藤ノ木古墳
藤ノ木古墳の写真素材 アートワークスフリーフォト
http://freephoto.artworks-inter.net/2016fujinoki/kaisetu.html
所在地 〒636-0114 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2-1795
藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳(円墳)。「藤ノ木」の名称は所在地の字名に由来するが、法隆寺関係の古文書・古記録によれば、かつては「ミササキ」「陵山」(みささぎやま)などと呼ばれていた[1]。 玄室内から大量に出土した土師器、須恵器の年代から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。
前園実知雄(奈良芸術短期大学教授)や白石太一郎(奈良大学教授)は、2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅部皇子の可能性が高いと論じている。
一方、井沢元彦は副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天皇が合葬された」との説を主張している。
なお、南側被葬者については、女性説も存在する。ウィキペディア
20年ほど前法隆寺に行った際に、藤ノ木古墳に立ち寄った。
その当時は古代史にそれほど興味もなかったし、何気なく写真を撮った記憶がある。
しかし、改めて藤ノ木古墳の重要性に最近気づき写真を公開したしだいである。
二人の埋葬者、豪華な出土品、石棺、円墳
さまざまな人がその謎を推理しており、現在は資料をひたすら読むだけである。
現在は古墳も整備されており、研究も進んでいる。
もう一度訪れたい場所である。