長崎のイーサンハントか! 金鍔次兵衛宣教師

キリスト教禁教時代の日本人宣教師の話である。

 

長崎県長崎市戸町に「金鍔(きんつば)」バス停があります。このバス停は、江戸時代末期に潜伏キリシタンとして活躍し、金の鍔の刀を所持していたことから「金鍔次兵衛(きんつば じひょうえ)」と呼ばれた日本人司祭に由来しています。

もう少し詳しい解説がある。

 

日本のキリスト教禁教令は、1614年に徳川幕府によって全国に発布され、これ以降、外国人宣教師は国外追放となり、キリスト教の信仰は厳しく弾圧されました。

しかし、キリスト教の教えは途絶えることなく、信仰を継続した信徒たち、いわゆる「潜伏キリシタン」によって伝えられました。

この潜伏キリシタンの共同体では、外国人の宣教師が不在となったため、「聞役(ききやく)」や「帳方(ちょうがた)」といった役職を持つ日本人が、聖書の教えを伝えたり、儀式を司ったりする役割を担いました。

彼らは正規の司祭ではありませんでしたが、実質的に日本人宣教師として活動しました。

「潜伏キリシタン」の話は物悲しいものばかりである。

一方的に弾圧を受ける側の話ばかりだからである。

ところが金鍔次兵衛さんは、実に活動的で、“南蛮仕込みの魔法使い”という異名を持つ彼は、不思議伝説を数々残している。

日本二十六聖人記念館の中庭にある金鍔次兵衛の銅像。金の鍔の刀を差している。 https://note.com/tai_yuka/n/n92ad4ce75156

AIによる解説

1. 変装の達人
彼は捕縛を逃れるために、さまざまな身分に変装しました。

侍、金鍔次兵衛:豪華絢爛な金の鍔の脇差を帯びた侍に化け、堂々と街中を歩き回ったと言われています。「金鍔次兵衛」という通称は、このときの姿に由来します。

馬丁として奉行所に潜入:なんと、禁教の取り締まりを指揮する長崎奉行所の馬丁(馬の世話をする下働き)にまで潜入しました。昼間は奉行所の内部で働き、夜は密かに信徒の家を訪れて宣教を行うという、大胆不敵な二重生活を送っていたと伝えられています。

彼は信仰を守るという信念のもとに、目的の為なら手段を選ばないといった、行動を起こしている。

この辺りが、並の宣教師ではなかったのだ。

 

2. 神出鬼没の宣教活動
彼の行動は、まさに神出鬼没でした。

江戸へ飛んだ次兵衛:長崎で厳重な捜索網が敷かれる中、彼は人々の意表をついて江戸へ渡り、なんと将軍家の家臣たちにまで洗礼を授けていたという足跡が残されています。

多くの信徒を導く:彼は危険を顧みず、潜伏キリシタンたちを励まし、ゆるしの秘跡を与え、ミサを捧げました。彼によって洗礼を受けた信者は500人を下らなかったとも言われています。

 

この辺りも、実に頭がいいと感じさせる。

そして行動力がすごい。

 

 

3. 不屈の信仰と殉教
彼の生涯は、不思議な伝説に満ちていますが、最後は壮絶な殉教で幕を閉じました。

二度の「穴吊り」:彼は1637年に捕縛され、当時のキリシタンに対する最も過酷な拷問の一つである「逆さ穴吊り」の刑に処せられました。一度目は奇跡的に生還しましたが、口を割らなかったため、数ヶ月後に再び同じ刑を受け、37歳で殉教しました。

このような彼の常識を超えた行動と、強い信仰心は、当時の人々から「魔法幻術を使う伴天連(バテレン)」として語り継がれ、伝説的な存在となったのです。

「逆さ穴吊り」の刑に処せられても、一度目は奇跡的に生還したという。

何か、技を使ったかも知れない。

ここまで知ると、金鍔さんは、ミッションインポッシブルのイーサンハントの様である。

 

隠密によって彼の人相書きが作られるに及んで、次兵衛は外海の山中に逃れた。そこは江戸時代に「次兵衛谷」として知られるようになり、現在、彼が隠れ住んだ洞穴は巡礼地となっている。

金鍔が潜んだ洞窟跡 https://www7a.biglobe.ne.jp/~t-uchida/zakki.html

 

 

これが彼の最後である。

すごいなーと感じる。

金鍔さんで、映画を一本作って欲しいと、切に願う。

 

文庫・金鍔次兵衛物語 聖母の騎士社 著者・訳者など:水浦久之

 

コメントを残す