アジアで日本だけ旧暦正月を祝わない理由

長崎ではランタンフェスティバルという行事がある。

中国の旧正月を祝う行事「春節祭」を起源とするもので、湊公園を起点として、中華街や浜の町の周辺に、赤や黄色の中国風提灯(ランタン)が15000個も飾られる。

期間は旧暦の1月1日から1月15日にかけて行われ、暦の関係で、年ごとに開催期間は前後に移動する。

なので、2019年は2月5日(火)~2月19日(火)までだった。

長崎ランタンフェスティバル

この旧暦とは何かと言うと、アジアでは、中国暦またはそれをもとにした暦の事である。

正確には、太陰太陽暦(太陰暦・陰暦)という。

太陰とは月のことであり、月の満ち欠けをベースにして暦を作ったのである。

そうすると、一年が約354日であり、太陽暦の一年に比べて約11日短く、3年過ぎると約1ヶ月のずれとなる。このずれを放っておくと暦が実際の季節と大きく食い違ってしまう。

そこで太陽の運行を参考にしつつ「閏月」(うるうづき)という「月」を足し、一年を13ヶ月にすることで暦と季節のずれを正す方法がとられた。

これに対しては、太陽をベースにした暦、つまり太陽暦(グレゴリオ暦)である。

太陽暦の一年とは、地球が太陽を一周する日数である。現在は世界中がこれを使っている。

日本では、明治6年(1873年)1月1日に旧暦(天保暦)から、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されている。

アジアでは、旧正月を祝う習慣は中国のみならず、ベトナムやインドネシア、北朝鮮、韓国、シンガポール、マレーシアなどアジアの多くの地域で存在している。

新暦の国

しかし、日本は違う。

一部の行事では旧暦が生きているのだが、明治維新の際に、きっぱりと旧暦をやめている。

その理由として、明治政府は旧暦の給料体制のままだと月給を13回払わなければならない年があるのでという解説が多い。

たしかにそんな側面はあると思うのだが、それだけではないのは確かである。

日本は、明治維新という日本史上例を見ない大革命で、一気に西洋の方に舵をとったのだ。

まず、天皇陛下が「新暦変更の詔(みことのり)」を自ら通達した。

その事により、国全体が新暦を認めたのである。

しかし、アジア地域では、中国の影響が強く残り、中国自体も含め、旧暦を大切にしている。

そう、日本だけが、暦の変更と同時に生活様式や文化を調整できたのだ。

これにより、一気にアジアの中で西洋と対抗できる力を身に着けた原因である。

明治維新

明治維新の時代は、アジア受難の時期である。すべてのアジア諸国が、西洋列国の植民地となっている。

その中で、ただ一国、西洋に立ち向かったのが日本である。

それにより、日清、日露戦争に勝ち、西洋に東洋の日本の存在を強くアピールしたのだ。

植民地化されたアジアの国々は、軍事力に優れた西洋に対して、最初から諦めていたフシがある。

ただ、出る杭は打たれるのとおり、アメリカやソ連コミンテルンの工作により、第二次世界大戦へと引きずり込まれ、ついにはアメリカと戦争をするハメに陥り、敗戦となってしまう。

しかし、敗戦後も奇跡的な復興を遂げ、経済力では世界第2位の地位を得てしまう。

それが日本なのである。

そんな気質の一因として、災害の多い国で生き抜いてきた国民性があると思う。

現在も続く、津波や地震、火山の爆発などで、いろんな地域は壊滅的な被害にあっている。

しかし、その際の対応に対して、西洋、東洋の国から称賛の声が上がっている。

特に注目を集めたのは災害に直面しながらも秩序を失わない被災地の姿である。

避難所となった小学校で、食料や水の配給に並ぶ人たち 熊本県益城町 産経ニュース

大勢の人が避難生活をおくる避難所は清潔に保たれ、物資が届いた際には誰もが公平に受け取れるよう列を作った。

自己中心的な行動を取る人はおらず、困難のもとにあっても他人への配慮を忘れない姿は多くの外国人を震撼させた。

こんな話がある。

避難所で食料の配布があった時、子供連れの母親に対して、人数分のおにぎりを配ったのだが、その母親は、「子供は小さいので、そんなに入りません。その分は後の人に回してください」と言ったという。

こんな事ができるのは、日本国民だけである。

この旧正月をなぜアジアで、今でもおこなっているのかという問題は、とても大切だと思う。

そして、この事が日本という国の凄さを教えてくれるのである。

中国側の反応

中国メディアの今日頭条は10日、「日本ではなぜ旧暦で新年を祝わないのか」と疑問を投げかける記事を掲載した。

旧正月を祝う習慣は中国のみならず、ベトナムやインドネシア、北朝鮮、韓国、シンガポール、マレーシアなどアジアの多くの地域で存在しているが、中国文化の影響を受けているはずの日本では祝われていない

その理由について記事は、

日本は明治時代以降、欧米諸国の影響を大きく受けるようになり、太陽暦を採用したことを紹介し、太陽暦の採用と同時に日本は春節の文化を捨てたのだと指摘した。

一方で記事は、日本では旧暦で春節を祝う習慣はないが、「大晦日」や「新年の挨拶」などの習慣として、春節の伝統的な文化の影響が残っているのだと指摘、結局は中国人たちが旧正月にすることを日本人は新暦の正月にやっているのだと紹介した。
http://news.searchina.net/id/1653669?page=1

まあ、大きなお世話である。

結局、新暦に変わっても、日本は中国のマネをしていると言いたいのだろう。

確かに、古代から江戸時代初期までは、各時代の中国暦を輸入したものが使われていた(宣明暦以降は輸入が途絶え、そのまま使っていた)。

しかし、暦は世界中で作られており、遅ればせながら、江戸期において、西洋暦も参考にした日本人による暦が作られ始めている。

日本は中国を参考にして国造りを始めたのは確かである。

律令と言われる政治体系も中国を参考にしている。平安京などの都づくりもそうである。

漢字の輸入はその最たるものだろう。

しかし、中国の影響を受けながらも、日本に合わないシステムは拒否し、輸入されたものも、日本独自に進化させ発展させた事は、世界が知っていることである。

現代中国語の中の日本語「外来語」問題 王彬彬(日本語訳:松永英明)というのがある。
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/156d753da467269d60ac28999747caad

(抜粋)現代中国語の中の日本語「外来語」は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文・科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。 (略)実際上、日本語「外来語」を離れてしまえば、わたしたちは今日ほとんど話をすることができない。

中国が日本を下に見ているのはわかるが、それなら日本製漢字をやめたらどうだろうか。

また、日本で生活している中国人の数は2018年時点で92万人を超え、在留外国人の数の約3分の1を占めている。さらに中国人旅行者は2018年12月で830万人となっている。

いろいろ難癖をつけるなら、もう来るな!と言いたい。

だんだん子供みたいな言い方になってしまったが、日本はすでに独自路線を歩んでいる。

出藍の誉れという言葉がある。

青は藍(あい)より出(い)でて藍より青しである。

昔、中国は日本の先生だったのにと思う。

いや、反面教師だったのだろう。


この文章は「長崎ランタンフェス。アジアで日本だけ旧暦正月を祝わない理由」 2019年2月11日、アートワークス https://artworks-inter.net/ で書いたものを加筆し再投稿したものです。

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