アメリカ合衆国の歴史 戦う国の成り立ち
知っているようで、よく知らない部分があるアメリカの歴史である。
アメリカ大陸と言えば北と南がある。
今回は北アメリカの話である。
アメリカ先住民
北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。
彼らインディアンは氷期であったおよそ3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。
クリストファー・コロンブス
インディアンと呼んでいるが、現在はアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)と呼ぶことの方が多くなった。
ご存じのように由来はインディアンという呼び名の由来は、クリストファー・コロンブスがカリブ諸島に到達した時に、インド周辺の島々であると誤認し、先住民をインディオス(インド人の意)と呼んだことからである。
コロンブスはアジアの大陸と勘違いしていたのだが、イタリア人の探検家アメリゴ・ベスプッチは新大陸と確信していた。この事により「アメリカ大陸」が一般的になっている。
この文では、わかりやすさを考え通名インディアンと書く。
人類学者によると、北米インディアンは、今から3万~1万年前にシベリアからベーリング海を渡ってやってきた人々だが、一種類の人たちが渡ってきたのではなく、さまざまな時期にさまざまな経路を通って段階的に北米大陸にやってきている。
なので、実際には多数の部族が存在し、また部族に固有の文化形態や社会様式を持つ。
縄文人はD系統でインディアンQ系統
縄文人とインディアンは同じモンゴロイドなので、縄文人は太平洋を渡ったか、ベーリング海づたいで北米に行ったという説がある。
また北米の古代遺跡で縄文土偶と同じようなものが発見されたという話もあるし、9300年前のケネウィックマンの遺骨が日本のアイヌ人やポリネシア人との類似性が高い事が発表されている。
ただ、全体を見れば、アメリカ大陸先住民のY染色体ハプログループはハプログループQが大半を占めていて、Q系統はケット人やセリクプ人などのシベリアの一部でも見られるが、ユーラシア大陸ではあまり見られない系統である。
これにより、紀元前にヨーロッパから北米に直接移住があったとする可能性がうかがえる。
昔はモンゴロイドの系列に含められたが、Y染色体の研究により彼らの男系先祖が白人に最も近いことが判明しこの手の議論は収束しつつある。
インディアンは独立独歩
特徴的なのは「インディアン」という統一的な意識はあまり持たず、それぞれの部族は高い独立性を持ち、互いの部族は友好、あるいは敵対関係にあった。
白人が、あるインディアン部族を攻撃する時、その部族と敵対する別のインディアン部族が白人側について共に攻撃することも、珍しくはない。
また、インディアンは白人と比べても、極端なほどの個人主義の文化を持っており、白人や他部族との戦争においても参加は個人の自由に任された。
そのため、多くのインディアン部族が一致団結して白人に立ち向かうという事は少なかったという。
インディアンは、独自の歴史、掟、詩をもち、ヨーロッパ人よりずっと平等に暮らしていたのは事実である。
かれらは部族社会を形成していたが、異種の文明である白人を受け入れたインディアンは、多くは友好的で、白人を交易の相手と考えた。
この事が略奪者であるイギリス入植者たちを増やし、白人によるインディアンの虐殺が繰り返され、インディアンは次第に西に追いやられていくこととなった。
情けがあだになった典型である。
西洋人たちの入植
入植時の記録に書かれている特徴的な文章がある。
彼らは武器を持っていませんし、それがどんな物かも知りません。私が彼らに剣を見せましたところ、刃の方を手に持って、知らないがために手を切ってしまったのであります。
鉄器は全然持っておらず、その投げ槍は、鉄の部分がない棒のようなもので、尖きに魚の歯などをつけております、‥‥彼らは利巧なよい使用人になるに違いありません。‥‥私は、彼らは簡単にキリスト教徒になると思います。‥‥
ラス・カサス(15世紀スペイン出身のカトリック司祭)『コロンブス航海誌』林屋永吉訳 岩波文庫
これが西洋人の態度だった。
ポカホンタスの大嘘
ポカホンタスはネイティブアメリカン・ポウハタン族の酋長の娘で、ディズニーのアニメにもなっている話がある。
ポウハタン族は友好的で、ジョン・スミスというイギリス人たちがやってきて困窮しているときに、彼らに食糧を援助している。さらに入植者の町ジェームズタウンが飢餓に陥った時期にも、ポウハタン族は食料を届け、入植地を全滅の危機から救った。
しかしイギリス人は恩をあだで返し、ポカホンタスを人質にとりポウハタン族をねじ伏せてしまった。
さらにポカホンタスは、白人のジョン・ロルフによって無理やり妻にされ、大英帝国に連れられ「ネイティブアメリカンの姫」としてもてはやされるがポカホンタスは病気になり23歳前後で死去している。
このポカホンタスの話を白人との美しく悲劇なラブストーリーとして、物語が作られたが、全部大嘘である。
アメリカが多民族国家である理由
ヴァージニアやカロライナにはイギリス人(ニューイングランド)、ルイジアナにはフランス人が(フレンチルイジアナ)が住み始める。
この「開発」は主にイギリス人とフランス人2つの民族によって行われた。
それ以外ではデラウェアにはスウェーデン人(ニュースウェーデン)、フロリダにはスペイン人(ヌエバ・エスパーニャ)が入植している。
それぞれ思い思いに今日のアメリカ合衆国の範囲に植民地を築いてしまっている。
この事により、北米ではアメリカ合衆国となるまで、幾度となく戦争を繰り返したのだ。
カトリックとプロテスタントの対立
16世紀に欧州でプロテスタント(新教徒)出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こると、ピューリタン(清教徒)による1620年の移民(メイフラワー号)をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植した。
彼らは先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばし、1620年のメイフラワー号の移民は現在でもアメリカの新教徒の間で偉業として称えられている。
定住の歴史
まず入植した白人の移民は、東部の海岸地方をインディアンから奪い、定住していった。
北米大陸でのイギリス人の殖民の最初は1607年のヴァージニア、に始まり、最後の1732年のジョージアまでに13植民地が大陸東部の大西洋岸に形成された。
その13植民地が形成される間には数多くの戦争が起こっている。
特にイギリスとフランスの入植者は争うようになり、インディアンとの利害の対立も表面化した。
この間の戦争を挙げると、ウィリアム王戦争(1689年~)アン女王戦争(1702年~)、ジョージ王戦争(1744年~)、フレンチ=インディアン戦争(1754年~)がある。
すべてが領土の奪い合いだが、結局イギリス軍が勝利する。
その結果イギリスはカナダとミシシッピ以東などを獲得し、フランスはミシシッピ以西を残すのみとなった。
イギリスはフランスとの長い戦争中で疲弊したため、植民地住民に対して重税を課す。これに反発したアメリカ植民地住民はイギリスと戦争を起こす。
これが独立戦争である。
連合アメリカ軍は大苦戦したが、カナダから南下したイギリス軍を迎え撃ったアメリカ軍はサラトガの戦いで大勝し戦局は転換、フランス、スペイン、オランダがアメリカ側に付き、ロシアは武装中立同盟を結ぶ。
こうして国際情勢はアメリカ独立に圧倒的に有利となった。
1783年の講和条約であるパリ条約でアメリカは独立を認められ、さらに国境をミシシッピ川まで伸ばすという勝利で終わった。
そして、1789年初代アメリカ合衆国大統領にジョージ・ワシントンが就任する。
領土の拡大
アメリカは独立を果たすと、フランスからルイジアナ周辺の地域を買収。
1845年にはテキサス併合。1846年には米墨(メキシコ)戦争との戦いに勝利して西海岸を手に入れた。
こうして今のアメリカの大部分の領土を手に入れることになる。
南北戦争(1861年から1865年)
アメリカ北部は産業革命の煽りを受けて工業が大きく発達していた一方、南部は農業中心の綿花輸出が大きく発達していた。
そして、この戦争には奴隷問題が大きくかかわっている。
北部を中心に奴隷制反対を訴える共和党が結党され、農民の支持が多かった民主党と対立した。そして1860年に大統領となったのが共和党エイブラハム・リンカーンが登場する。
二大政党制はこの時から始まる。奴隷制反対を訴える共和党(リベラル)、奴隷制賛成が民主党(保守)。しかしこの両党の価値観はどんどん変わっていき、現在では逆になっている。
重工業化の進んだ北部では労働者が不足する事態となったので、19世紀初頭に続々と黒人奴隷を解放して、労働者として使用した。
一方、南部では19世紀半ばを過ぎても黒人を奴隷として使用し、広大なプランテーション農業を行っていたが、北部の工場を経営する資本家はこの豊富な黒人労働力を必要としていた。
しかし、英国からの綿花需要が拡大し、南部ではますます黒人奴隷に頼る産業構造となった。
つまり北部は奴隷を開放し労働者にしていたのだが、南部は奴隷のまま使っていたのである。
日本人にしてみれば、結局奴隷をこき使う事であり、あまり理解できない。まあ領土拡大で、インデアンを駆逐した西洋人の考えなど理解できるはずもないと思う。
結局、工業が盛んで武器弾薬を多く作ることができる北部が勝利する。
西部開拓時代 (1865年から1890年)
勝利した北部中心に急速な経済成長を遂げて、アメリカは金ピカ時代と呼ばれるほどになった。
横断鉄道の完成によって西部との物流・交流が活発になり、西部開拓時代が到来した。
1848年に旧メキシコ領カリフォルニアで金鉱脈が発見されると、一攫千金を狙った多くの白人が移住した。
いわゆるゴールド・ラッシュである。ヤヒ族などは、金鉱採掘者によって絶滅させられてしまった。
フロンティア・スピリット、アメリカン・ドリームという信念が誕生したのもこの時代である。
西部の最大反抗勢力のスー族も負け、南西部でアパッチ族のジェロニモが投降し、「開拓に邪魔なインディアンの掃討作戦は終了した」として、合衆国は1890年に「フロンティアの消滅」を宣言している。
鎖国とモンロー主義
モンロー主義とは1823年のモンロー大統領の外交理念で、アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国に干渉しないが、同時にアメリカ大陸全域に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対する、という思想である。
日本も同じように国を閉ざしていた鎖国というのがある。
鎖国は1639年から行われていたし、中国の清も「海禁政策(1371年から)」というのがある。
国を固めたい時や外圧が強い場合に、国を閉ざすというのは、どこの国でもやっていたのである。
帝国主義時代 (1890年から1918年)
アメリカ人はこぞって太平洋上の島々へ移住していった。
有名なハワイだが、昔はは太平洋を渡ってやってきたポリネシア人たちが平和的に住んでいたが、1778年のイギリス人のジェームズ・クックに発見されてしまう。
それ以降は、島同士の内戦を経てハワイ王国という100年に及ぶ統一国家が出来たのだが、白人勢力はやがてハワイ人国家を倒し、1900年にはアメリカ合衆国の領土として併合し、領土を太平洋上まで拡大した。
さらに同年、スペイン領キューバの独立戦争に便乗して、スペインとの間で戦争を起こした。
米西戦争とそれに続く米比戦争に勝利すると、中米の多くの国からスペイン勢力を駆逐して経済植民地(バナナ共和国)とし、キューバを保護国に、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを植民地化した。
フィリピンVSアメリカ
スペインをやっつけたアメリカから、独立したいならアメリカに協力しろという事で、フィリピン軍はアメリカと共に戦い、スペインを追い出した後、独立宣言をするのだが、アメリカは手のひらを返し、フィリピンの独立を認めようとしなかった。
アメリカはパリ条約(1898)でフィリピンをスペインから2000万ドルで買い取って占領する。
それに怒ったフィリピンはアメリカと戦争を起こす。
戦力でかなわなかったが、ゲリラ戦で抵抗、だが指導者アギナルドがルソン島北部で捕虜となり、1902年に敗北した。
米上院に報告された数字では米軍は1902年までの4年間でフィリピン人20万人を殺害したとある。
アメリカのアジア侵攻
アメリカは自国の開発がひと段落した後、次なるフロンティアを求めて、太平洋、アジアに手を伸ばしてくる。
これはこの当時の西洋列国のアジア植民地化に、後発として参加したことであり、アジアは西洋の餌食になっていた時期である。
そのアジアで唯一植民地にされていない日本があった。日清、日露と西洋の外圧に抵抗しながら戦争に勝っていく。
この事が、西欧諸国には恐怖だった。そして黄禍論の矛先の中心は中国から日本となったのである。
第一次世界大戦 (1914年から1918年)
1914年、サラエボ事件を契機に第一次世界大戦が勃発する。
この大戦の原因は、世界中を植民地にしようとした西洋国どうしの争いである。
具体的に言えば三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との対立で、この戦争で飛行機、潜水艦、毒ガスなど新しい武器が出現し、戦争の形態を一変させている。
アメリカは当初この戦争には乗り気ではなかったので、連合国への物資支援のみを行っていた。
だがこの戦争によりアメリカ国民に死傷者が出ると、国内の空気は一変し、参加へと舵を取る。
日米共同のシベリア出兵
この時、ロシアで革命が起こり、ソビエト連邦が発足すると、チェコ軍団の救出のため、日本と共にシベリア出兵を行った。
この時、約束として日米は兵力を同数の1万2千人までとしていたのだが、日本軍は7万2千の大軍を、アメリカは7千人の派兵となった。
1918年11月にはドイツ軍が降伏し第一次世界大戦が終結したため、米軍はソ連から撤退したのだが、日本軍はその場に残り続けたため、アメリカは日本を特に警戒するようになる。
後発で参加したアメリカ軍により第一次世界大戦は連合軍の勝利となったので、アメリカは一躍脚光を浴びている。
アメリカ経済は、戦争で消耗したヨーロッパに変わって世界の工場として輸出を拡大、アメリカは史上最高の繁栄を謳歌している。
これは日本も同じだった。これを大戦景気、大正バブルと呼んでいる。
アメリカの繁栄の光と影
この時期に、ニューヨークなどは摩天楼と呼ばれた高層ビルが立ち並び、トーマス・エジソンによる電気の普及、グラハム・ベルの電話、ラジオ・新聞の発達によるマスメディアの成長が起きる。
またリンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功したり、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグなどの野球スターが登場して市民を熱狂させ、大資本によるハリウッド映画が製作された。
また大衆市民が手軽に株や土地を売買し、情報網の発達に伴って大都市を中心に流行したが、
だが、大規模なストライキなどが頻発し、富を目当てにやってくるユダヤ人やカトリックなどの新移民に対して差別感情がひろがる。
黒人の反乱が地方都市で頻発したこともあり、クー・クラックス・クラン(KKK)などの人種差別団体が組織され、黒人や新移民を弾圧した。
また1920年代には日本人による移民が急増したが、これら日系アメリカ人が社会的に成功する様に危機感を抱いた勢力によって、排日キャンペーンが繰り広げられ、日本製品のボイコットなどが行われた。日系移民の多いカリフォルニア州で排斥運動は高まり、排日移民法が制定される。
これらは繁栄に付きまとう影の部分だが、人種のるつぼと言われるアメリカ多民族国家ゆえの現象でもある。
しかし繁栄には衰退がつきもので、過度な投資や農作物の生産過剰などから世界恐慌が起きる。
アメリカはローズヴェルト大統領の打ち出したニューディール政策(救済(Relief)、回復(Recovery)、改革(Reform)の3Rの政策)で、乗り切ろうとするが、回復までには至らなかった。
第二次世界大戦 (1939年から1945年)
この戦争は、ドイツに課せられた巨額の戦争賠償を課せられた事からスタートする。
広大な植民地市場や豊富な資源を持たないドイツやイタリアはこの賠償金を払いきれず、両国の国民は絶望感と被害者意識をつのらせ、ファシズム、ナチズムを誕生させてしまう。
まさに窮鼠猫を噛むが現実化してしまったと言える。
1939年9月、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発する。
短期間で西ヨーロッパの大部分はドイツに占領され、イギリスも攻撃によって疲弊し、チャーチルは再三にわたってアメリカに参戦を求めた。
さて日本だが、三国同盟によってドイツと同盟関係にある日本は、中国大陸での満州国の設立を行っていた。
なぜ満州国を作ったのかと言えば、西洋人による中国の利権争いの中で、やっとの事でロシア軍に勝ち、満州国の利権を取り付けたからである。
満州は資源の乏しい日本が西洋人たちから押しつぶれないようにするための国家生存に必要不可欠な場所だったからだ。
満州国は、植民地の少ないアメリカにとって、ぜひとも欲しい地域だったので、たびたび日本に介入してくる。だが日露戦争で獲得した南満州地域での権益(鉄道)を決してアメリカに譲ろうとしなかったので、ここに日米の戦いの火種があった事は事実である。
多くの歴史書では、日本もファシズム国家とされているが、ファシズムとは権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制の事を言う。これはイタリアのファシスト党の活動から起こったものである。
侵略政策と言えば西洋列国が行った植民地政策がまさにそれである。
西洋列国の植民地政策により、市場を強奪した国々は、第一次世界大戦後の不況を、ブロック経済という植民地を利用した貿易で乗り切ろうとする。
第一次世界大戦で戦勝国になった日本だが、西洋人たちからの風当たりは強く、アジアの中で西洋人たちからよく思われていなかったこともあり、満州国を植民地化しようとする日本は目の敵にされている。
結局、ドイツ、イタリアと同盟を組んでしまった日本は、ファシズムといういわれない汚名を着せられてしまうのだ。
この件に関しては、複数の意見がある。私の意見はこれまでとしたい。
アメリカによる日本への経済制裁
アメリカは西欧と共に経済制裁を行っていたが、特に1941年7月の南部仏印進駐は、東南アジアの油田に対する侵攻準備と受け取られた。
アメリカはこれに対して「ハル・ノート」として知られる強硬な交渉案を突き付け、12月に日本がハワイ真珠湾を攻撃した。
ハル・ノートとは日本軍の中国および仏領インドシナからの全面撤兵要求、蒋介石政権以外の政権の承諾拒否を要求する内容である。
ルーズベルトは即座に参戦を表明、枢軸国に対して宣戦布告した。太平洋戦争の始まりであった。
その後
第二次世界地戦後のアメリカは国際連合を主導すると共に、西側資本主義陣営の盟主として、社会主義ソ連を封じ込める政策を採り冷戦を展開した。
つまり、アメリカは世界の警察となり、共産主義との戦いを始める。
朝鮮戦争、ベトナム戦争がそうである。
さらに多国籍軍を編成してイラクを攻撃する湾岸戦争、対テロ戦争である、アフガニスタン攻撃、イラク戦争と海外派兵もある。
記憶に残る大統領たち
初代アメリカ合衆国大統領 1ドル札肖像 ジョージ・ワシントン
アメリカ独立宣言の起草者 トーマス・ジェファーソン
「好感情の時代」モンロー政権期 ジェームス・モンロー
「人民の人民による人民のための政治」 エイブラハム・リンカーン
アメリカとスペインの戦争 ウィリアム・マッキンリー
第二次世界大戦 フランクリン D. ルーズベルト
ポツダム宣言 日本への原子爆弾投下 ハリー S. トルーマン
1960日米安全保障条約の締結 ドワイト D. アイゼンハワー
アポロ計画 キューバ危機 ジョン F. ケネディ
ベトナム戦争 リンドン B. ジョンソン
ウォーターゲート事件 1973ベトナム戦争終結 リチャード M. ニクソン
1979米中国交正常化 ジェイムス(ジミー)・カーター
INF条約調印(中距離核戦力廃棄をソビエトと締結) ロナルド・レーガン
1989マルタ会談(冷戦終結)1991湾岸戦争 ジョージ H. W. ブッシュ
1998ジャパン・バッシング ウィリアム(ビル)・クリントン
2001アメリカ同時多発テロ事件 イラク戦争 ジョージ W. ブッシュ
ノーベル平和賞受賞 バラク・オバマ
中国貿易戦争 ドナルド J. トランプ
アメリカ合衆国歴代大統領とその歴史 より抜粋
https://ny-benricho.com/basic-info/us_president/
駆け足で歴史を書き綴ったが、アメリカの印象と言えば、戦う合衆国という感じである。
そして大東亜共栄圏という日本の野望を打ち砕いた国でもある。
現在は日米安保で協力体制にあるが、大きくうねり続けるアメリカの未来が全世界に影響を与えるほど大国となっていった。
現在、共産国中国との戦いをスタートさせている。
まさに「戦う国アメリカ」なのである。