住吉の恵比寿様
長崎の住吉電停前の中園街アーケードがある。
ジョイフルサン、ダイソー、みどり薬局、ローソンなどがあり人通りが絶えない場所である。
その一角に恵比寿様が祭られている。
供えられている花も、何時も新しいので誰かお世話をしていると思われる。
何の不思議もなさそうだが、この場所に恵比寿様があるのが実は不思議である。
他の神様なら気に留めなかったのだが、恵比寿様である。
恵比寿様は港など海に直面している場所にあるものだ。
恵比寿という字は当て字である。
夷、戎、胡、蛭子、蝦夷 と書く
本来は外来の神や渡来の神である。
いつの間にか七福神の中に入り福の神といわれる様になった。
また、商売繁盛の神様ともいわれており、平安時代には市場の神と祭った記録もある。
商売繁盛の神様として祭っていたなら、この恵比寿様が中園商店街の一角にあるのは理解できる。
しかし、恵比寿様はすぐ近くにある住吉神社にも祭っているのだ。
住吉神社の恵比寿様は、同居している祐徳稲荷神社の脇に祭られていた。
しかし、記録には住吉まで海が入り組んでいたとは書いていないのだ。
「かつて浦上川は今の大橋付近から下流部は海だったといわれ、“深江浦”と呼ばれていました。江戸初期に現在の川口町、浜口町付近が河口となっていたようです」
もしかしたら、海ではなく川だったのかも知れない。
長崎は埋め立てが早くから進んでいて、江戸時代にはかなり埋め立てが進んでいた。
古地図を見ると、確かに大橋付近が海岸になっているが、形が人工的で埋め立てられて作られた海岸と思われる。
伊能忠敬の地図
浦上川のポストカード
江戸時代の伊能忠敬による測量の資料に
時津街道(西坂から時津)
平宗川は巾六間(11m)
という記述がある。
滑石1丁目付近に平宗という地名があるので、今の岩屋川なのかも知れない。
また、当時の浦上川の流れも描いており、その流れは現在とかなり違っている。
の詳しい地図を見ると、現在の電車の線路が川筋だったと思われる。
今の住吉の電車通りに、11mの川幅がある、大きな川が流れていたということだ。
住吉から赤迫は上り坂である。
人は住吉で船に乗ったのかも知れないし、住吉が船付き場だった可能性もある。
そうすると住吉の恵比寿様も理解できるのだ。