肥前、肥後の"前後"とは
都に近い方が" 前" 遠い方が "後" です。
筑前・筑後、豊前・豊後 などががあります。
また、前後でなく上下に分割する場合もありました。
国名につけられた「前・後」や「「上・下」の意味は、国名をつけるときに、 都と地方を結ぶ重要な街道(かいどう)にそって、 都に近い方が「前」、遠い方が「後」とされたことにあります。
昔の国名についている「前・後」や「上・中・下」にはルールがあるの?
http://www.teikokushoin.co.jp/kids/menu4/02_01.html
中野の雑学 より
しかし、都が京にあるのなら、近いのは熊本です。(今と比べてですが) という事は、肥後と呼ばれた地域は、今よりもっと鹿児島寄りだったか、小さかったという事になります。
西の果て長崎のほうが、肥後と呼ばれても不思議じゃありません。
ここは単純に、上にあるからですよね。
しかし、当時は地球が丸いなんていう知識もないし、今の私たちがいつも見ている地図もありません。
南北で決めるというのも釈然としない。
私たちは「北南」とはいいません。
「南北」といいます。
漢字からいえば、南が上にあっても良いし・・。
いちゃもんみたいですが、釈然としないのです。
奈良、京都が日本の中心になる以前、大宰府が九州の中心だったからだと思うよ。
「九州」という地名そのものが、本来「全世界」を表す言葉なのだから。