インドネシアの伝説。空からやってくる黄色い人々とは日本軍だったのか
この話はつい最近知ったばかりである。(髙山正之氏の話だった)
どんな話かというと、大東亜戦争の頃の日本とインドネシアの関係で出てくる。
あの頃、日本は世界から孤立し、たった一国で世界と戦い始めた。
世界は植民地政策ということで、白人は結託してアジアを食い物にしていた。
その歴史は古く16世紀の大航海時代といわれている白人の自分勝手な思想で、アジアは植民地化されていった。
もちろん日本も植民地化されようとしていたのだ。
日本は明治維新を経て、対白人構想を打ち出し、アジア連合国の設立に踏み出した。
それが大東亜共栄圏である。
そんな日本に対して、白人連合軍(中国も含む)は石油の供給を絶つ戦略に出る。
そこで日本は石油を確保する為にインドネシアに向かったのだ。
インドネシアは、5世紀頃から王国を建国し、様々な王国の興亡を経ている国である。
16世紀になると香辛料貿易の利を求めてポルトガル、イギリス、オランダが相次いで来航し、17世紀にはバタヴィア(ジャカルタ)を本拠地としたオランダ東インド会社による覇権が確立された。ウィキペディア
つまり、オランダがインドネシアを占領したのである。
日本軍は300年以上インドネシアを食い物にしていたオランダ軍と戦いを開始した。
日本軍は1942年1月のカリマンタン島そばのタラカン島奇襲上陸と、スラウェシ島メナドへの落下傘部隊降下で始まった。
そして3月1日にジャワ島に上陸した部隊は9日には早くもオランダ軍を全面降伏させた経緯がある。
インドネシアの伝説
「我が王国には空から白い布をまとって降りてくる黄色い人々がやってきて、白い人を駆逐する」という伝説があった。
これはジョヨボヨ(位1135年~57年)と呼ばれる王が、彼の治世の末年に詩人ムプ=セダーとムプ=パヌルによって『バラッダユダ』という預言書に書かれている。
まあ、預言書というのでいろんな解釈が出来る。
しかし、インドネシアに侵攻してきた日本軍の鮮やかな戦闘は、インドネシアの人たちに、預言書の一節と日本軍を重ね合わせた事も事実である。
空から白い布をまとって降りてくる黄色い人々とは、まさにスラウェシ島メナドへの落下傘部隊である。
その為日本軍はインドネシア各地で、メラプティ(旗)とインドネシアラヤ(インドネシア国歌)の大合唱で迎えられたという。
さて、その真相はどうだろうか。
世界の預言書
世界には多くの預言書が存在している。
キリスト教の三大預言書や十二小預言書、ヨハネの黙示録、ノストラダムスの予言等がある。
日本にも神道研究家の岡本天明「日月神示(ひつきしんじ)」、江戸時代の「をのこ草子」、聖徳太子の予言などがある。
ご存知のように読み方によっては、未来を言い当てているようにも読めるものもある。
このジョヨボヨの預言書もその中の一つだろう。
予報と予言
今、科学が進み天気予報とかシュミレーションとかが盛んに研究されている。
地震、火山の爆発などかなり進んできたと言われているが、常に完璧ではない。
当たる時もあるし当たらない事もある。
結局、完璧に未来を予測する事は不可能なので、災害対策では予報以外の対策を考え始めているのも事実である。
こうなってくると、予言も予報も同じ線上にあるのだろう。
つまり、ある程度の知識が可能性を書き記したものかもしれない。
日本神話の天孫降臨にしても、同じ系統の伝説と言える。
恵比寿のように漂流神の伝説も同じと言える。
インドネシアの伝説も同じ匂いがする。
日本と違って300年以上オランダに支配されていた民族だ。
昔からある昔話に、インドネシア人の想いが込められていたのだ。
だからこそ、日本軍がパラシュート部隊で降りてきて、オランダ軍隊を蹴散らした事が、インドネシアの独立運動に火をつけたのは間違いない。
例えでたらめの話でも偶然の話でも、人間がそれによって勇気付けられる事は間違いないのだ。
その後日本軍は、オランダに変わりインドネシアを統治する。
しかし日本軍の統治はオランダとは、かなり違っていた。
インドネシアの未来の為に、インドネシア人の若者からなる祖国独立義勇軍(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を行ったのだ。
これは朝鮮半島の日韓併合と同じ思いからだった。
しかし、日本は連合軍に敗北する。
当然日本に戻らなくてはならないのだが、日本軍が育てたPETA(義勇軍)を支援する為に、2000人以上の日本軍将兵は現地に残り、再度インドネシアを統治する為に戻ってきたイギリス軍とオランダ軍と戦った。
その結果、インドネシアは独立を果たし、初代大統領スカルノによって、独立宣言文が読まれた。その宣言文の日付は170805(05年8月17日)。
1708とは8月17日で05年とは西暦ではなく日本軍が使っていた皇紀だった。
これ以外にも、インドネシアの人々は日本人に感謝をし続けており、現代に至っている。
こんな話を書くと、日本人のいい所ばかりのようだが、もちろん一部の日本人たちは、占領当時高圧的な態度を取っていたという記録もある。
しかし、それらを差し引いても日本軍の行為は、連合国側からしてみれば腹が立つだろうが、インドネシアにしてみれば共に戦った戦友であり同士として誇りに思ってくれている事だけは確かである。
結局、インドネシアの伝説に関して特に人為的な細工はなく、たまたま日本軍の侵攻が、伝説にそっくりだったという事である。
今回、大東亜戦争(あえて太平洋戦争とは言わない)の話だったが、実ははじめて聞いた話だった。
私の勉強不足なだけなのだが、学校の先生たちからも聞いた事はなかったと思う。
戦後アメリカ軍の占領下にあった日本は、アメリカ軍から思想統制を受けている。
大東亜戦争という言葉もアメリカGHQの指摘で太平洋戦争と言いなおさせている。
そして、学問までも歪めてしまっている。
いわゆる自虐史観というのもそれにあたる。
それにより、日本独自の文化も、大陸からの影響だとか、天皇は大陸からやってきたなどという説が主流になってしまっていた。
今回のインドネシアの伝説と日本軍の話はいい話だと思う。
さらに「インドネシアの古代船・マジャパヒト号、来春日本に寄港」という話題もあったらしい。
これは、古代の日本とインドネシア交流を実証する為である。
八重群島の古代文化
縄紋式時代の中期,早くは既に前期のころから,一の波が南方から日本に及んでいる。これにはメラネシア的色彩が含まれていたと考えられる。次は縄紋式晩期のころに,インドネシア式色彩の濃厚な文化が日本に波及している。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yaesekki.html
日本が朝鮮半島や中国以外の影響を大きく受けている事は明白である。
そして、今回の伝説もその事とつながりがあるようにも感じられる。
古代も戦時中と同じような大東亜共栄圏グループがあったのではないかと推測する。
これは一部黒潮文化圏と重なる地域でもある。
ベトナム、フィリッピン、インドネシア、台湾は共に日本と深い関係がある。
ベトナムを「越」という漢字で表している。これは日本の「越の国」とつながりがあるからだ。
これらの東南アジアの国は白人の植民地として何百年もの間、不当に虐げられた地域である。
大東亜戦争では、日本はこれらの国を白人から取り戻し独立の手助けをしているのも事実である。
これにより、東南アジアの国と日本は現在も友好関係にある。
日本は何故大東亜構想を持ったのだろうか。
日中戦争でもある程度のところで講和をすれば、すべての白人たちを敵に回す事もなかった。
白人たちの東南アジア支配に目をつぶってさえいれば、日本は違う道もあったのである。
しかし、日本は戦う道を選んだのだ。
ただ、日本が純粋にアジア民族解放戦争を考えていたかというとそうではない。
日本は一国では欧米連合に勝てないことを考え、東南アジアを巻き込んだと言える。
その事で、左翼の人たちは日本軍を非難している。
日本人には今でも戦後東南アジアの諸国が独立できたのは日本のおかげである・・・・と信じている人がいます。
日本が侵略した結果、偶然戦後独立出来た例もあります。これは放火をして全焼したから後で綺麗な家が建った。放火のおかげだろうと主張するようなものです。
大東亜共栄圏 | おしえて!ゲンさん
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_e/3796/
こういう調子で、日本人が日本を非難し続けている現状である。
日本軍の侵攻を放火呼ばわりするのも的外れである。
東南アジアは、欧米諸国の植民地になっていたのである。そしてそれは決して正しい姿ではなく、現地の人々は強力な搾取の下で苦しんでいたのである。
戦争は悲惨である。正義の戦争というのはないのかもしれない。
しかし、視点を変えればその戦争の意味が大きく違ってくるのだ。
東南アジアは日本の古代のふるさとでもある。
だからこそ、西洋諸国の食い物にされていた東南アジアの解放というとてつもない思いを実行に移した。
そういう見方も出来る。
戦後教育の自虐史観を、自分からひとつづつ剥がしていくと、新鮮な歴史が見えてきそうだ。
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