金比羅とキラと修羅シュシュシュ

長崎は港町なので、山の上には金比羅神社がある。風情のある神社なので時々登って参拝をする。

長崎 金比羅山

調べ物をしていた時「金比羅船々」の唄の項目に出会った。

香川県民謡
こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば

楽しい唄である。

その歌詞の中のオノマトペの「シュラシュシュシュ」が、船が速く進む様子だと言う。

うーん、いまいちピンとこない。

もう一つの説に、シュラは修羅で、巨石など重い物を載せて引く、そりの形の運搬具かけた言葉とする説がある。

突拍子もないと思ったが、楽しそうな説である。

少し調べてみた。

修羅

まず修羅という道具がある。石曳き行事に使われる二股の木ゾリである。

修羅

二股の木ゾリは、世界中にあるらしい。

インドネシア、古代メソポタミア、日本等、古代で巨石を運搬する時に使われていたとある。

まあ、形がシンプルなので、各国で自然発生的に出来たと思われる。

その修羅は、日本各地で遺跡の中で発掘されている。

日本での二股の木ゾリの出土例では、京都市鹿苑寺(金閣寺)境内のもの、全長4.7メートル。大石運搬に使われた宮城県志津川町のキンマが3.4メートル。駿府城築城図屏風に描かれた石曳き絵から推測するソリの長さは4~5メートルである。

これらの例の中で特筆されるものは、大阪府藤井寺市の土師の里遺跡で発掘されたもので全長8.8メートルもあり日本一である。

古墳の作り方(ジオラマ)

しかし、道具なので大きければいいというものではないらしい。

積載物の安定性を確保するという実用面からは3メートル前後、大きくても5メートルほどが最適な大きさと考えられている。

という事で、大修羅は儀式用の道具、例えば石棺を墳丘の上まで静々と運び上げる時に使ったと想像できるという。

なるほど、藤井寺市には、誉田御廟山(応神陵)、仲津山(仲津媛陵)、岡ミサンザイ(仲哀陵)など沢山前方後円墳がある。

応神天皇陵古墳

この大修羅はそれらに使われていたと思われる。

これらの事を思えば、古墳時代の日本の規模が、世界レベルと比べて劣っていないどころか、とても大きいという事がわかる。

まあ、世界遺産にも指定された仁徳天皇陵古墳は、クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓と言われていることでも明白である。

土師氏

さて修羅の話だが、この道具は土師氏という集団が作ったとされている。

天穂日命(アメノホヒ)の末裔と伝わる野見宿禰(のみのすくね)が、殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。ウィキペディア

つまり埴輪を作った一族なのだ。

まず野見宿祢だが、土師氏の祖として『日本書紀』などに登場する人物である。

野見宿禰

角力(相撲)が非常に強い怪傑だった。

垂仁天皇の命で当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取り、互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた。ウィキペディア

天穂日命(アメノホヒ)は、天穂日命は天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱である。

葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。

地上の支配に成功すると、大国主神に仕えるよう命令され、子の建比良鳥命は出雲国造及び土師氏らの祖神となったとされる。

なんとなく事情のある神様である。

いろんな推測ができるが、大和ではなく出雲に所属していた一族である。

となれば渡来系帰化人か、もしくは古くは弥生系と呼ばれる一族だったとも想像できる。

さらに野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」であるとする研究者もいて、埴輪などを作る職人集団だった。

修羅が土木の道具という事で、野見宿祢の土師氏が日本以外から持ち込んだ道具だった可能性がある。

実はここまでが伏線である。

大きな石材を運ぶ道具を修羅と呼ぶが、その意味は「大石をタイシャクと読み、それを帝釈天に引っ掛け、帝釈天を動かせるものは阿修羅すなわち修羅であると語呂合わせからきたものとされている」

インド神話によれば、もと阿修羅は、好戦の魔神であったとされ、絶対の神帝釈天に幾度も戦いを挑みました。

阿修羅は、激闘ののち敗れ、仏法の守護神に加わることになります。しかし、その壮烈な戦いぶりは、何事にも動じないとされた帝釈天を動揺させるところがあったといいます。大阪府藤井寺市HP

僧行誉が編纂した百科事典「あい襄抄(あいのうしょう)」文安3年(1446)には「石引物ヲ修羅ト云ハ何事ゾ。帝釈大石ヲ動カス事、修羅ニアラズバアルベカラズ」と記されています。

帝釈天

結局洒落なんだが、インド神話の天空の戦いの修羅という知識が素晴らしい。

となれば、修羅と呼ばれる木ゾリは、やはり日本のものではないかと思われる。

さらにインドネシアにも木ゾリの修羅があるとすれば、土師氏がインド系なのかなとも想像できる。

つまり、金毘羅船々の一番の歌詞にも、インドのテイストが混じっているのがわかる。

更に謎がある。

こんぴら船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば

象頭山(ぞうずさん)という地名だが、古代日本には象は生息していない。

この名前は、琴平街道から眺めた山容が象の頭を思わせることから付けられたという。

誰が象の頭と思ったのが、まず謎である。

そして金毘羅大権現だが、

クンビーラ(マカラ)は元来、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神で、日本では蛇型とされる。クンビーラ(マカラ)はガンジス川を司る女神ガンガーのヴァーハナ(乗り物)でもあることから、金毘羅権現は海上交通の守り神として信仰されてきた。ウィキペディア

クンビーラ

つまり、もとはインド神話の神様が日本に渡って来たのである。

天狗

修験道が盛んになると金毘羅権現の眷属は天狗とされた。

高尾山「天狗様」

しかし仏教では、本来、天狗という言葉はない。

しかし、『正法念處經』巻19には古代インドのウルカという流星の名を、天狗と翻訳したものとある。(略)ウィキペディア

飛鳥時代の日本書紀に流星として登場した天狗だったが、その後、文書の上で流星を天狗と呼ぶ記録は無く、結局、中国の天狗観は日本に根付かなかった。

そして舒明天皇の時代から平安時代中期の長きにわたり、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこない。平安時代に再び登場した天狗は妖怪と化し、語られるようになる。

中国の天狗観は日本に根付かなかったとあるが、ここも重要である。

天狗は金毘羅様の使いの怪物であり、発想を飛躍させれば、土師氏の祖先で相撲を得意とした怪傑 野見宿祢こそ天狗の大元じゃないかと思われる。

この金毘羅船々の歌詞の中に、インドの修羅、インドの像、インドのクンピーラという女神の名前が出てくる。

さらに、金毘羅の眷属に、外人系の顔をした天狗がおまけに付いている。この天狗が、古代インドの流星だという。

つまり、インドがいっぱいの歌詞だということなのだ。

しかし、この発想を金毘羅船々の一番の歌詞だけで、他人に説得させるのは少し無理がある。

そこで、2番の歌詞に注目する。

(二番)金毘羅石段 桜の真盛りキララララ
振袖島田が サッと上る裾には降りくる 花の雲
いちど まわれば

「キララララ」である。

何だこの歌詞は!

もちろん、木漏れ日が、参道に降り注ぐ光の表現だと思うが、独創的すぎる。

こうなれば、シュラシュシュシュと対する意味があるはずである。

キラ

キラとはなんだろうか。

ギリシア神話にキラという女神がいるが、これではないだろう。

雲母(うんも)は、ケイ酸塩鉱物のグループ名で、きらら、きらとも呼ばれる。

雲母(うんも)

光り輝くということであれば、鉱物の雲母かもしれない。

産業用途に用いられるマイカ鉱石(雲母)は、インド、中国、カナダ、フィンランド、ブラジルなど多くの国で採掘されますが、マイカの種類、構成成分、純度や結晶の大きさは産地によって異なり、その用途も様々です。

インド産白雲母鉱石は結晶が大きく良質だとある。

ここにも、インドが登場している。

さらに、古代遺跡にも雲母は使われている。

沖洲大日塚古墳は墳丘長約40mの帆立貝形古墳で、後円部に雲母片岩板石組の横穴式石室が残されている。概ね6世紀後半ころの築造と考えられる。

さらに、あの「縄文のビーナス」には、粘土に細かい雲母片が練りこまれている。

縄文のビーナス

この雲母のキラがキラキララの言葉の元かもしれない。

イメージ的にはぴったりである。

ブータンの民族衣装

またブータンの女性の民族衣装もキラという。

ブータンの民族衣装 キラ

ブータンはインドの右上にある国である。

ブータン

ブータンはヒマラヤ山脈の東の端にある仏教王国である。

チベット系ブータン人の写真を見ていて思うのは、顔が日本人とそっくりなことである。

ブータン人 幸福の国のブータン便りより

また似ている言葉もあり、1、2、3、4、5が、チ、ニ、スム、ジ、ンガ。日本語のイチ、ニ、サン、シ、ゴとほぼいっしょだという記述もある。

ブータンの民族衣装は、男性がゴ、女性がキラというが、日本の着物を呉服というのは、ただの偶然だろうか。

日本人とDNAが似ているのはチベットだという。大元はシベリアのバイカル湖辺りの人々らしいが、山岳のチベット・ブータンと日本人がよく似ているのは、祖先が共通だからである。

キラがブータンの可能性も高い。

雲母のキラか、ブータンの女性の衣装か迷うとこだが、もしかしたら混じっているのかもしれない。

古代日本に伝わった、インド仏教、チベット仏教は、その人々と共に、弥生人として住み着いたのかもしれない。

1番 金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ

2番 金毘羅石段 桜の真盛り キララララ

3番 金毘羅み山の 青葉のかげから キララララ

4番 お宮は金毘羅 船神(ふながみ)さまだよ キララララ

この歌は香川県の民謡で,お座敷唄である。琴平町の花柳界で,芸者衆が金毘羅参詣客を相手に唄ってきたもので元は拳遊びの唄という。

しかし、その歌詞にはインドの神話とチベット、ブータンの文化が散りばめられている。

素晴らしいと思う。

金比羅の文字には、金と羅の文字がある。キンラである。

ここにもキラがあった。

黒潮

日本には親潮と黒潮という海流がある。

親潮と黒潮

中国南部から海流に乗れば、出雲か四国へたどり着けるだろう。

出雲の土師氏の野見宿祢と、四国の金毘羅。

ここで繋がってくる。

はるか古代の話だが、芸者衆が金毘羅参詣客を相手に唄ってきた唄に、強く古代を感じてしまった。

金比羅船々 浅草すず柳さん、浅草千華さんお座敷遊び

異国の話が、なんの違和感なしに、日本に馴染んでいる。

これが日本なのである。

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