蛇行剣の謎を追う(3) 富雄丸山には櫛名田比売が眠っている

色々調べたが、熊襲・隼人が手掛かりの様なのだが、それから先が霧の中である。

蛇行剣は他の遺跡でも出土しているのだが、富雄丸山古墳の蛇行剣は異常に長い。

さらに盾形銅鏡も異質である。

この異常さはいろんな人が気になっているようだ。

 

読売新聞オンライン
奈良・富雄丸山古墳から「国宝級の大発見」…神話に秘められた「被葬者は誰か」の異説
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20230206-OYT8T50015/2/

すごい副葬品をなぜ家臣に?
 だが、どうも腑に落ちない。盾形銅鏡と蛇行剣は円墳の端の造り出しの粘土槨から出土したのだから、造り出しの被葬者の副葬品と見るのが自然だ。造り出しに葬られたのは古墳中央に葬られた有力者を支えた家臣とみられ、当然、有力者より地位は下がる。中央に葬られた被葬者が有力者としても、その家臣に他に出土例がないすごい副葬品を添えることがあるのだろうか。

古代学研究者の辰巳和弘さん(元同志社大学教授)は、「被葬者はヤマト王権内部の人物とは思えない。王権とは距離を置き、敵対していた豪族の墓ではないか」と推測する。地元には、辰巳さんの推測に符合する伝承がある。古墳がある場所は、『古事記』や『日本書紀』が記す神武天皇の東征に抵抗した豪族、長髄彦の支配地域だったというのだ。

全長237センチ 東アジア最大の蛇行剣初公開 奈良・富雄丸山古墳 | 毎日新聞

 

この記事も面白い。

学者のほとんどが古事記神話は虚構だと言っているのに、こんなとこでは神話がひょいと出てくる。

まあいい。

 

長髄彦(ながすねひこ)は、日本神話に登場する伝承上の人物。神武天皇に抵抗した大和の指導者の一人。神武天皇との戦い(神武東征)に敗れた。ウィキペディア

 

長髄彦は、邇芸速日命(ニギハヤヒ)の子分みたいな武将だ。

神話では邇芸速日命は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)より先に天孫降臨したとなっている。

 

AI 邇芸速日命は、有力な氏族である物部氏の祖神とされており、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に記されています。彼の存在には多くの重要な問題が含まれており、大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示す説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説もあります。

邇芸速日命

 

これらの事を総合すれば、富雄丸山古墳は、反大和だった勢力の重要人物を祀った古墳だと想像できる。

そして、その反大和勢を取り込み、連合国大和が出来上がった。

その反大和勢とはどの勢力を指すのだろうか。

大学の先生が語っているように、邇芸速日命と長髄彦も十分ありうる。

そして、邇芸速日命は物部氏の祖神である。

物部氏は鉄器と兵器の製造・管理を主に管掌していた氏族であり、有力軍事氏族になっている。

物部氏は百済との関わりが深く、物部系の人物が百済王朝内でも重用されていたという。

さらに物部氏が神宝を管理した石上神宮には、百済から贈られた「七支刀」が祀られている。

この七支刀も謎めいていて、剣身の銘文に様々な解釈がなされている。

石上神宮に伝わる七支刀  おたくま経済新聞

 

七支刀と蛇行剣

この二つの刀の共通点は、祭祀用とされている事と、形が変わっている点にある。

七支刀の出どころは百済という事がわかっているが、蛇行剣は大和で作られたかもと推測されている。

NHKの番組で、富雄丸山の蛇行剣を取り上げた番組があった。

 

古代史ミステリー 第2集 ヤマト王権 空白の世紀 初回放送日: 2024年3月24日
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/G735RZ4P4X/

 

この中で、長大な蛇行剣は、非常に特殊な高度な技術を駆使して作られた鉄剣であるという事だった。

また同じく発掘された盾形銅鏡は蛇竜が彫られた、世界に類のない鏡とされている。

剣も鏡も、これまでの大和とは異質の存在なのだ。

これらが出来た理由を、日本列島の中の大和だけで考えるのはやはり無理があるのではないだろうか。

 

大和と出雲

出雲は大和政権ができる前から存在していた王国である。

神話の国譲りにあるように、大和に取り込まれたとされている。

となれば、出雲と物部氏は同じ外様の位置にあると言ってもいいだろう。

特に出雲はたたら製鉄が有名であり、その技術は朝鮮半島からきている。

たたらという名称だが、古代朝鮮の南岸にも「多多羅邑」や「多多羅城」といった地名が存在していたからだという。

また八岐大蛇伝説は溶鉱炉から吹き出た、幾筋もの溶けた鉄の事だとする説もある。

 

朝鮮半島の製鉄

弥生時代中期(紀元前5世紀から4世紀)に、中国春秋時代の国内争乱から逃れた難民が海路で朝鮮半島に漂着する。

この時期に銅器や鉄器が伝来し、朝鮮半島に広まったと考えられいる。

その時代朝鮮半島にあった国は、濊(ワイ)と、辰国と地図に書かれている。

辰国の位置

たたらという名称が古代朝鮮の南岸に「多多羅邑」や「多多羅城」といった地名があったとされるが、その南側には濊(ワイ)と辰国が存在している。

濊(ワイ)は、中国の記録から見れば、大陸系倭人の国だったようだ。

 

アジアに存在した倭族と本拠地日本列島

AI  倭人(わじん)は、中国の歴史書に記述された、中国大陸から西日本の範囲で主に海上において活動していた民族集団です。この呼称は、狭義には中国の人々が名付けた、当時西日本に住んでいた民族または住民の古い呼称を指します。広義には、中国大陸から西日本の範囲で活動していた民族集団を含みます。一般的に、この集団の一部が西日本に定着して弥生人となり、「倭人」という語が狭義の意味で使われるようになったと考えられています。

 

一説では倭人のルーツは中国大陸や朝鮮半島にあったとする人もいるが、縄文時代の古さを考えれば、日本列島が倭人の本拠地であったことは、間違いないだろう。

稲作が中国の南西部からやって来たことや、呉や越の文化や名称が日本列島にある事。朝鮮半島に前方後円墳があり、高句麗の好太王(広開土王)の石碑では、倭国が朝鮮半島で、強い勢力があった事が書かれている。

NHKの番組でも、最新研究が明かすヤマト王権の変化を恐れないダイナミックな国家戦略とされている。

大和王権以前の邪馬台国も、積極的に中国との関係を持っている事がわかっている。

さらに朝鮮半島は倭族の活躍した土地であり、中国勢や騎馬民族勢とのせめぎあいが起こっていた。

 

この事を考えれば、今回の蛇行剣も大筋が見えてくる。

出雲も南九州も、朝鮮半島の倭族と深く関わっていた。

鉄の剣は朝鮮半島の倭族が日本に持ち込んできたのである。

この事から富雄丸山古墳の縦型鏡と長大な蛇行剣は、朝鮮半島の鉄をもつ倭族の集団の関係者だった可能性が見えてくる。

富雄丸山古墳には鏡や櫛が埋葬されていたので、被葬者は女性と推測されている。

この事から一人の女性が連想される。

クシナダヒメ

古事記では「櫛名田比売(くしなだひめ)」、日本書紀では「奇稲田姫(くしいなだひめ)」と表記されている。

八岐大蛇伝承で、スサノオがオロチから救うことを条件に妻に迎えられた女神。 その名が「奇し稲田」と表されることから稲田の女神とされるが、スサノオが八岐大蛇に挑むとき櫛に姿を変えたので、櫛を挿した女性、すなわち、巫女を意味したのではないかともいわれる。

古墳から発掘されたのが、八岐大蛇を連想させる長大な蛇行剣であることと、櫛が9点あることからの連想である。

 

クシナダヒメは大山津見神の子である足名椎・手名椎夫婦の八柱の娘の末子で、伊邪那岐命の子須佐之男命に娶られる。 後に二神の間に八島士奴美神が生まれ、その子孫が出雲の王、大国主神になる。

出雲神話の櫛名田比売 AI生成

 

重要な女性である。

そして長大な蛇行剣は八岐大蛇を連想させられる。

となれば、クシナダヒメの存在が浮かび上がる。古墳に櫛があったことも象徴的だ。

クシナダヒメ本人ではなくその子孫の可能性もある。

出雲王国の末裔は大和に根を張るが、その出雲国の伝説はしっかり守ってきたのだろう。

 

草薙剣

日本の神話では、高天原を追放されたスサノウは朝鮮半島に降り立ったことになっている。

そして、この国は私が住む国ではないとして日本に舞い戻ってきた。

その時、息子として五十猛(イソタケル)が付いてきている。

五十猛は林業の神として信仰されているが、鉄の生産には、大量の木が燃料として使われる。

スサノオは十束の剣で八岐大蛇を退治するのだが、その大蛇から、より硬い草薙剣を見出している。

つまり、スサノオは製鉄の技術と林業を持ち込んだ神なのだ。

草薙剣 熱田神宮に草薙館~名古屋は刀剣の宝庫https://note.com/aratamakimihide/n/n36f470d77e0e

草薙剣という名称は「古事記」からであり、日本書紀の注記では「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」となっている。

神話ではヤマトタケルが大火にあった際、この神剣で草を薙ぎ払ったとされている。

草を薙ぎ払った剣である。短い剣ではなく、長大な剣だとされているのだろう。

この草薙剣の伝説を長大な蛇行剣に託したと想像できるのだ。

ヤマトタケルの伝説では死ぬ間際に「孃女(おとめ)の、床の邊べに、わが置きし、剱の太刀、その太刀たちはや。」と詠んでいる。

乙女とは、愛妻、美夜受比売(宮簀媛、みやずひめ)だ。

いずれも伝説の話である。

ただ、乙女の傍に剣を置くという事があったという証明でもある。

 

今回の推理は妄想だらけである。

状況証拠はあるのだが、肝心の物的証拠がないからである。

しかし、そんなに的を外してないと確信する。

約2.4メートルの長大な剣は、やはり朝鮮半島起源の製鉄の技術なくしては作れないからである。

また、七支刀と蛇行剣は日本列島の発想ではない気がする。

鉄剣は戦いの最前線だった朝鮮半島や中国大陸で活躍した、倭族の祈りの武器だったのである。

そんな臭いがプンプンしてくるのだ。

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