なぜマスコミは全ての戦争を反省しないのか
今年は戦後80年という節目にあたり、「負けると分かっていた太平洋戦争を日本はなぜ始めたのか」という趣旨の番組が多く放送されたのである。
歴史を調べると、開戦前から敗北を予感していた人物は少なくない。山本五十六(連合艦隊司令長官)、米内光政(元海軍大臣)、井上成美(海軍軍人)、近衛文麿(首相、開戦直前に辞任)、重光葵(外相)などが代表的である。
では、なぜ彼らは「勝ち目がない」と知りつつも開戦に踏み切ったのか。その理由としては――
資源の枯渇への恐怖:アメリカの石油禁輸により、日本の軍隊は数か月しか動けないと見られていた。
「屈服は亡国」という強迫観念:妥協すれば植民地化や国体崩壊につながると信じられていた。
世論と軍部の圧力:新聞や国民の多くも「戦争やむなし」と傾き、政治家が強く反対できない状況であった。
では、もし開戦を避けていたらどうなっていたのか。
AIに問うと「日本は領土的には植民地とならず、経済・外交面でアメリカに従属する“半独立国”として存続した可能性が高い」という回答であった。
すなわち「戦争回避 → 経済的従属」という未来を、日本国民が受け入れられたかどうかは疑わしいのである。
日本は明治維新以来、近代化に邁進し、日清・日露戦争に勝利してきた。
その成功体験が、日本人に「勝てる」という意識を植え付け、太平洋戦争という無謀な挑戦に踏み込ませたのである。
現代にたとえれば、起業に成功した新興企業が、GAFAと呼ばれる巨大企業に挑むようなものだ。
資金や流通を握られ、やがては系列に組み込まれるか買収される。そんな勝負を日本は挑んでしまったのである。経営者が「桶狭間の奇跡」を夢見ていたのかもしれない。
そして当然のように敗北したのである。
ここで気になるのはマスコミの姿勢である。
現在の番組は「戦争の反省」を掲げるが、当時のマスコミこそが世論をあおり、戦争の援護射撃を行った存在であった。
そのことを踏まえると、番組の内容が上滑りに感じられるのも無理はない。
さらに腹が立つのは、マスコミが「負けた太平洋戦争」だけを反省の対象にしている点である。
日清・日露戦争は勝ったから反省しなくてもよいのか。しかし戦争が絶対悪であるならば、勝った戦争も含めて否定しなければならないはずである。
特に日清・日露戦争は近代戦争であり、日本の運命を大きく変えた歴史的出来事であった。
当時は欧米列強が植民地政策を進め、日本の周辺にも進出していた。
そうした現実を無視して「話し合いで解決できたはず」と言うのは、あまりに現実離れしている。
もちろん自己批判は必要である。しかし片手落ちな議論が多いのも事実である。
「戦争と平和は共存できるのか」という問いがある。私の答えはこうである。
平和とは、戦争に勝った者だけが享受できる状態なのではないか。
古希を迎えた私の率直な感想である。





