日本と朝鮮半島(4)  濊族と倭の共通点 

朝鮮半島の無文土器時代(紀元前1500年から紀元前300年頃)、この地域に住んでいたのは誰だろうか。

 

朝鮮半島の歴史

朝鮮半島の歴史を見れば、檀君朝鮮(紀元前2333年 - 紀元前1112年)という時代がある。
中国の史書には檀君に該当する記述がまったくなく、創作であると断言されているので、除外したい。

次に文献に登場する最初の国家は伝説的な箕子朝鮮であり、その後衛氏朝鮮が成立したと伝わる。

箕子朝鮮

まず箕子朝鮮(きしちょうせん)だが、中国の殷最後の王である帝辛(紂王)の親族である箕子が朝鮮に開いたとされる国家。

歴史学的には漢代(前206年-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の領域(漢四郡)に移住した漢人たちによって造作された神話・伝承であり、史実ではないとするのが一般的である。

衛氏朝鮮の位置 古朝鮮

次に衛氏朝鮮(えいしちょうせん、前195年?-前108年)。

中国の研究者の通説では、清川江を渡り、徒党1,000人を率いて朝鮮へと逃れ国を建てたという。秦・漢の混乱期以来、朝鮮に逃げこんだ中国人は数万人にのぼっていたとされる。

結局、中国の漢が衛氏朝鮮を征服した。

漢四郡

その後、衛氏朝鮮は滅亡して、故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ漢の領土となった。『史記』朝鮮伝は、「遂に朝鮮を定め、四郡と為す」と記した。

この歴史から見れば、朝鮮半島は中国人だらけだ。

しかし地図を見れば、朝鮮半島北部に漢四郡はある。

 

AI 漢四郡の南には、高句麗(紀元前1世紀頃から668年)、百済(4世紀ごろから660年)、新羅(4世紀中ごろから)、加羅諸国などの国がありました。

 

AIの答えはざっくりしすぎている。

知りたいのは漢四郡が出来た紀元前108年の頃の朝鮮半島南部の様子である。

少し時代が進みすぎた。

再度、古代朝鮮半島で稲作をしていた民族は誰という問いを、違うAIにしてみる。

 

古代朝鮮半島で稲作を行っていたのは、主に朝鮮半島の先住民族でした。具体的には、無文土器時代(紀元前850年から紀元前550年頃)に南朝鮮で大規模な水田が作られ、稲作が行われていました。

 

さらに、朝鮮半島の先住民族は誰という問いに、答えはなかった。

おそらく先住民族は倭人だったのである。

古代の朝鮮半島は現代と比べ人口も少なく諸種族が点在しており、半島南部には倭人、北部には沃沮(よくそ)、濊、扶余(ふよ)などの濊貊(濊はく)系、ゆうろう、を中心に定住していた。

ここでも、半島南部には倭人と書かれている。

これで間違いないと思う。

ただ、一つ気になる国がある。

濊(わい)族

2世紀頃の東夷諸国と濊貊の位置

 

濊は、中国の史書である『三国志』や『後漢書』などに記されている古代民族。

中国の正史および古文献によると、紀元前2世紀以来、約10世紀にわたり、朝鮮半島の咸鏡道から江原道にかけての沿海地帯および中国の松花江付近に実在し、漁撈・狩猟を主たる生業としながら、海産物を中国内陸へもたらすなど遠隔交易にも従事していた。また、麻を植えて麻布を織る他、桑を植えて蚕を育て、真綿の布を織っていた。

それ以外には、山や川が重視され、山や川にはそれぞれに所属するところがあって、みだりに他人の山や川に入りこむことは許されない。

また、生活・生産の場として、他集団の侵犯を許さない占有領域を形成し、死者が出ると旧宅を廃棄するなどの禁忌が多く、アイヌをはじめとする東北アジアの採集狩猟民との共通性が認められる。

穢人は長さ三丈(約12m)の矛を作り、これを時に数人で持ち、巧みに歩兵戦闘を行う。

三国志魏書穢伝によれば、穢の人々の性格は慎み深く、素直で欲深いところが少ない。

恥を知る心がある。また、後漢書穢伝によれば穢人の性質は馬鹿正直で、淡泊で、求めることが少ない。穢人は窃盗をしないため、人々は夜でも門戸を閉めず、また婦人は貞節である。

 

この文書だが、日本の邪馬台国の描写にそっくりだ。

魏志倭人伝は倭国の風俗については割と詳細に書き残している。

 

女は慎み深く嫉妬しない。
盗みは無く、訴訟も少ない。
稲、紵麻を植えている。桑と蚕を育てており、糸を紡いで上質の絹織物を作っている。
その風俗は淫らではない。

 

やはりよく似ている。

朝鮮半島になだれ込んで国を作ったのは、中国人である。

中国人には悪いが、古代から闘争を繰り返している漢人とは、全く違う風俗だと思う。

特に蚕の件は重要だ。日本では、弥生時代から養蚕が始まったとされている。

かなり穢人は倭人っぽい。

紀元前2世紀に朝鮮半島の南部に存在したとされる国に辰国(しんこく)がある。

ただその存在はよくわかっていない。

 

殷(箕子朝鮮=番朝鮮)は衛満に伐たれて亡び、殷王は辰へ逃げる。秦氏(秦人)も随ったといい、秦人も辰国へ逃げてきており、辰人と混血した。そのために、秦人に似ているとか、秦の言葉に似ているといわれる。

 

日本には秦氏という有名な渡来系氏族がいる。ただ秦氏は6世紀頃から朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来して来たとされているので時代が違う。

だが、どこかに繋がりがありそうな気がする。

さらに「隋書」にみられる、九州上陸後すぐの邪馬台国に至る際のルート付近にあったとされる国が秦王国(しんおうこく)という。

辰国(しんこく)と秦王国(しんおうこく)。偶然の一致だろうか。

その当時日本は倭と呼ばれていた。

朝鮮半島に残った縄文人は、大陸系の人種と混血をしていて、濊と呼ばれていたのかもしれない。

そして日本列島にいた、純正の倭人は、濊族と風俗が似ているので、ワと呼んだのかもしれない。

歴史書に載っている事柄だけでは、これ以上は空想話になってしまう。

歴史書以外に、縄文人が朝鮮半島にわたり、稲作を始めたという証拠はないだろうかと考えて、もう一つある事に気が付いた。

それは言葉である。

日本語と中国語は大きく違う。

その当時の縄文人は、おそらく縄文語だったと思われるが、どこかに痕跡があると思った。

そして大陸倭語という言葉を知る。

 

濊倭同系論

「濊倭同系論」という論文が伊藤英人氏が執筆した『KOTONOHA』(古代文字資料館)224号に掲載されていた。

この論文は、「高句麗地名」の分析を通して「古代韓語」1及び「大陸倭語」が 朝鮮半島中部以北全体に分布していることを明らかにした。本稿は、「大陸倭語」がすなわち濊語であることを論じ、個々の語についてより詳細な検討を加え、さらに伊藤英人 (2019d,2020)においては扱わなかった幾つかの語についても検討することを目的とする。

 

という記事が載っていた。

http://nanndaka1123.livedoor.blog/archives/14146219.html
論文 https://www.ls-japan.org/modules/documents/LSJpapers/meeting/163/handouts/ws3/W-3-1_163.pdf

 

同じことを考えていた人がいる事に驚いた。

そこで大陸倭語について調べてみることにした。

 

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