エコファシズム時代

「エコロジー(ecology)」は、もともと生物学の一分野で、ドイツの生物学者 エルンスト・ヘッケル が1866年に命名し、「生物と環境(外界)との関係を研究する学問」として定義した。

20世紀に入り、人間の産業活動が急速に拡大すると、自然環境への負荷――大気汚染、水質汚濁、森林破壊、公害――が深刻化する。

とくに1960年代になると、農薬による生態系破壊、石油化学製品の廃棄物、都市のスモッグ、公害病
などの現象を通じて、人間の行動が生態系に悪影響を及ぼしていることが広く認識される。

このとき、科学としての「エコロジー」が、社会的・倫理的な「環境問題」と結びついたのである。

現代人が「エコロジー」という言葉から理解しているのは、主に「環境保護」だろう。

そして、地球温暖化という概念が加わり、「地球に優しい生き方が、地球を救う」という宗教になって、流行する考え方になっている。

地球にやさしいという言葉には笑ってしまう。

どう考えても、増えすぎた人類こそが、環境の悪であることは間違い無いだろう。

人間が少なくなれば、環境問題などなくなってしまう。

しかし、こんな話をしても、極論だと言われ誰も聞いてはくれないが・・・。

 

持続可能な・・・

「持続可能な」という思い込みが、今蔓延している。

ゴミの分別やリサイクル、再生可能エネルギーの利用、マイボトルやエコバッグの使用、自然素材の活用や脱プラスチック運動などがそうである。

いずれも、問題が多く、多くの事が議論の対象になっている。

ただ、たわいもないエコロジー活動が広がっていくことで、儲かっている人たちがいる。

一番はグローバル企業(特に先進国の資本)だ。

表向きでは「脱炭素」「クリーンエネルギー」「持続可能な社会」の旗を掲げて、社会的信用を高める。

それによる実際の利益は

再生可能エネルギー・電気自動車(EV)・炭素取引市場など、新たな巨大産業を独占。

途上国に「環境基準」を押し付けることで、自社製品・技術を標準化して市場を支配する。

環境規制を利用して、競合(特に中国・新興国・中小企業)を排除。

結果として、「エコロジー」は新しい経済覇権のツールとなっていった。

「地球を守るための国際協調」ということで、国連・EU・G7などが「環境基準」を設定し、グローバルなルールメーカーとなる。

環境援助や技術供与を通じて、政治的影響力を強化。

途上国が「炭素排出量」を制限されることで、開発のスピードを抑制できる。

要するに、「環境正義」を名目に、国際的な支配の仕組みを再構築しているのである。

一番胡散臭いのが、「カーボン・クレジット(排出権)」だ。

どう考えたって、CO2の排出量を売買できる仕組みなんていうのはおかしい。

しかし、それがまかり通ってしまっている。

昔キリスト教で免罪符というものを販売していた。

よく似た思いつきなのは間違いない。

これにより、企業の環境スコアを指標に資金を流し、投資の流れをコントロールできる。

これらが新しい金を生むシステムが出来上がるのだ。

炭素排出権は新たな「商品」となり、投機の対象になっている。

企業が「グリーン認証」を得るために多額の資金を動かす。

金融勢力は環境政策を通じて経済構造を再設計する立場に立てる。

環境問題は「倫理」ではなく、金融システムの再編成の手段にもなっている。

環境基準は奴隷の足枷のように機能していく。

そして最悪なのは、開発途上国では安価なエネルギーを使えず成長が遅れる。

中小企業は環境規制コストに耐えられない。

一般市民には電気代や物価が上昇しっぱなしとなる。

つまり、“地球に優しい”政策ほど、経済弱者の人間には厳しい構造を生み出す仕組みである。

また、メディア・NGO・一部の知識層の「地球の声を代弁する」「市民の良心」を必要以上に垂れ流していく。

それにより、環境問題を扱うことで、社会的影響力・資金・支持者を獲得し、大企業や国際機関からの資金援助を受けることも多い。

これらのことが、さらに進むと地球上では、格差がどんどん広がっていく事になる。

その結果起きるのが、第二次大航海時代の到来となるだろう。

第二次大航海時代

新しい、植民地政策の始まりである。

歴史を教訓とすれば、人類はまた違う方向に舵を取ろうとしているのだ。

西洋は、キリスト教布教ということで、世界中に軍事力を背景に、各地を征服していった。

今回は、未開の地を征服するのではなく、エコロジーを行っていない地域に、その標的を定めている。

エコファシズム

環境保護を最優先するあまり、全体主義的な手段や権威主義的な政策が正当化され、個人の自由や人権が抑圧されている。

多様性を謳いながら、西洋諸国が歌い上げる環境問題に戸惑う人たちを、平気で吊し上げていく。

昔、全共闘などの学生運動時の「自己批判」の強要と同じである。

歴史は、また同じことを繰り返している。

エコロジーは世界を滅ぼす。

これが懸念だといいのだが・・・

 

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