長崎の中の豊前国 彦山(ひこさん)

先日、彦山という山に登った。

彦山頂上から

彦山(ひこさん)のフリー写真素材
https://freephoto.artworks-inter.net/2019hiko/kaisetu.html

400メートル前後の低い山だが、長崎人には親しまれている山である。

元和元年(1615)豊前国英彦山から英彦山大権現を勧請し、山頂に祀ったことから彦山(英彦山)と呼ばれるようになったと言われる。昔から信仰の山として多くの人に登られ、山麓から山頂まで多くの神社や鳥居が建っている。〒850-0812 長崎県長崎市白木町 標高404

 

信仰の山と言われているが、彦山という山の名前自体、大分県からの移植である。

岩倉大明神

それ以外にも、豊前坊下虚空蔵堂、豊前坊(ぶぜんぼう、飯盛神社)という名称がついている。

豊前坊下虚空蔵堂

豊前坊下虚空蔵堂

彦山神社

彦山の名称は元和元年(1615)からとなっているので、かなり新しい。

長崎のキリシタン騒動が、禁教として落ち着いたので、長崎内に有名な神道、仏教施設を持ち込んだとも思える。

 

長崎の産土神とされる諏訪神社も、江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、松浦一族で唐津の修験者であった初代宮司青木賢清(かたきよ)を引っ張り込んで再興している。

戦国時代に長崎はキリスト教徒の支配地となり、領地内の社寺は全て破壊されてしまっている。

なので、現在の長崎の神社仏閣は、各地からの移植などで成り立っている。祀られている神の名を調べても、あまり意味がないのはその為である。

長崎がキリスト教の街になったのは、長崎甚左衛門が進んでカトリックのイエズス会に街を明け渡した1579年頃から1614年の徳川家康の「禁教令」を発布するまでだと推測できる。

その間35年。たったこれだけの年月で、長崎の中世までの歴史を刻む神社仏閣は破壊されてしまっている。

1614年の禁教令に対して、キリシタンたちは数千人規模で市内の教会を渡り歩く、抗議のデモ行進を敢行するほどエネルギッシュだったことを付け加えておく。

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