同性愛はなぜ生まれてくるのか

現在、LGBTの人たちの人権問題で、不用意に同性愛について書くだけでも、いろいろ非難される。
LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつである。ウィキペディア
昔はゲイの人を「ホモ」と呼んでいたが、今は「ゲイ」である。
 
その違いは、「ホモセクシュアル」は男性女性問わず、同性愛者全般を差し、「ホモ」という言葉は、別称扱いされているからである。
 
表題の「同性愛はなぜ生まれてくるのか」という問題は、学者の中でも、なかなかすっきり解けない問題のようである。
 
今回は、生物学的な意見を主に、このLGBTの事を考えたいと思う。

「ゲイ」の歴史

日本は、ゲイに関してかなりオープンだったようだ。
 
奈良・平安時代には仏教寺院における僧と稚児の男色(稚児愛・少年愛)が既にあり、江戸時代には武士同士の男色は「衆道」と呼ばれて盛んだったとある。
 

ゲイ

 
また、フランシスコ・ザビエルが日本に来た時、そのオープンな男色に驚いたと記録されている。
 
日本がゲイが特別多いという事もないのだが、宗教的な抑制が少なかったので、オープンに見えたのだろう。
 
キリスト教ではゲイは禁止条項なので、キリスト教圏の西洋には隠れゲイが多い。
 
新約聖書のパウロ書簡に「男色する者」は神の国を相続しないと第一コリント6章9-10節にある。
だが、修道会のゲイの問題は、最近も多く出てきており、「神父の8割はゲイ」と暴露本が出ているくらいである。
 
私は、ゲイもレズも、単純に性的嗜好の問題だと思い、別に気にしたことはない。
 
そこで、いろんな文献やネットで調べてみたのだが、思ったより難問であることに気が付いた。

同性愛は必ず存在する

同性愛の発生確率は全人口比で約5%前後(人種間差はない)という。
 
つまり、どの時代でも、必ず同性愛の人たちは、存在するという事なのだ。
 
これは同性愛の存在が、生物の繁殖において特別なものではないことの証拠なのだ。

動物の同性愛的行動

さらに、人間以外の生物にも存在している。
 
様々な動物の同性愛的行動(同性の性的行動)が確認されている。
 
人間に近いボノボが、仲間どうしの緊張を緩和するために、同性の性的行動をとっているという話はなんとなく理解はできる。
 
だが、ヒトデ、コウモリやカワトンボ、ヘビや線虫など、1500種を超える動物が同性の性的行動をおこしているという話になってくると、理解不能になってくるのだ。
 
動物の同性愛(両性愛も含む)は、自然界において広く見られる。動物の性行動には同じ種の間でさえ様々な形態があり、その行動の動機および含意はまだ十分には理解されていない。
 
1999年のブルース・ベージミルの研究では、交尾に限られない、同性愛的行動が1500に近い種で観察されることが示されていて、このうち500種については十分な典拠があげられている。ウィキペディア
また人間に関してはこんな説もある。
「進化論的な観点から、我々は、性行動を生殖という目的を達成する手段と考えがちだ。しかし、性行動は密接な肉体関係で快感を伴うものものだから、人類以外の霊長類を含めて多くの種が行っている。
 
社会的な絆を作り、維持するのに役立つのだ。こうしたことは、愛しあう2人を見れば明らかだ。彼らは、たとえ生殖が不可能だとしても、性行動で絆を保つ」ポーツマス大学の進化心理学者 ダイアナ・フライシュマン博士
なるほどと思う。性行動は生殖の為だけではなく、いい関係性を保つためにも存在するという考え方だ。この説をヘルパー仮説という。

ヘルパー仮説

このヘルパー仮説だが、生物全般に適応されるかというと、その点は不鮮明である。
 

撮影ニコール・キャンブレ http://karapaia.com/archives/52216011.html

 
ニホンザルの場合、同性間の関係は、群れにより割合は異なるが、頻繁に見られるものである。(略)オスもまた典型的には同年齢の複数のパートナーとともに同性間の関係を持つ。
 
ボノボでは、オスもメスも異性愛的および同性愛的行動を行う。特に注目すべきはメスの同性愛である。
 
アフリカゾウおよびアジアゾウのオスは同性間できずなを結び、マウンティングを行う。同性間の関係はオス・メスのどちらにおいても広く頻繁に見られ、捕獲されたアジアゾウの場合性的出会いのおよそ45%が同性間の活動に向かっている。
 
アメリカバイソンはオス同士の求愛、マウンティング、肛門への交尾器の挿入が記録されている。
 
キリンの場合、Bruce Bagemihlによると、交尾するつがいのうちの9割はオス同士である。
ヒツジに関する2003年10月のCharles E. Roselli博士ら(オレゴン健康・科学大学)の研究によると、オスの同性愛(雄羊の8%で発見された)は「ヒツジ性的二型核」(oSDN)とよばれる雄羊の脳の領域と関連がある。
 
シロトキのオスは、水銀の摂取によって同性のつがいを作ることがある。
 
動物たちの気持ちがわからないので、「なぜ」という疑問が、いつまでも残ってしまう。
 

学者の研究

同性間の性行動が刑務所内の性行動で見られる優劣関係に類似したオスの社会機構および社会的優位に起源があると考えている研究者もいるが、Joan Roughgarden、Bruce Bagemihl、Paul Vaseyのように、性の社会的機能は個体の優位とは必ずしも関係がなく、群れの中での連携および社会的結びつきを強化するのに役立っていると考える研究者もいる。ウィキペディア
 
学者の見解は様々である。
 
上記の文章では、同性愛がオスの社会機構および、立場の優位性に起源があると考えている方もいる。
 
例えば、神父と信者、武士と小姓、僧侶と稚児、そんな関係が同性愛の始まりだったという事である。
 
しかし、反論もある。
 
機会があるにもかかわらずメスとつがいになるのを拒否し、電気的ショックで分かれさせようとしてもオスと生涯をともにするゲイのペンギンがいることを指摘して、社会機構理論に疑問を投げかける研究者もいる。
 

ゲイカップルのペンギン 盗んだ卵を大切にする姿に応援の声が上がる https://www.huffingtonpost.jp/entry/penguin-stolenegg_jp_5dd35047e4b082dae812f72a

 
つまり、ゲイ一筋のペンギンの存在が、立場や状況とは関係ない事を証明しているという訳だ。
 
うーん
 
同性愛の誕生は、社会とは関係ないような気がしてきた。
 

ヘルパー説の反論

男性同性愛者が本当に「ヘルパー」としての役割を果たしているのかを検討した。
すると、何と男性異性愛者の方がむしろ血縁者のために尽くしているという、逆の結果が表れてしまった。男性同性愛者は「ヘルパー」ではなかったのである。
アメリカ、ノースウェスタン大学のD・ボブロー氏とJ・M・ベイリー氏
 
また、同性愛の誕生を、個人のレベルから、血縁グループのホルモン構造に、あるとする意見もある。
 
LGBTには「生産性」があるという、動物行動学研究家の竹内久美子氏の意見。
動物行動学研究家、エッセイスト・竹内久美子さん
https://www.sankei.com/column/news/180801/clm1808010005-n2.html
 
彼女の文章から少し抜粋したい。
いままで同性愛はヘルパーとしての役割を持っているのではないかと考えられたわけである(ヘルパー仮説)。
男性同性愛者が本当に「ヘルパー」としての役割を果たしているのかを検討した。すると、何と男性異性愛者の方がむしろ血縁者のために尽くしているという、逆の結果が表れてしまった。
こうしてみると男性同性愛者が現れる家系とは、単に女性ホルモン(エストロゲン)のレベルが全体的に高い家系といえるのではないだろうか。女性同性愛者については、もしかするとこの裏返しの関係にあるのかもしれない。
私なりに要約すると、ホルモンの問題で、男性同性愛者個人に注目するのではなく、その一族というひと固まりでみれば、同性愛者は、自然と生まれてくる・・・という事かなと思う。
 
男性同性愛者個人には、子供を残す事はできないが、その一族は他と比べると、高い生産性があるという事である。
 
説の内容はなんとなくわかるが、やはり仮説なので真偽を出すには、もっと時間がかかるのだろうと思う。
 

同性愛は先天的か後天的か

妊娠中の母体に過度のストレスがかかると、胎児がゲイになりやすいという報告がある。
 
実際、大戦中のドイツなどでは同性愛者が平時より多く産まれたと言われている。
 
特に人間の場合、周囲の環境や境遇が要因となって同性愛者になる場合もある。
 
例えば、女性のいない仏教界などは、ゲイが多いというのがそれである。
 
また、ユニヴァーシティー・コレッジ・ロンドン遺伝子研究所のデイヴィッド・カーティス名誉教授は、「この研究は『ゲイ遺伝子』などというものがないことを明確に証明した」
 
つまり、ゲイは先天的ではないという事である。
 
こうなると、環境のストレスが同性愛のスイッチをいれるという事になる。
 
ただ、この考え方だと、つじつまの合わない事が出てくる。
 
ストレスによって同性愛になる個体は、その子孫を残さない。
 
そうすると、同性愛になりやすい特徴のある遺伝子は、長い時間がたてば、なくなってしまうという事になる。
 
そして、すべてが後天的であるなら、ゲイの存在が人口の7パーセントという、平均的な数字は出にくいと思う。

進化のパラドックス

これまで発表された、どの仮説にも共通しているのが、動物の生存や生殖に関する明白なメリットがないことから、同性愛的行動を「進化のパラドックス」とみなしていることだ。
 
しかし、よく考えてみれば、一般の恋人や夫婦だって、生殖に関係しないセックスを数多くやっている。生殖しないように、コンドームさえ使うのである。
 
という事は、セックスは生殖の為だけにあるのではないという事になる。
 
そうなれば、生殖を伴わない愛情は、コミュニケーションとして存在意義があるという考え方が出てくる。
 
コミュニケーションが何のために役に立つのかといえば、社会の健全性という事になり、つまり、ヘルパー仮説に行ってしまうのだ。
 
うーん
 
ダーウィンの唱えた進化論は「進化は将来の世代に残る遺伝子数を最大化するような形で起こる」というものだ。
 

チャールズ・ダーウィン

 
「遺伝子を残す」という事が「自分の子を残す」事ではないという学者もいる。
 
アリの場合や蜂の場合を考えると、ひとつのグループで生き抜いてきているので、理解はできる。
 
しかし、アリや蜂がすべて同性愛的な行動をとるかといえばそうではない。
 
そうすると、同性愛という形態がアリや蜂には適応しないという事になる。
 
アリや蜂に同性愛の仕組みを強引に持ってくれば、同性愛者は他の個体の繁殖を助けるために自ら遺伝的に犠牲になっている個体だということになってしまう。
 
これは、どう考えても理屈に合わない。
 
進化のパラドックスという言葉は、同性愛者が、進化論という路線から外れているように見える事からそう呼ばれているのだ。
 
しかし、蜂やアリなど社会的組織を営む生物からすれば、生殖しない性があることは不思議ではない。
 
ここでもまた、堂々巡りになってしまうのだ。
 
うーん。このままでは何の答えも出てこない。
 
それなら、もっと大きな視点で考えたらどうだろうか。
 

進化論は正しいのか

これまで地球に出現してきた種の99.9パーセントが滅びてきた事実である。
 
遺伝子が常に正解を出し続けてきたわけではない。
 
どちらかといえば失敗の連続だったのである。
 

ネアンデルタール人

 
たとえばネアンデルタール人という種は途絶えた。その理由は謎だが、ホモ、サピエンスの方が、コミュニケーション能力が高かったからだとされている。
 
そう思えば、人間の遺伝子に、これまでの失敗をもとにした、新しい仕掛けをホモ、サピエンスに組み込んだのかもしれないと思うようになった。
 
人間だけではないと思う。
 
現在生き延びている生物すべてに仕込んだ、絶滅回避プログラムは「愛」である。
 

愛とは何か

同性愛者と異性愛者の二つの言葉に共通する言葉は何かというと「愛」である。
 
この「愛」が、現在の生物に仕掛けられたおおきな「特徴」ではないだろうか。
 
生物学者に聞けば、「愛とは繁殖のため、つまり生物的進化や種の保存のためにあるもの」という答えが返ってくるだろうという人がいる。
 
しかし「愛」が繁殖の為だけにあるものではないという事を、私たちは経験上知っている。
 
それでは「愛」とは何かを知るには化学的な実験結果によって導き出したい。
 

化学的な愛

脳をスキャンば、愛のメカニズムとは、麻薬使用時の脳の状態に酷似している。
 
「愛」を感じるとき、少なくとも脳の十数か所の部分からホルモンや神経伝達物質のような強力な化学物質が分泌されるのだ。
 
情熱的な愛とは脳内がアドレナリン、ノルエピネフリン、ドーパミン等の化学物質であふれかえっている状態なのである。
 
そして、そのホルモンは、生殖の為に非常に優位に働く。
 
しかし、その愛も、アドレナリン、ノルエピネフリン、ドーパミンがなくなれば、すっかり冷めてしまう。
 
化学の世界においては、愛とは、実に単純明快な現象なのである。
 

逆もまた真なり

人間の体は新陳代謝を繰り返しながら生き続けている。
 
しかし、ある時代になると、年老いて衰えていく。
 
その理由は、生物学的にみて寿命がある事に逆らうことができないので、遺伝子のプログラムに、ある時期が来たら老化するプログラムが存在するからという人もいる。
 
これは、なんとなくわかる。
 
アポトーシスという機能がある。
 
生物の発生過程では、あらかじめ決まった時期に決まった場所で細胞死が起こり(プログラムされた細胞死)生物の形態変化などの原動力として働いている。
 
つまり、細胞が死ぬプログラムの仕組みである。
 
この事を考えれば、遺伝子は生きるためのプログラムと、真逆の死ぬためのプログラムがあるという事になる。
 
人間が老いて、体が弱るのは、死に易くなる為なのだ。
 
人間の愛もそれと同じことが言えないだろうか。
 
愛が生殖の為に大きく働いているのだが、その逆のプログラムを持っているのではないかという仮説である。
 
つまり、愛は繁殖を抑制させるためにも働くという事である。
 

人口調節のプログラム

人類の繁殖のスピードはそれほど早いという訳ではないが、文明の発達により、自然なスピードをはるかに越していることは事実である。
 
生物が死滅する理由はいろいろあるが、人口爆発による餓死もその中の一つである。
 
個体数が増えすぎると、生存基盤を食いつぶして絶滅してしまう恐れが高く、そうならないように個体数を調整する性質が遺伝子に組み込まれている(密度効果)。
 
アメリカのパールは、ショウジョウバエの個体数増加について研究し、十分な餌を与え、生存の邪魔になるような排せつ物なども除去しているにもかかわらず、個体密度の上昇に伴って卵を産む数が減ってゆき、ある程度以上の密度になるとほとんど増えなくなることを確かめた。
 
これは、ある生物種が大発生してその生存基盤となる食料生産環境を食いつぶして絶滅してしまうこと避けるために、自然淘汰を重ねて進化史上備わってきたメカニズムだと言えます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10153064805
 
レミングの集団自殺は有名である。
 
生物の個体数を適切に調整する機能を生物は持っている。
 
生殖が多すぎて、ぎゃくにその生物の生存を危うくしない様な安全弁である。
 
生物は個体を単位に考えるより、集団でとらえたほうがいい場合がある。
 
蟻や蜂の社会性を持つメカニズムを考えた時、それは納得できるからである。
 
蟻の集団の中で2割の蟻たちは、働かないとされているが、危機的状況になるとその蟻が働くという。
 
同性愛者を働かない蟻に例えると、非難ごうごうだと思うが、そんなニュアンスは強い。
 
人類が過剰に増えすぎる事を抑制した、愛情メカニズムが同性愛だという仮説を思いついた。
 
同性愛は人類の謎だったのだが、ある意味、人口を自動的に調節する、緩やかで平和的な調節機能だと思う。
 

人口爆発

レミングのような集団自殺などの過激な行動をとらないように、また破滅的な戦争で人類が死に絶えないような安全弁のような気がする。
 

集団自殺 http://karapaia.com/archives/52252692.html

 
先進国社会は高度な医療を獲得していて、平均寿命がどんどん上がっていく。そして少子化が問題になっている。
 
しかしその現象は、医療が発達した社会だけであり、後進国や発展途上国では、人口増加の食糧難という現象が今でも起きている。
 
世界人口は1800年に10億人を突破し、1940年に23億人、1970年には37億人になり、2016年現在で74億人へと急上昇している。
 
「人口増加で食糧難になり人類は滅亡する」というシナリオが、30年ほど前まで世界中に巻き起こっていたのを覚えているだろうか。
 
人類の未来は、人口減少になると予測している学者もいるが、それなら人類が滅亡する可能性は低いだろう。
 
しかし人口爆発が引き起こすのは、食糧難、エネルギーの枯渇による戦争状態である。
 
つまり、人口爆発は人類を滅亡に追いやる最悪の現象なのだ。
 
人間は科学と社会構造で、人口の調節をある程度やれるようになってきた。しかし、それは人類の過信であり、綱渡りである。
 
生物の遺伝子は、人間が科学というものを手に入れ、自然の仕組みをどんどん弄ろうとしていることは、予測しなかっただろう。
 
しかしそれは片面の話で、今後数十年で増加する世界人口の50%以上はアフリカに集中すると言われている。
 
人口爆発による人類滅亡のシナリオは、しっかり息づいているのである。
 
人類の進化は、人知を超えている。
 
なぜ進化といわれる変化を、生物は繰り返しているかというのも、謎のままである。
 
生殖の為の様々な機能を持つ人類が、最適な変化を得られるために、生殖を抑制する機能を持たないわけはないのだ。
 

アクセルとブレーキ

それが、異性愛者と同性愛者ではないか。
 
人間の人口調節は、病気や天災、そして戦争である。これらは、過激で防ぎようもないものもある。
 
しかし、遠い未来にそれらを克服できた時、人類は人口の過剰という問題にぶち当たるだろう。
 
その時に、この愛による人口調節機能がうまく働くのではないか。
人間は、生殖の為だけに愛があるのではないので、様々なものを愛する事ができる。
 
つまり、愛と生殖行為は、やはり別々にあり、その使命も違うのだ。
 
動物や昆虫に愛があるかは、話せないので聞くことはできないが、人間が愛と呼ぶ現象は、存在するはずである。
 
それにより思考パターンに化学的変化が起きて、同性愛が発生するのだと推測する。
 
そしてそれは、何かの力で抑制もされている。
 
ゲイやレズの人たちが、一定以上増えないのはその為だろう。
 
そして、平和な時代の私たちは、その同性愛という現象がなぜあるのかわからないだけだと思う。
 

遺伝子

私は、大きな視点の遺伝子的メカニズムがある事を信じる。
 
こうなると、遺伝子を神とする、遺伝子教の信者のようだが、なぜ生物は存在するのかなどいう事がわからない以上、仮説にすがるしかないのである。
 
ずーっと考えてきて、今この仮説にたどり着いた感がある。しかし、この仮説もいつか覆されるかもという予感は当然ある。
 
ただ、「愛」が生物の未来に大きくかかわっているという事を、確信できた事は満足である。
 
陳腐な言葉だが、「愛は人類を救う」という言葉も、違う意味で、真実だと思う。
 
 

同性愛

 

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