稲妻の神とギリシャ神話のゼウス
2025年夏上旬、激しい雷雨が鳴り響いた。
翌日、下の部屋の照明が勝手に点いていた。
以前にも同じようなことはあったが、今回は消し忘れではなく、明らかにスイッチが勝手に入ったのだ。
調べてみると、雷が発生するとほんの一瞬電圧が低下し、これをスイッチのOFF→ONと誤認して照明が点くことがあるらしい。
なるほど、雷ってやっぱりパワーがある。
雷と稲妻の違い
雷は「イナヅマ」とも呼ばれる。
雷(かみなり):ゴロゴロ鳴る音と光る稲妻を含む現象全体
稲妻(いなづま):光の筋だけを指す
弥生時代以降、稲作が広まる過程で「稲妻」という文字が生まれた。
この「妻」はお嫁さんではなく、古語で「稲の実」「結びつき」を表す。
刺身に添えられている千切りの大根といった方がわかりやすいか。
つまり「稲の実をつけさせるもの」という意味だ。
昔の人々は、雷が鳴ると稲がよく実ると考えた。
雷の伴う雨が稲の生育を助け、雷が窒素をもたらすことを経験的に知っていたからだ。
そのため、雷の光を「稲妻」、雷鳴を「神鳴り(かみなり)」と呼んだのである。
日本の雷神たち
ギリシャ神話のゼウスのように、日本でも雷は神の仕業と考えられた。
代表的なのが 建御雷神(たけみかづちのかみ)。
出雲の国譲りで大国主神と交渉し、剣先の上に座る姿は強烈な印象を与える。
雷には「いかづち」という古語がある。
「いか(厳しい・恐ろしい)」+「つち(槌・打ち)」から生まれた言葉だ。
一方で「かみなり」は「神鳴り」が転じたもので、古代の人々は空で鳴る大音響を神の仕業と捉えていた。
また、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)は賀茂神社の祭神で、農耕と雷を司る神である。
京都の 上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社) が総称して「賀茂神社」と呼ばれる。
特に上賀茂神社の祭神「賀茂別雷大神」は、若雷=新しい生命をもたらす稲妻の力として信仰され、農耕と密接に関わり、稲の成長を促す雷として豊穣神として崇められた。
川で受胎する神話
『古事記』には 鴨玉依毘売命(かもたまよりびめのみこと) が登場する。
下鴨神社の祭神で賀茂氏の祖神。
川で禊をしていると赤い矢が流れてきて身ごもり、子を産んだという。
その子が「賀茂別雷大神」になる。
矢は雷神の化身=鴨の神格とも解釈される。
世界の雷と受胎譚
面白いことに、この話に似た神話がギリシャにもある。
セメレとゼウスの雷による受胎譚だ。
セメレはテーバイの王カドモスの娘。
ゼウスに愛され子を宿すが、妻ヘラの策略で神の姿を見せられ、光と雷に焼かれて死ぬ。
しかし胎児はゼウスに助け出され、太腿に縫い込まれて育ち、酒神 ディオニュソス として誕生する。
日本の玉依姫の神話も、自然現象=神格化→受胎→神子誕生という構造を持っており、世界共通の神話モチーフである。
そして、日本の稲からは、日本酒が作られ、お神酒は神前に備えられる。
実によく似ている。
しかし、雷や光、神威を通じて子が生まれる受胎譚は世界中に類似例があり、ギリシャ神話はその中で整理・文献化された形である。
日本の玉依姫の神話も同じく、自然現象=神格化→受胎→神子誕生 という構造は世界共通の神話モチーフだ。
なので、ギリシャと日本を直接結びつけるのは、こじつけ的な部分もある。
となれば、人類には共通した思考があるのだろう。
そのこと自体不思議といえば不思議である。
最初は照明のスイッチが雷で入った話から始まった。
でも、僕の脳みそも、雷で「神話大好きスイッチ」が勝手に入ったのかもしれない。





