盆踊りの起源はストーンサークル

ストーンサークルというものが日本にもある。

石を環状に配置した古代の遺跡の事をいうのだが、環状列石(かんじょうれっせき)、環状石籬(かんじょうせきり)ともいう。ウィキペディア

いろんなページに様々な解説や憶測があるので調べようと思うといくらでも、そんなページに出会うことが出来る。

私もいろいろ読んでみたが、天体観測系の話が多い事に気がついた。

とくにイギリスのストーンサークルの話はほとんどそれっぽいものばかりだ。

これを古代のロマンといわれてしまえばそれまでなのだが、マヤ文明の暦の二番煎じのようで、あまりいただけないと思う。

そんな折に

ネアンデルタール人の謎のストーンサークル発見
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/052600187/

という記事を読んだ。

抜粋

 5月25日に科学誌『ネイチャー』に発表された論文によると、この奇妙なストーンサークルは約17万6000年前のもので、石筍を並べて作られている。

年代からしてネアンデルタール人としか考えられないという。この構造物は、ネアンデルタール人が予想よりはるかに高い能力を備えていたことの証拠となる。

英ロンドン自然史博物館の古人類学者クリス・ストリンガー氏
「人工的な照明がなければたどり着けない洞窟の奥深くまで入って行けたことを示しています」と指摘する。

ブルニケル洞窟内でストーンサークルの測定を行う作業員。(PHOTOGRAPH BY ETIENNE FABRE, SSAC )

 

実に面白い。

この話の研究がもっと進むのを期待したい。

そして、ストーンサークルの意味合いが大きく広がったと思う。

 

これまでの説

イギリスのストーンサークルが有名だが、今から4000~5500年以上前に古代ケルト人によって作られたと言われている。

イギリスのストーンサークル

ケルト人といえばケルティック・ウーマンが有名だが、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族である。

 

しかし、日本ではもっと古く、6,000年前頃からストーンサークルが各地に作られている。

数は178ヵ所。そして約4割(74ヵ所)が東北の秋田県で見つかっている。

 

ウィキペディアでの解説は

ストーンサークルの密集域が円筒土器文化圏(東北北部)と重なっていること

円筒土器は遼河文明と関連している

日本にストーンサークルをもたらしたのはウラル系遼河文明人と考えられる。

ただしウラル系民族に環状列石を造る文化はない。

環状列石の本来の担い手はヨーロッパでメンヒルを建立するなど巨石文明を担ったY染色体ハプログループR1bに属す集団と考えられる。

Y染色体ハプログループR1bに属す集団とはトカラ語派の担い手としてアルタイ地域まで到達していたことが明らかとなっている。

アファナシェヴォ文化(紀元前3500年から2500年頃、中央アジア北東部からシベリア南部にかけて栄えた文化)では、ストーンサークルを伴った墓槨がみられる。

その文化が東進して遼河文明に入り、ウラル系遼河文明人を介して日本にもたらされたと考えられる。

 

なんとも複雑である。

ウィキペディアによれば中央アジアのアファナシェヴォ文化が源流ということになる。

イギリスのストーンサークルも中央アジアの草原のケルト人だと言われている。

ともに、中央アジアが発祥の地だと言う事になる。

まあ、チベットと日本人がD系統で近い存在という事実がある。

東アジアにおけるD系統の平均頻度は、9.60%であるが、チベット(41.31%)、日本(35.08%)、アンダマン島(56.25%)が高い頻度を示す

中央アジアからも日本に渡ってきたという事は十分考えられる。

しかし、今回の記事だと「中央アジアが発祥」という説も怪しくなる。

さらにいろいろ調べると世界中にある事がわかる。

アフリカのガンビアとセネガルにまたがる地域にもストーンサークルはある。

最近発見されたのはウクライナにもストーンサークルがある。これらの構造物は、5000年~7000年前に、クヴィチャンスカヤ文化に属する人々がつくったという。調査の後、全ての文化構造物が復元され、ホルチッツァ島で一般公開されています。
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/413453121.html

ウクライナのストーンサークル

 

となれば、自然発生的にストーンサークルは各地で作られたと考えたほうが自然だ。

これは、墓などがそうで、穴を掘って石でふたをするとかの様式はみんな自然にやってきたのである。

 

突然出てきたネアンデルタール人のストーンサークルの記事で面白いと思ったのは、

1.石を円形に配置したものを作る。

2.洞窟の中の暗闇の中で作っている。

この2点である。

特に1番目のなぜ円形なのかという事が、ストーンサークルの本当の謎だと思う。

イギリスでも日本でも、円形に石を並べているのだ。

なぜ円形にこだわったのだろうか。

 

円形とは太陽と月

超古代から作られていたと思われる円形とは何かを考えた時、やはり太陽と月だと思う。

ストーンサークルは集合墓地という説がある。ストーンサークルの下に穴が掘られていたり、人骨があるものもあるからである。

たとえば、世界遺産に登録されたアフリカのセネガンビアの環状列石では一部で発掘調査が行われており、その結果、8世紀から12世紀にかけての配石墓であることが判明している。

また最初に書いたアファナシェヴォ文化では、ストーンサークルを伴った墓槨がみられるとある。

死者と円形のものと考えれば、夜に見ることが出来る月だと考えたほうが自然だと思う。

 

古代より、人類、特に女性は月の運行に影響されている。

生理現象も、潮の満ち引きも月のなせる業である。

ネアンデルタール人のストーンサークルも光の届かない暗闇の中に存在している。

この考えはそんなに突拍子がないものではないと思う。

しかし、円が月であるという説明は、どうも理屈っぽい。

もっとシンプルな事があったはずである。

 

ストーンサークルは人の輪

日本には盆踊りというものがある。

盆踊り(ぼんおどり)は、盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行なわれる踊りである。

盆踊り

その起こりは、(文献に最初に登場するのは)室町時代と言われている。

昔は旧暦の7月15日に行われていた。ゆえに、盆踊りはいつも満月であった。

ここにも月が出てきた。

まんざら理屈っぽい説でもなさそうである。

確かに仏教的要素が入ってきたのは室町時代あたりだろうと思うが、これもまた自然発生的に起きた事だと感じる。

真ん中に火をたき、輪になって踊るというのは、古代より行われてきたことだ。

 

現代でもキャンプで行うキャンプファイヤーも同じである。

大勢の人間が手をつなげば自然と輪になる。

ストーンサークルとはまさにこの状態を模したものなのだ。

 

墓標は現代でも石を立てて作っている。

石は人なのだ。

 

大きいストーンサークルは、多人数の集団の象徴で、小さなサークルで真ん中に石が1本だけ立っている日時計形は特別の存在だった人ではないだろうか。

大湯環状列石

 

長崎県の墓にはその家の墓の横に小さな土神様の墓標を立てる。

墓の守り神という存在である。

土神

一つの集落にいくつものストーンサークルがある遺跡がある。

それは一つの集落に、複数の家族かグループが混在して証である。

大湯ストーンサークル

なぜ作ったのか

その問いは一番の難問かもしれない。

なぜ、人は墓を作るのかという問いに等しい。

これは現代人と同じ心情だとしかいえない。

私は仏教徒であるが、神道も大いに受け入れている。かといって、お経が唱えられるほど熱心でもない。

だけど、お盆の行事や墓参りは欠かせない。

祖先崇拝とでも言えばいいのか。この地に生まれこの地で死ぬ定めと思い込んで、墓参りをするのだ。

ストーンサークルもそんな個人のランドマーク的な存在だと思う。

しかしもしもっと他の理由はと尋ねられたら、動物のマーキング的な意味があるのかもしれない。

例えば、他の部族の人がこの地を訪れた場合、この地には一族が住んでいるという意思表示のための意味もあるかもしれない。

余計な争いを避ける為でもある。

忍路環状列石

世界中のストーンサークルが同じ意味で作られたのではないだろう。

一部のストーンサークルはもっとその地域独特の意味合いを含めたのかもしれない。

 

しかし、日本の古代遺跡に現在178ヶ所も存在している理由は、縄文時代が長かった証でもある。

そして祖先崇拝があり、それが世界でも稀な長い時間を暮らし続けていたという日本人の心情でもあったのだろう。

日本が倭(輪)という国の名前だったのも、国旗が日の丸なのもストーンサークルの心情が大きく作用しているような気がする。

そして、古代人の心情と現代人の心情がシンクロしていると思う。

キャンプファイア

祭りの満月の夜、盆踊りを踊り、恋人と手をつなぐ。

一族の石の柱の墓標に手を合わせる。

キャンプに行き、火の回りを囲みご飯を食べる。

そんな光景とストーンサークルの風景はシンクロしているのだ。

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