「こけし」と「えびす」

こけしは、江戸時代末期(天保から嘉永期)頃から、東北地方の温泉地において湯治客に土産物として売られるようになった轆轤(ろくろ)挽きの木製の人形玩具。ウィキペディア

こけし

郷土玩具「こけし」が「子消し」という都市伝説がある。

貧しい家の者が生れた子を間引きする。

そんな歴史は世界中にある。

悲しくつらい話しだ。

こけし」が「子消し」というのは、語呂合わせに過ぎない。

「子消し」は1960年代に詩人・松永伍一が創作童話の作中(子消し曼陀羅?)で初めて唱えたとされる。
明確な出典が存在しないため民俗学的には根拠のない俗説とされる。

子を持つ親にしてみれば、鳥肌が立つような俗説である。


古代、こどもがちゃんと育つのが難しかった。

医学もなく食糧事情も悪い時代、子供がちゃんと育つ事はとてもめでたいことだった。

無事に生まれた子供でも、乳幼児のうちに半数は病気にかかり死んでいたという。

赤ちゃん
現代でも、子供の死亡は環境に大きく作用されている。

世界保健統計2015によると、最も新生児死亡率が高い国はアンゴラ(アフリカ南西部)で1000人出産当たり47人(4.7%)、乳児死亡率は107人という数字がある。

日本の新生児死亡率は1000人出産当たり1人(0.1%)、乳児死亡率は1000人出産当たり2人(0.2%)。

医学の進歩のおかげである。


貧しさ故の堕胎や間引きの歴史は現実にある。

「七才までは神の内」という言葉がある。間引きの免罪符となっている悲しい言葉だ。

「とうりゃんせ」の童謡でも「この子の七つのお祝いに」という歌詞がある。

子供の成長が大変だったという証である。

死亡した胎児のことを水子という。

水子という名は生まれて間もなく海に流された日本神話の神・水蛭子(ヒルコ)よりつけられたという。

水蛭子(ヒルコ)は『古事記』において国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神である。


不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。

枚岡神社の「葦船奉納神事」

枚岡神社の「葦船奉納神事」

ブログ版『大和川水紀行』 http://fuji-u.blog.so-net.ne.jp/2013-06-09


第一子が奇形だったという話しは、ギリシャ神話にもある。

ゼウスの後妻ヘーラーが産んだ子が、両足の曲がった醜い奇形児であったという。これに怒ったヘーラーは、生まれたばかりのわが子を天から海に投げ落とした。その後、ヘーパイストスは海の女神テティスとエウリュノメーに拾われ、9年の間育てられた後、天に帰ったという。ウィキペディア

ヘーパイストス

日本神話とギリシャ神話はよく似ているといわれているが、こんな所に原因がある。

ともに海に流されてしまうのだが水蛭子(ヒルコ)は、陸に流れ着いて神になったという。


蛭子(ヒルコ)とかいて「えびす」とも読む。

現在活躍している漫画家、長崎の蛭子能収さんの「えびす」である。

「えびす」は日本古来の福の神である。

大国主命(大黒さん)の子である事代主神とされることが多い。

また、外来の神や渡来の神の事を「えびす」という。

渡来の神は蕃神(ばんしん)ともいい、外から入り込んできた後に定着し信仰の対象とされるようになってきている神を指していうとある。

なんと「仏」を「蕃神」(トナリノクニノカミ-隣の国の神)と呼ぶなどしていた。


いろいろ説があるが、海からたどり着いた神様というのは共通している。

また異邦の者を意味する「戎」や「夷」も「えびす」である。


日本の神話では蛭子命は海に流される。

しかし福の神「えびす」となって流れ着いたという話しが自然と出来上がったという。


日本は海の国である。

海岸には様々なものが打ち上げられる。

最近行った長崎県壱岐の唐人神社も、中世の頃、この地に唐人の下半身が流れ着いたのを、地元の漁師が拾い上げて丁寧に成仏するようにと祀ったのが始まりとされる。

唐人神社 撮影Artworks

唐人神社 撮影Artworks

神社といっても社はなく、男根や女性自身を祭っている下の神様とされている。

海からたどり着いたクジラを「えびす」という地域もある。


色んなものが混ざって海の神、福の神、商売の神様になった。


蛭子(ヒルコ)神と「えびす」神はいつの間にか同じとなり、蛭子(ヒルコ)とかいて「えびす」と読むようになったのである。


「こけし」の都市伝説の正嘘を声だかにいうつもりはない。

何らかの事情で子供をなくした母親が、かわいい「こけし」や「人形」を集めるのは心のなせることである。

賽の河原で獄卒に責められる子供を守る地蔵さんに、赤いよだれかけをつけて手を合わせるのも同じである。

地蔵菩薩

地蔵菩薩


私には、生れてすぐに死んだ「姉」がいたという。

母は時折思い出したようにその話しをする。

眉毛がすっとしていて、美人の赤ちゃんだったという。

80才過ぎている母親が遠くを見る目つきで、時々ぽつりと話す。

母親の悲しみは推し量れないが、子をなくした母親の悲しみは万国共通だろう。

私は「こけし」を「子消し」という話しは好きではない。

生理的な嫌悪感がある。

そして「水子供養」などといって金を巻き上げるインチキ宗教は虫ずが走る。


なにはともあれ、子供がすくすくと成長する社会を大人がちゃんと作らないとダメである。

すべて、大人の責任なのだ。

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