蛇行剣の謎を追う(1)  朝鮮半島との関わり

不思議な剣が古代の遺跡から発掘された。

このニュースは日本中を駆け巡った。

 

NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240206/k10014349271000.html
奈良 富雄丸山古墳
昨年度の発掘調査で、▽波打つような形をした「蛇行剣」と呼ばれる、古代の東アジアで最も長いとされる鉄の剣や、▽盾の形をした国内最大級の青銅製の鏡などが相次いで見つかっています。

奈良市のホームページには複数の動画が掲載されている。
https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/165641.html

NHKのページ

 

詳しい内容は様々なホームページに載っているので、そちらを読んでいただきたい。

全長237センチ 東アジア最大の蛇行剣初公開 奈良・富雄丸山古墳 | 毎日新聞

だ龍文盾形銅鏡

 

この剣の長さは全長2メートル37センチ。

軽く日本人の身長を超えている。

実用武器ではなく、儀礼用の鉄剣と考えられているらしいが、儀礼用にしても長すぎる。

文字通り剣身が蛇のように曲がりうねっている蛇行剣である。さらに、だ龍文盾形銅鏡も出てきている。

まさに謎の塊だ。

いつか謎が解明される時があると思うが、現時点でわかっている事を挙げてみたい。

 

富雄丸山古墳

まず発掘された古墳の場所だ。

 

富雄丸山古墳は、奈良市大和田町丸山に所在する古墳時代前期後半頃の円墳で、その墳丘径は86メートル、高さは10メートルにも及び、円墳としては日本最大級の規模を誇っています。
この古墳は、4世紀後半に築造されたとされている。

発掘場所

 

この古墳は、明治時代すでに盗掘された古墳だ。

 

墳丘の頂上部により大きな埋葬施設が存在する。この古墳本来の「主(あるじ)」が葬られたとみられているその場所は、およそ半世紀前、1972年に発掘調査された。

国内最大蛇行剣出土の富雄丸山古墳 謎の被葬者解明へ発掘再開 - 産経ニュース

 

そして

 

古墳の北東側に突き出した「造り出し」の部分で発見。同センターが今年2月、ふたを外して本格調査を開始した。周辺では、2メートル超の「蛇行剣」や盾形銅鏡も見つかっている。

 木棺内部は2枚の仕切り板で三つの空間に分かれ、中央部の「主室」の底面全体には「水銀朱」と呼ばれる赤い顔料が広がり、被葬者の頭があったとみられる部分が特に赤く染められていた。

 被葬者の足元側の「副室」からは、青銅鏡3枚が重なって見つかった。3枚とも鏡面が上に向いており、さびは極めて少なく保存状況は良好。うち1枚は、邪馬台国の女王卑弥呼が中国から授かったとの説がある「三角縁神獣鏡」の可能性がある。

 

今回の発掘は、二番煎じである。

まず武器が入っていなく、櫛や鏡が共にあったので、ここに眠っている人は女性だったと推測されている。そして、問題の剣は、周辺にあったという。

ネットの情報は、大体こんなところだろう。

さて誰が埋葬されていたかというのが、最重要だ。

まず4世紀の円墳という事に注目したい。

4世紀といえば前方後円墳だが、前方後円墳を造ることができたのは、ヤマト政権に認められた限られた人だけだったと考えられているらしい。

という事は歴史に残っている人物ではない可能性もある。

まずここを押さえときたいと思う。

 

蛇行剣

さて肝心の蛇行剣である。蛇行剣はすでにいろんな地域で発掘されている。

 

古墳時代中期に盛行する特異な形をした剣で、全国では81点が確認されています。

蛇行形状の剣・鉾の出土事例は2008年時点で、70本近くあり、本州から37本が出土し(この内、中部地方出土のものは12本)、残りの半数は南部九州地域に集中している。

 

蛇行剣の分布図
豊川市花の木古墳群で特殊な武器、「蛇行剣」が愛知県で初めて出土
http://www.maibun.com/DownDate/chirashi/Hananoki0729-R.pdf

 

この図を見れば明らかに南部九州地域がメインだと思われる。

4世紀の南九州といえば熊襲とか隼人の人々が住んでいたとされる場所である。

さらに、朝鮮半島では新羅や伽耶の古墳から出土しており、韓国では4例の出土例があると書かれていたが、1例と書かれている記事もあり、なぜ数が違うのかは不明だが、朝鮮半島だからだと推測する。

朝鮮半島と熊襲、隼人の関係は不明だが、なんか匂う。

 

熊襲は、九州中南部に住み、長く大和朝廷に服属しなかった種族とされています。人種や民族の系統は不明ですが、隼人(はやと)と同一種族とされている。

熊襲が強大な力を持った主な原因は、九州南部に多い金属資源から武器を作ったからだと考えられています。
https://www.gurutto-oosumi.com/school/oosumishidankai/news/news-2975.html#:~:text=%E9%AB%98%E7%86%B1%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7%E3%80%81%E7%84%BC%E6%88%90,%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

 

このページを見ると、熊襲族はかなり進んだ技術を持っていたらしい。

古代大隅にいた熊襲族は、多くの鉄剣や鉄の甲冑を作りました。今回の実験から武器の原料とする銑鉄を少量作るだけでも容易な作業ではなく、多くの鉄製武器を作った熊襲族は、ハイテク技術を持っていたことが容易に推測できます。

隼人と熊襲の違いだが

 

熊襲は大和政権に従わず、大和政権は熊襲を従えるために何度も遠征してきたといわれています。隼人は、熊襲が大和政権に従ったあとの呼び名だと考えられています。

 

という事らしい。

一緒に発掘された「だ龍文盾形銅鏡」だが、あれを見ると隼人の盾だと思った方は多いらしい。

僕もそう思った。

ネットに載っている隼人盾の渦巻き模様とだ龍文の模様が似ていると感じるのだ。

隼人の楯 - Wikipedia

盾の形もよく似ている。

 

蛇行剣は九州地方南部を中心として出土(特に地下式横穴墓の副葬品として多く出土)することから、90年代では、隼人と関連する呪術的な剣ではないかとの指摘もあったが、2000年代以降は地下式横穴墓と隼人を関連付ける考え方が多くの考古学研究者から否定されるようになっているため、どこまで隼人と関連付けられる遺物であるか不明である。

 

という事で隼人ではないとされているようだが、

 

地下式横穴墓は地面に竪坑を掘り、そこからさらに横穴を掘って埋葬施設を作る形式で、 最も多い副葬品は刀剣・弓矢などの鉄製武器類と土師器・須恵器などの土器類であり、特に鉄鏃が頻出する。鉄鏃の形態は圭頭鏃が圧倒的に多い。他に蛇行剣、異形鉄器が多いことも特徴的である。

また玉類、武具(甲冑)、馬具、鏡など、突出して豪華な副葬品を持つものがあり、これらが副葬される地下式横穴墓は、前方後円墳にも引けをとらない首長墓と考えられている。

地下式横穴墓 ウィキペディア

 

こうなると、隼人の墓といいたくなるのだが、

 

文献と考古学資料の安易な結びつけや、少なくとも飛鳥・奈良時代の「隼人」の概念を古墳時代の地下式墓制にまで波及させる考え方には、批判が強まっていった。ウィキペディア

 

とある。

つまり、安易な結びつけ禁止という事らしい。

 

「隼人の墓制」論以降の研究
現在では、同墓制の出現から発達、波及の過程などが明らかになりつつあり、古墳時代中期に高塚古墳の埋葬施設として横穴式石室が導入されたのと同じように、大陸からもたらされた「横穴系」墓制の情報(葬送観念と技術)が、当地では地下式構造を採用する形で取り入れられたのが地下式横穴墓であり、決して、他の地域から「孤立」・「隔絶」した風土の中に生まれた墓制ではなく、朝鮮半島や畿内政権との活発な地域間交流を通じて成立した墓制であった、とする理解が有力になりつつある。ウィキペディア

 

まー、言ってることはなんとなくわかるが、それは地下式墓制が隼人の墓と断定しないという事で、蛇行剣が隼人の剣じゃないという事ではない。

逆に、南九州が朝鮮半島とつながりが深いというのなら、隼人や熊襲が渡来人という可能性が出てくる。

そして、蛇行剣も大陸由来かもしれないという事である。

 

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