒」をベースにしているなら、この事は省けないはずである。

とくに、偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)に関して、ユダヤ教は絶対的な教義としていたはずだ。

広隆寺には仏像がたくさんあって、お経には仏の名前がさんざん出てくる。

これだけでも、「モーセの十戒」をベースにしているわけがない。      

 

日本の神道との類似点。

色んな文章に類似点を羅列しているのだが、これらは専門家に任せる。

なぜなら私が詳しく知らないからである。

コピペで知ったかぶりは出来るのだが、今回はやめておく。

 

ただ、一つだけいえるのは、日本の神道が絶対神(全知全能の神)をもたない宗教という事だ。

これが、キリスト教系とまったく違うものである。

儀式は色んな時代で影響を受けるので、似通った儀式もあると思うが、この多神教であるという特徴はぶれるはずがない。    

 

エルサレム神殿の菊花紋とダビテの星

エルサレム神殿の門には、天皇家の16弁の菊花紋(菊花紋章後鳥羽天皇に由来)と共通した紋章が刻み込まれているという説

 

古代イスラエル

正直なところ僕には、日本の菊の紋には見えない。

僕はグラフィックデザイナーもやっているので、外側の丸や、真ん中の円の大きさを見れば、菊ではなく、それ以外をモチーフにしていると思う。  

十六一重表菊

十六一重表菊   しかし「シュメール文明」の遺跡の紋は、盛上がっているので、それっぽい。

レリーフなのでそう見えるのかも。

シュメールの菊の御紋。

普通の文様。これはそれほど似ていない。 太陽か、一杯並んでいるので西洋の花がモチーフのようだ。

シュメール  

 

日本の菊花紋は花を図案化したもので、鎌倉時代に後鳥羽上皇が使ったとされている。

エルサレム神殿が出来た年代よりも1000年以上違う。

さらにエルサレムには、デザインの対象の菊という植物がなかったのである

また、エルサレム神殿の紋が、菊の紋だと書いてある文献はない。  

ダビテの星の六芒星が安倍晴明の紋と同じという事もおなじである。

ダビテの星

(ダビテの星) 安倍晴明(五芒星)とダビテの星(六芒星)の年代が大きく違う。

五芒星

 

これ以上いっても見方次第なのでここまでにする。

 

それ以外の説に関して、反論のしようがないものがほとんどである。

「似ている」 「意味が同じ」 「読み方が近い」 など、あーそうかなと思うだけである。

「日ユ同祖論」に関してはこれで終了とする。    

 

しかし、日本には不思議な謎がたくさんあることに気づかされた。

こういう説と自分が書いていることは同一線上にあると自覚している。  

程度問題だという事を肝に銘じたいと思う。

以上。


「日ユ同祖論」から見えてくるもの チベット民族
「日ユ同祖論」から見えてくるもの2 謎の秦氏
「日ユ同祖論」から見えてくるもの3

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