ダビテ像のハート型の瞳の謎をとく。カメラマンだからわかる"理由"
芸術家は、自分に正直である。
すべての芸術家にいえることだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチという天才がいた。
誰もが知るイタリアのルネサンス期を代表する芸術家である。
それともう一人いる。
オールマイティな天才と評価の高いミケランジェロ(1475年-1565年)だ。
その天才ミケランジェロは、どんなモチベーションで彫刻をしたのかという大それた疑問がわいてきた。
ダビテの像
ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。
ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。そして、ルネサンスならではの表現として、瞳が割礼器具のようにハート型に象られていることや、イスラエルの民の証とされる割礼の痕がないことが挙げられる。ウィキペディア
ギリシアの裸
ミケランジェロのダビテ像は、裸である事とペニスが小さいという話題がよく取り上げられている。
裸体の彫刻は古代ギリシャや古代ローマの時代からの伝統である。
ギリシアの裸
ギリシアでは、スポーツは裸で行うものでした。オリンピアの例が挙げられるように、ギリシア中のポリスが集まって行う古代ギリシアの競技会の際にも、選手は裸で競技を行ったのです。
よって、古代ギリシア人にとっては、裸体を表現することは、出自を示したり、自分がいかに文明度が高いかを表明したりすることにつながっていたのです。
http://www.louvre.fr/jp/routes/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%BD%AB%E5%88%BB
古代ギリシャの彫刻もペニス付きの裸像はたくさんある。
そのモチーフは、ヨーロッパ人が理想としている形である。
そして古代ギリシャの彫刻のペニスも控えめである。
古代ギリシャの彫像のペニスが小さい2つの理由
1.彫像のペニスが弛緩した状態であるため。
2.古代ギリシャでは大きなペニスよりも小さなペニスのほうがよいと考えられていた。
歴史学者ケネス・J・ドーヴァー氏の著書「Greek Homosexuality」より
大きなペニスは「愚かさ」「色欲」「醜さ」を連想するものであったため、小さなペニスの方が文化的には価値が置かれていたとのこと。
小さく造ったのではなく、控えめに作ったという事だ。
美しい身体の比率
アルゴス島の彫刻家ポリュクレイトス(前440-430年頃)
美が数の巧みな計算の結果得られるものだと言っています。
彼は、頭部の長さが体全体の7分の1の比率、そして筋肉の付いた体がリラックスした状態の自然な姿勢を表わす、肩と腰が交差して対応する方式について説明しています。
その律動は大きなX字(ギリシア語で「キ」と発音。そこからキアスム、交差配列法と言う言葉が生まれた。)
芸術家は、自分が望むものしか創作をしない。
そしてその芸術品は、制作者の趣味や性癖が大きく影響していることは間違いない。
美しい男性のダビテ像は「理想の男性」である。
あの像を作ったミケランジェロはやはり、同性愛的傾向があったと言われている。
別にゲイが悪いとは思わない。
レオナルド・ダ・ビンチや、ジャン・コクトーもゲイだといわれている。
レオナルド・ダ・ビンチ
イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に顕著な業績と手稿を残し、「万能人 (uomo universale)」 という異名などで親しまれている。ジャン・コクトー(1889年-1963年)
フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った。
ミケランジェロの私生活
弟子で画家、伝記作家のアスカニオ・コンディヴィは禁欲的で、「自分は金持ちなのかもしれないが、つねに質素な暮らしを送っている」と語っている。
食べ物や飲み物に無関心で「楽しむためではなく、単に必要にせまられて」食事をとり、「服を着たままで靴も履いたままで眠り込むことがよくあった」としている。
他人から好かれる性質ではなかった。
「洗練されていない粗野な人柄で、その暮らしぶりは信じられないほどむさ苦しく、そうでなければ彼に師事する者もいたであろうに、結局は後生に弟子を残さなかった」。
本質的に孤独を好む陰鬱な性格で、人付き合いを避けて引き篭もり、周囲にどう思われようと頓着しない人物だった。
ゲイの人にあるようなお洒落さはみじんもなく、かなり浮き世離れの人だと思われる。
ミケランジェロが創作した300以上のソネットとマドリガーレの中で最も長い作品は1532年の、57歳のミケランジェロと出会ったときに23歳前後だったトンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ(男性)に捧げたものである。
ソネット 4行から成るヨーロッパの定型詩。
マドリガーレ イタリア発祥の歌曲形式の名称。
女性にも恋している。
ミケランジェロは60歳ぐらいの時にローマで知り合った、40歳代後半の詩人で貴族階級の未亡人ヴィットリア・コロンナに大きな愛情を抱いた。
ミケランジェロが、ヴィットリアの手にキスをしたことはあったが、頬にキスをしなかったことが生涯唯一の後悔だと語っていたことを記している。
その愛はプラトニック的である。
身なりに構わないという事は、愛されることを求めていないということだろう。
天才の心は計り知れないが、彼の人間への愛は純粋でプラトニックなものだといえるだろう。
さてダビテ像だが、ネットにも多くの情報がある。
若きミケランジェロは人体研究に興味を持ち、18歳ぐらいから人体解剖をやっていた。
解剖はレオナルド・ダヴィンチもやっていたというから、その時代の流れだったのかもしれない。
しかし創作のためとはいえ、その執念は凄まじい。
24歳での制作「ピエタ」で、その力量を遺憾なく発揮させ、鮮烈なデビューを果たし、
26歳の時ダビテ像は大聖堂造営局の依頼により4年の歳月をかけて制作した。
偏屈のミケランジェロは、その若さ故だろうか、様々な思いを彫刻に打ち込んでいる。
名作「ピエタ」のマリアは美しく、キリストの母とは思えない若さをもって表現されている。
「ピエタ」のマリアはミケランジェロの理想の女性を作ったと思われる。
ハート型の瞳の謎
そして「ダビテ像」
ハート型の瞳は大きな謎とされている。
恋愛を意味するハートのマークは18世紀に生まれた概念である。
瞳の中に穴を作る技法は「ぺルタ」と呼ばれ、瞳に明暗と立体感を生み出す技法だが、ハート型のものはダビデ像だけだといわれている。
世界の美術評論家の人が謎としている「一級品の謎」だが、私はカメラマンなのでわかるような気がする。
単純なのだが、ミケランジェロはライティングの効果を実験してみたのではないかと思う。
人物の写真を撮る時に何に一番気を遣うかといえば、ライティングである。
どんな光が当たるのか、いつの時間の光がベストなのかというのを考えるものだ。
目の中を彫り込むというのは、影になる部分の効果を考えてのことだ。
キャッチアイ
もう一つカメラマンが、とても気にすることがある。
それはキャッチアイである。
瞳に映り込む光のことである。
これがあるとないとでは、表情がまったく違ってくる。
カメラマンは、このキャッチアイを入れるためにライティングをする。
天才ミケランジェロは、キャッチアイを彫刻に入れようとしたのではないのだろうか。
像が建っている場所と日差しの位置
見上げる角度。
季節や時間も計算に入れていると思うけど、あのハート型の形は目の上部が白く残っている。
にらみつける時の目の角度と、その瞳に入るキャッチアイ。
カメラマンというか、映画監督のように場面を想定してこの像を彫ったんではないだろうか。
(漫画の巨人の星の燃える瞳は、画期的な表現だった)
ハート型の瞳はゴリアテとの戦いの場面を映している
ミケランジェロは戦いの場面を瞳に写し込んでいたのだ。
これが、ハート型の瞳の謎である。
最初小さなペニスばかり気になっていたのだが、
ユダヤの王なのに割礼されていないペニスを彫ったのは、「ダビテ像」だけどダビテ像ではないということだろう。
闘う少年を「ダビテ像」に乗り移らさせたのだと思う。
小さく作っているのは、戦いの前に緊張している少年の緊張を現わしている。
その証拠に、玉袋もキュッと縮まっている。
解剖までやって、人体のことを研究しているのだ。
更に、現代のカメラマンがやるアイキャッチまで実験している天才である。
それくらいの心理描写に抜かりはないはずである。
相手は巨人ゴリアテだ。
敵を目前として、べろんとしているペニスはあり得ないのだろう。
ダビデ像の頭や上半身は下半身に対して比率が大きくなっており、背後や真横から見るとどことなく不恰好に見える。
本来この像は高い台座に載せてヴェッキオ宮殿正面もしくは教会のファサードに置かれる予定であり、いずれにしても壁を背にして設置されることになっていたため、正面下方からこの像を見上げたときに均整の取れた肉体と映るようにあえて上半身を大きく作ったのだという解釈が一般的である。
ミケランジェロはやはり天才である。
補足
古代彫刻には巨大なペニスを持った彫像も存在する。
巨大なペニスを持ったサテュロスの彫像。
サテュロスはワインと女性と美少年を愛したという神話上の生き物だ。
男性の大きいペニスは、女性の大きすぎる胸と同じく、心を泡だたせてしまうものだと思う。
ダビデ像の目のハートの謎について調べていて辿り着きました。
他にも興味深い記事がたくさんですね。
色々読ませていただこうと思います。
ところで、ミケランジェロの才能を讃える例として最後に『プロセルピナの略奪』を挙げておられますが、かの作品はベルニーニの作です。
そこだけ気になりました…あしからず…。
コメントありがとうございます。プロセルピナの略奪は確かにベルニーニですね。^^; ご指摘ありがとうございました。その部分は即刻削除しました。ただあやふやな美術知識ですがダビデ像の目のハートはアイキャッチだと確信しています。ハート型に見えるところに天才のひらめきがあるんだなーと感心しています。他のページも御覧頂いてご意見をいただければ嬉しく思います。