竹島ってなんの島?

2020年現在「トリニクって何の肉」という番組がある。

大学生や芸能人の無知ぶりと突拍子もない答えが、単純に面白い。まあ、やらせなのかもしれないが、どこまで、おバカの面白さを維持できるかが楽しみでもある。

しかし、あまり他人の無知を上げへつらっている場合でもなく、私の子供たちも、どこまで社会的な事を知っているのか心配である。

そこで、竹島の話をする。

竹島と聞いて、ピリピリする人はこの時点で、HPを閉じてほしい。言い合いなどしたくないからである。

竹島の位置

グーグルアースにある竹島  左が鬱陵島 右が竹島

現在の竹島

まず竹島は島根県にある。

竹島は、日本において幕末以前は「松島」と呼ばれていた。

この近くに韓国領の鬱陵島というのがあり、この島の事を「竹島」と呼んでいた。

これが基本。

松島(今の竹島)之絵図

松島絵図

そして、幕末から明治中期にかけて西洋で作成された地図では、鬱陵島が誤って「松島」と記載され、それが流布した。

つまり、西洋の地図が間違って、「鬱陵島(ウルルンとう)」の名前を「松島」と書いた。

そこで、日本の「松島」を「竹島」と呼ぶことにしたという経緯がある。

1656年頃(江戸時代 第4代将軍徳川家綱)の竹島の地図には、「松島之絵図島之惣廻リ壱里之内 隠岐国より松島江之渡海道範百里余 松島より竹島江道範三十里余」の記載がある。つまり、昔の地図には松島と書かれているのである。

韓国側の主張

日本の言い分ばかり書いては片手落ちになるので、韓国側の主張も書く。

韓国は、歴史書『太宗実録』太宗17年(1417年)の条に初出する「于山島」を現在の竹島(韓国名:独島)であるとし、『三国史記』(1145年)に記された「于山国」であるとして古来から先占してきたと主張している。

確かに于山島について書かれているが、記録には「于山(ウサン)国は溟州正東の海島で、鬱陵島とも呼ばれたと記録」されている。

つまり歴史書にも于山(ウサン)は、鬱陵島であるとしっかり書かれているのに、于山(ウサン)島は竹島(韓国名:独島)の事だと主張している。

わけが分からない。

朝鮮八道総図

『新増東国輿地勝覧』(1530)付属の「朝鮮八道総図」を見てみると、確かに島が二つ書かれている。

竹島だと言い張る島には「鬱陵島(ウルルンとう)」と書かれている。そして韓国側に「于山島」とある。

しかし、現実には「鬱陵島(ウルルンとう)」の西側にはなく、東側にちいさな「于山島」という名の島がある。

そして、実際には「于山島」は地図上に存在していない。

グーグルの地図。海の上には鬱陵島しかない

「于山島」は架空の島なのだが、歴史的にみると、于山という地名は存在しており、鬱陵島の事であると書いている。

まあ、位置関係で見ても「于山島」が、日本の竹島であることはあり得ない。

しかし、これで引き下がる韓国ではない。なんと捏造してしまう。

韓国政府によって鬱陵島(ウルルンド)に建設された「独島博物館」のレリーフがそうである。

産経新聞

勝手に位置を入れ替えてしまっている。これをやっちゃーおしまいだ。

そしてここからがややこしい。

于山島 https://mogiseka.at.webry.info/upload/detail/131258308029613104643.jpg.html

「于山島」は現在の「竹嶼(ちくしょ)」なのである。

少し前に書いた文を思い出してほしい。

日本では、幕末以前は「竹島」を「松島」と呼んでいた。

そして、この近くに韓国領の鬱陵島の事を「竹島」と呼んでいた。

鬱陵島を竹島と呼んでいたのは、鬱陵島の「竹嶼(ちくしょ)」という場所があり、そこから「竹島」という呼称が使われていたのである。

 

鬱陵島は大きく、三国史記によると、鬱陵島は于山国として独立していた。

512年に朝鮮本土の国(新羅)に服属させられ、11世紀初頭には女真の侵攻によって滅びたと考えられている。

それなりに、記録に残っているのである。

そして、倭寇が現れた時代、鬱陵島の島民までもが倭寇を装って(仮倭という)半島本土を襲うことがあったため、1417年、李氏朝鮮の太宗はこの対策として、同島の居住者に本土への移住を命じた。

これを倭寇対策としての「空島」政策という。

その後460年以上に渡って無人島となったのだ。

その地に、日本の商人が鬱陵島の独占的経営を幕府公認で行っていた。

この鬱陵島は、多くの竹が生えていたので竹島というと、1745年(英祖21年)に成稿した李孟休の『春官志』に書かれている。

いろんな記録に鬱陵島の事が載っている。

なので、鬱陵島は韓国の領土である。これは誰も否定していない。

しかし、この鬱陵島に、日本から行くとき、中継地点にしていた、小さな竹島(昔の松島)をも、韓国の領土と言い張っている。

日本の小さな竹島(昔の松島)の事など、朝鮮半島のどの記録にも、載っていないのにだ。

つまり韓国の主張は、無理があり、こじつけ、嘘の塊だという事がよくわかるのである。

安龍福

韓国の言いがかりは、実はこれだけではない。

安龍福(アンピンシャ)という朝鮮人が登場する。

安龍福“将軍”銅像 将軍でもないのにいつの間にか将軍になっている。

ちょっと込み入っているのでかなり省略する。

竹島一件(たけしまいっけん)という事件がある。ウィキペディアには詳しく載っているので、興味のある人は参考にしてほしい。

この安龍福は、粗暴な詐欺師のようで、朝鮮でも「風来の愚民」と言っているくらいの男である。

この安龍福(アンピンシャ)が、1692年、1693年に、日本が管轄していた鬱陵島に、朝鮮人一団が乗り込んできた。

たぶん密漁に来たのだろうといわれているが、この時に鬱陵島の領有問題が、両国間で起きることになる。

結局、捕まえた朝鮮人二名は本国に送還される。

その後、江戸幕府と朝鮮側は交渉し、結局、鬱陵島(昔の竹島)は朝鮮で、松島(今の竹島)は日本領という事になった。

この事を朝鮮側は、日本は「竹島一件」において松島を竹島(鬱陵島)の属島と見なし同時に自ら放棄していた、とする考えが韓国側を中心にあるようになった。

しかし、日本側としてみれば、朝鮮との交渉において松島(今の竹島)の名は一切出てきておらず、朝鮮側の地図を見ても朝鮮政府は松島(今の竹島)を全く認識していないことが分かる。

結局、安龍福が日本へ朝鮮の領有を直訴しに来た大きな理由は、豊富な鮑やワカメが大量に採集できる漁場とそのための居住ができる大きな島(鬱陵島)を独占したかったからではないかとされる。

彼が朝鮮で言いふらした、鬱陵島の近くの小さな于山島を松島(今の竹島)だといい、「日本の将軍より鬱陵島と于山島は朝鮮領だとする書付をもらっている」というのも、日本では嘘だとされている。

そして、いつもの事だが、詐欺師みたいな乱暴者の安龍福は、松島(今の竹島)を韓国のものだと日本の将軍に認めさせた人物として、英雄視され、中高教科書にも載り、安龍福が漁労に出ていた鬱陵島には「安龍福将軍忠魂碑」が、また居住していた釜山には「安龍福将軍像」が立っている。

歴史の経緯を調べれば、ちゃんと記録に残っているに、嘘をつきとおすやり方は、韓国の十八番である。

めんどくさい話なのだ。

李承晩ライン

最後にもう一つ、李承晩(りしょうばん)ラインを説明する。

李承晩ライン 産経ニュース

第二次世界大戦で敗戦を迎えた日本は、無条件降伏をして1952年に「サンフランシスコ平和条約」にサインする。

負けたんだから、アメリカを筆頭にした西洋勢のいう事を丸呑みしなくてはならない立場だった。

この「サンフランシスコ平和条約」で、放棄させられた領土群を記する。

済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄

千島列島と南樺太を放棄

尖閣諸島と沖縄

以上である。

この時、韓国はアメリカに対して日本が「竹島」も放棄するように求めたが、アメリカが拒否している。

この時点で、竹島は日本の領土という事が、国際的に確定している。

しかし、このままで終わらないのが韓国である。

1952年(昭和27年)に韓国初代大統領・李承晩が大統領令「隣接海洋に対する主権宣言」を公表し設定した韓国と周辺国との間の海洋境界線である。

そして、そのライン内に竹島を取り込んだ。

李承晩

1952年2月12日 、アメリカは、韓国政府に対し、李承晩ラインを認めることができないと通告したが、韓国政府はこれを無視した。

ここで、おかしいと思う人も多いだろう。

現在のアメリカは日本と仲がいい。なぜ、韓国の無法ぶりを咎めなかったのかという事である。

これに対して、アメリカが、また日本と韓国がくっついたらまずいので、アメリカはほっておいたという説明をする人もいる。

だが、GHQ(アメリカ)は、韓国の竹島強奪、対馬強奪計画に激怒して、韓国内の国連軍を全て引き揚げさせた。

そうすると、そのすきに、北朝鮮が38度線を越えて南下し、ソウルを占領してしまった。

朝鮮戦争の激化である。

進撃を続ける北朝鮮に中国軍が合流し、連合軍は南部まで押し込まれてしまう。

しかし、国連軍も踏ん張り、マッカーサーの奇襲攻撃で大反撃が成功する。

このすさまじい、戦闘のせいで、李承晩ラインの制裁はうやむやになってしまったのだ。

李承晩ラインは、その後も禍根を残す。

朝鮮半島を統治していた日本と、韓国の間では賠償請求権を巡って紛糾し、解決の糸口は見えないし、アメリカは日本韓国間の争いに、積極的に介入しなかったからである。

しかし、日本の努力と韓国の思惑により、日韓漁業協定を締結。これにより李承晩ラインは自動的に無効・廃止となった・・はずだのだが。

しかし、竹島を韓国は違法占拠をしているのが現状である。

なぜ竹島は重要なのか

竹島という小さな島が、なぜ重要かというと、「領海」問題があり「排他的経済水域(EEZ)」という単独で経済活動(漁業・地下資源開発)を行う権利がある。

つまり経済的に大きい存在であるという事と、領土を守るという点から、最重要なのである。

しかし、李明博大統領が大統領初の竹島への上陸をして、反日をあおるなどのパフォーマンスなどで、違法占拠の終わりが見えないのである。

日韓漁業協定

最初に戻って竹島ってなんの島

子供に教えるのに、こんな込み入った状況を話しても、なかなかぴんと来ないだろう。

そこで、話は単純明快になる。

「日本の竹島は、韓国が違法に占有している島なんだよ」という答えしかない。

たぶん子供が言うだろう。

「警察が行って、追い払えばいいのに」と。

そう、警察は無理でも自衛隊なら、実力で取り戻せるだろう。

「なぜ、しないの」と子供は聞くだろう。

「日本は喧嘩したくないんだよ」と、私は答える。

「だったら、裁判所に言えばいいのに」

「そうだな、日本は裁判をしようと言ってるんだけど、韓国は無視してるのさ」

「ふーん、ダメじゃん」

これ以降の話は、日本の弱腰を話さなくてはいけなくなるし、いろいろ話しても言い訳になってしまうだけである。

「大丈夫だよ。お前たちが大人になるころには、問題は解決しているはずさ」

そういって、私は利口そうな顔をして、パイプをふかすのだ。

竹島って、そんな島なのである。

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