飯盛鬼塚古墳

飯盛鬼塚古墳の写真素材 アートワークスフリーフォト
http://freephoto.artworks-inter.net/iimorionizuka/kaisetu.html

長崎市と諫早市の境目にある飯盛(いいもり)にある遺跡である。

飯盛鬼塚古墳

飯盛鬼塚古墳

盛土も石の上にあった石の板もなくなっている。

日本に軍隊があった時代、軍事優先で古墳などどうでもよかったのだろう。

たぶん他のたくさんの古墳も壊されたのかも知れない。それを思うと残念である。

飯盛鬼塚古墳

飯盛鬼塚古墳

この古墳は6世紀後半の築造と思われている。

思われているとあるのは、石棺の状態や、そのとき出土した勾玉や金輪などで判断したのだろう。

特別に科学的根拠があって6世紀後半と判断しているわけではない。

出土したと伝えられる瑪瑙製「勾玉」(個人蔵)

出土したと伝えられる瑪瑙製「勾玉」(個人蔵)

飯盛鬼塚古墳(いいもりおにづかこふん) 市指定史跡
平成11年、県が行った圃場整備事業に伴う発掘調査の際に発見された古墳時代の埋葬施設です。
この古墳は6世紀後半の築造と思われ、橘湾、天草灘を一望する高台に立地します。盛土はなく、石室上部の石材も、戦前に特別攻撃艇格納庫の石材として使用されていたため消失し、石室の下部構造のみが残っています
本来の天井高は2.5m程と推測され、残存していた石室は2.1m×1.4m程の規模で、床面には石材が敷かれています。石室内からは直径3㎝程の金環(耳飾り)や須恵器が出土しました。
有明海沿岸に比べ、古墳の分布が希薄な橘湾沿岸において発見された点で貴重な遺跡です。
諫早市の文化財
http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/post69/1986.html

 

場所は諫早市となっているが、長崎市の曲崎古墳群の近くである。

有明海、橘湾に面した地域での古墳

善神(ぜんじん)さん古墳(高来町)

善神さん古墳

善神さん古墳(湯江町)

大峰古墳

大峰古墳(小長井町)

 

長戸鬼塚古墳(小長井町)

長戸鬼塚古墳

長戸鬼塚古墳

有明海に突出した標高約10mの丘陵先端部に築造された直径15m,高さ5mの円墳である。石室は典型的な複室構造(玄室,前室,羨道(せんどう))からなり,羨道が短く玄室と前室の区別が明確な7世紀前半頃の特徴を持つ。装飾古墳  諫早市小長井町小川原浦

 

小野古墳(小野町・6世紀前半)

小野古墳

小野古墳

 

柏原古墳群(森山町・7世紀)

柏原古墳群

柏原古墳群

柏原団地北側に隣接する山林から10基の古墳が発見されました。このうち3基の古墳は横穴式石室で、内部からは、勾玉、首飾り、鏡などが多く出土したと伝えられています。

古墳は、群集していることから6~7世紀頃の豪族の墓と推測されます。

 

古墳時代

発掘された古墳の数は少ないが、発掘されていないだけである。

古墳時代は前方後円墳が築造された時代で、3世紀半ば過ぎから7世紀の半ば頃までを呼ぶ場合がおおい。

かなり幅がある区分だが、ヤマト王権の成立がこの時代に入る。

つまり、日本の中で一つの大きな体制が出来上がる時期で、地方の豪族たちはその風を受けてさまざまな活動をしたと思われる。

 

長崎の古代史は不明な部分が圧倒的に多く、どの解説にも豪族の墓としか書いていない。

まあ、当たり前だが、百済などの朝鮮半島民族の到来もこの時期であり、骨太の歴史の流れを知りたいと思う。

 

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