忖度と批判 GHQ「プレスコード」における古代史学説の転換
戦後のGHQによる「プレスコード」は、天皇制や戦争責任に関する批判を厳しく制限し、学者たちは発言に慎重にならざるを得ませんでした。
この規制は、天皇制を直接批判することを難しくした一方で、日本古代史における「記紀神話」や「万世一系」の正当性に対する再評価を促しました。
特に、津田左右吉は『古事記』や『日本書紀』の神話を歴史的事実として扱うのではなく、「国家が作り上げた神話」として批判し、古代史における天皇の神格化に疑問を投げかけました。
彼のこうした姿勢は、天皇制への直接的な批判を避ける「忖度」としても解釈できます。
さらに、直木孝次郎や井上光貞といった歴史学者たちは、考古学的な発見を基に記紀の記述と矛盾する点を指摘し、古代史の再構築を試みました。
こうした再評価は、戦後の日本における新たな歴史認識を生み出しましたが、同時にGHQの政策に配慮しながら行われたため、天皇制批判の線引きが慎重に行われました。
これらの学説は、ある意味で歴史の真実を求める学者たちの挑戦でありながらも、政治的な現実に配慮した結果、間接的な形で天皇制を問い直すものとなったのです。
その中で特に注目すべきは、江上波夫による「騎馬民族征服説」です。
彼は、大和政権の成立が内外の勢力の交錯によるものであり、騎馬民族の影響を強調しました。この説は、従来の「日本は独自の文化を持つ民族が自然に発展した」という考え方に対し、外部勢力の介入を示唆するもので、天皇制の起源に新たな視点を加えるものでした。
しかし、現在ではこの騎馬民族征服説に対しては批判的な見方が強まっています。
考古学や遺伝学的な研究が進むにつれ、従来の説に対する疑問が浮上し、大和政権の成立が騎馬民族による征服であるという仮説は、証拠に乏しいとされることが多くなりました。
そのため、江上の説は現在では主流の学説とは言えなくなっており、逆に日本独自の発展を強調する研究が主流となっています。
これらの学説は、GHQの方針に対して積極的に反発するものではなく、あくまで学術的な視点から新たな解釈を提供するものでしたが、天皇制に対する根本的な問いを投げかけるものであり、戦後の日本歴史学における重要な転換点となったのです。
プレスコードによる制約があったにも関わらず、学者たちは歴史的事実の探求を続け、その中で天皇制と日本の歴史の関係性を問い直したのでした。