富士山が記紀に載っていない理由
富士山が古事記や日本書紀の中に出てこないという謎は興味があった。
これはなにかあるとワクワクしながら調べ始める。
しかし、いろんな本を読んでいくうちに、富士山だけを無視しているのではないなと思い始めた。
富士山はその時代の東国だ。編纂者は、どんなにすごい山だろうと、大和の歴史に関わらなければ記紀に載せなくてもいいと思ったに違いない。
現代の有名な新聞やマスコミも、同じような事を日常的に行っているからだ。
載せない自由って奴である。
そう思えば、記紀に掲載の偏りがあったとしてもなんの不思議はないからである。
古代の本の中には、富士山のことを扱った記述が実はある。
万葉集の「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」山部赤人(やまべのあかひと)、常陸国風土記には「福慈岳(ふじのたけ)」と記載されている。
其の事が余計に謎を膨らませたのだろう。
ほら、日本中が富士山を知っている。
それなのに、富士山は意図的に古事記、日本書紀で無視されている。
その理由は・・・という話になっているのだ。
私は九州の人間なので他のことで不思議だった。
記紀には、なぜ邪馬台国が載っていないんだろう。
さらに、なぜ記紀には、地名としての「阿蘇山」が書かれていないんだろう・・・と。
まあ古代は、奈良や京都の周りが大和の国なので、大和と関係ない場所の事は、とりあえずスルーしたと思えるのだ。
そして、其の理由は「大人の事情」だった。
富士山の事は知っていたけど、それに絡む大和の歴史はない。だから書かなかった。
次第にそう考えるようになった。
木花咲耶姫
逆に富士山のことを調べると、不思議なことに気がついた。
富士山の浅間大社の祭神、木花之佐久夜毘売の事である。
九州育ちの私は、木花咲耶姫は九州の神様だと思っていた。
それがなぜ富士山の祭神になっているのか。
そこに、すごい違和感があった。
浅間大社の祭神は浅間大神(あさまのおおかみ)とある。
いつからか、木花咲耶姫が有名になって、浅間神が別名扱いになっている記述も多い。
浅間大社のホームページには
「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。
と載っている。
まあ、言い伝えなので、この内容は深く考えないことにする。
最初は浅間神なのは、よく分かる。
ただ、古代より浅間神が木花咲耶姫だったというのは、やはりおかしい。
だったら、富士山のことは記紀にしっかり載ってないとまずいからだ。
浅間神と木花咲耶姫命が同一視されたのには、木花咲耶姫命の出産が関係しているとウィキペディアには書かれている。
木花咲耶姫は火の中で出産した姫である。
木花之佐久夜毘売は瓊瓊杵尊の子を一夜で身篭ったため、自分の子供ではないのではないかと疑う。
この疑いを晴らすため「瓊瓊杵尊の本当の子なら何があっても無事に産める」と願をかけ、産屋に火を放って出産した。
何という気性の強さ。
これこそ、九州女の鏡みたいな姫だ。
まあ神話の中でも、スター的な存在だったのだ。
その恐るべき気性の強さなのだが、その理由は、やはり阿蘇山が絡んでいると思う。
特別、記録があるわけではないので私の感想だ。
しかし、木花咲耶姫の事を調べると、少し謎が溶けてきた。
『古事記』では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)。
『日本書紀』では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)とある。
記紀に載っている本名の「阿多(吾田)」は、鹿児島県南さつま市から野間半島にわたる地域、また薩摩国(鹿児島県西部)にちなむ名で、「鹿葦」も薩摩の地名という。ウィキペディア
ここで奇妙な一致がある。
神武天皇の最初のお嫁さんも日向国吾田邑の吾平津媛を妃とし、息子の手研耳命を得た。
瓊瓊杵尊も神阿多都比売(かむあたつひめ)である。
このアタは、鹿児島県南さつま市から野間半島にわたる地域とされている。
つまり、この姫たちは同郷で、二人とも隼人出身である可能性が高い。
この事はどんな意味があるのだろうか。
隼人の女達
浅間神社の木花咲耶姫は、火の中で子供を生んだという。
火に強い女神だから、富士山にも祀ったということなんだろう。
隼人族は、神武天皇との関係が強く、大和朝廷でも特別扱いだった。その勇猛さは、神武東征を成功させたほどである。
富士山は恐怖の火山である。
そこで富士山を鎮めるために、隼人系の木花咲耶姫を持ってきたのだと思う。
大和の神では抑えることの出来ない、恐怖の活火山富士を治めるには、九州の隼人出身の木花咲耶しかいなかったのだろう。
そんな制御不能な「富士」の事を記紀に書くだろうか。
・・・・
だから書かなかった。
今回の結論である。