卑弥呼は魏の回し者だった説
今回は、日本古代史の中でも最大の謎のひとつ、卑弥呼について少し異なる視点から考察してみたいと思います。
「卑弥呼は魏の回し者だった説」
この説を聞いて驚いた方も多いかもしれませんが、実はさまざまな史料と照らし合わせると、これを支持する要素がいくつも見つかるのです。
卑弥呼の登場とその背景
卑弥呼が登場するのは、倭国が内乱に苦しんでいた時期です。『魏志倭人伝』によれば、倭国は「倭国大乱」という長期間にわたる内乱の末、ようやく卑弥呼という女性を「女王」として共立し、平和を取り戻したとされています。
しかし、この卑弥呼という人物、実はそれまでの倭国の歴史に全く登場しません。突然現れて、すぐに女王となり、男性たちの争いを一挙に収めたカリスマ性を持っている…この点が非常に不自然に感じませんか?
魏との関係に注目する
ここで重要なのは、卑弥呼と中国の魏との関係です。卑弥呼は239年に魏に使者を送り、「親魏倭王」の称号とともに、金印や銅鏡などを授けられました。これは明らかに、魏が卑弥呼を「正統な支配者」と認め、その後ろ盾となったことを示しています。
さらに、卑弥呼には興味深い特徴があります。彼女は基本的に人前に出ることなく、政治は弟が補佐しました。また、卑弥呼自身は巫女的な存在であり、神との交信を通じて政治を行っていたとされています。魏に対して使者を送り続ける外交力も備えていた点を考えると、卑弥呼は魏にとって「都合の良い女王」だったのではないか、という見方ができます。
卑弥呼が選ばれた理由
当時、倭国は部族間の争いが続き、混乱していました。魏はこの混乱を長期的に放置しておくことができず、交易などの利益を守るためには、倭国の安定が必要でした。そこで、魏がとった戦略の一つが、「神聖な存在」を倭国に送り込み、その力をもって国をまとめさせることだった可能性があります。
卑弥呼はそのような「神の使い」として、どの部族からも反発されにくい存在となり得ました。また、魏が後ろ盾となり、「彼女が正統な支配者である」との証明を与えることで、倭国の豪族たちも従わざるを得なくなったと考えられます。
卑弥呼の登場は「和平のためのパッケージ」だった?
このように考えると、卑弥呼の登場は、単なる「内乱終結」のためではなく、魏による外交的かつ宗教的な「パッケージ戦略」だったのではないかという見方ができます。魏が金印や銅鏡を贈り、卑弥呼を神格化することで、倭国における混乱を収拾し、間接的にその支配を安定化させたのです。
そのため、卑弥呼には前歴がなく、突然「女王」として現れることができたとも考えられます。
倭国を手懐けたかった理由
三国時代の魏は、蜀や呉といった強国と常に戦っていました。東方に位置する倭国が魏に朝貢し、友好的な関係を保つことは、魏にとって後方の安定につながる要素の一つとなり得ました。
もし倭国が敵対的な勢力と結びつけば、魏は東方にも警戒を払う必要が出てくるため、それを避ける意味合いがあったと考えられます。
また、当時の朝鮮半島は複数の勢力が割拠しており、魏は高句麗などと対立していました。倭国の存在は、間接的にこれらの勢力に対する牽制になった可能性も考えられます。
いずれにせよ、魏にとって倭国を手なづけたほうがよかったはずです。
卑弥呼が倭人ではなかった可能性
魏志倭人伝の記述では、卑弥呼はめったに人前に姿を現しませんでした。さらに千人の侍女が彼女に仕えていました。
食事の世話や言葉の伝達は、一人の男性を通じて行われていました。この男性は、卑弥呼の言葉を人々に伝え、人々の言葉を卑弥呼に伝える役割を担っていました。
これらの記述について、とても不自然な感じがするのは私だけだろうか。
これが神聖さを演出する事だとしても、違う理由の可能性がある。
それは卑弥呼が魏から送り込まれた大陸の女性だったからである。
そして、この卑弥呼と名付けられた女性は倭語がうまく喋れなかった。
だから通訳が必要だったのだ。こう考えたほうが筋が通る。
当時の魏には、非常に頭の切れる人物が多く存在していました。
特に、曹操はその最たる存在であり、魏の外交や軍事戦略において大きな影響力を持っていたことがわかります。
卑弥呼との関係においても、これらの人物たちが積極的に関与していた可能性は高いです。
卑弥呼を「神聖な存在」として倭国に送り込み、その後の倭国の安定化に関与するという外交戦略が、魏の支配層の知恵によって成し遂げられた可能性は十分に考えられます。
また、卑弥呼が日の巫女という役職名だったという説があるが、後継者になったトヨは卑弥呼という名前を継いでいない。
これは、魏国によって与えられた名称だったからとも言える。
卑弥呼の正体について
「卑弥呼は魏の回し者だった」という説は、もちろん一般的な見解ではありません。しかし、彼女の突然の登場、魏との異常なまでの親密さ、そしてその統治スタイルの特異性を総合的に考慮すると、この説は決して無視できないものです。
この説をAIに示した所、論理的な破綻を検証するという観点からは、この文章は根拠の不足、論証の飛躍、循環論法、陰謀論的な思考といった問題点を抱えていると言えるでしょう。という回答が示された。
しかし、歴史はいつだって論理的ではなかったのである。

