弥生時代は紀元前10世紀から。-大和の歴史が大きく変る-
日本の古代を調べると、大陸、朝鮮半島からの影響が強く説かれている。
弥生時代 日本の考古学上の時代区分。
弥生土器を製作・使用した時代。
縄文時代に続き,紀元前五世紀頃から,紀元後三世紀頃までの約800年間。大陸・朝鮮の文化の影響で稲作,それに伴う農耕用石器,金属器などがもたらされた。c2016 Weblio
昔習った教科書のままである。
それより驚くことを知った。
なんと、今の小学生の教科書には日本の縄文時代が省かれているという。
現在の教科書の指導要綱をまとめたBlogがあった。
縄文と古代文明を探求しよう! http://web.joumon.jp.net/blog/2008/06/531.html
今の小学生の教科書に縄文以前は登場しません(一部を除く)。
ゆとり教育以来、そのような状態が約20年続き、ようやく平成23年に縄文以前が教科書に復活します。
3つの教科書における「弥生時代」の記述を総合し要約すると、 大陸から移り住んだ人によって米作りが伝えられ、稲作が始まった。
問題点 弥生時代を築いたのは渡来人だけか?ということです。
教科書の記述では、弥生時代の日本は、渡来人によって渡来系の文化に一変し、日本の歴史・文化の起源が渡来人によって築かれたかのような印象を与えます。
それ以前の縄文文化は無視され、縄文人がどうなったのかの記述もありません。
その通りである。
それ以外にも色んな事が書かれている。
韓国の教科書に日本人の悪行と竹島のことが書かれているが、そんな韓国を非難することが出来ないくらい、日本の教科書は偏見に満ちあふれている。
何にも知らされていない子供達は、日本は朝鮮の帰化人たちが作ったとか、ユダヤの民が日本に来ていたなんて話しを丸呑みしてしまう。
心が痛い問題である。
話を戻す。
そんな弥生時代の認識を吹き飛ばす発見があった。
まず鉄の歴史を格式のある日立金属HPから抜粋する。
鉄の使用の始まり 日立金属HP
我が国で見つかった最も古い鉄器は、縄文時代晩期、つまり紀元前3~4世紀のもので、福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部です。
これが弥生時代の鉄の認識である。
この石崎曲り田遺跡の板状鉄斧だが、弥生時代の推定が常識を大きく覆してしまった。
www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/4iron02.pdf
国立歴史民俗博物館発表 弥生時代の開始が考えられていたより古くまで遡れる。
加速器質量分析法による C14 高精度解析による年代測定がもたらした大きな課題。
鉄器伝来の大陸との交流史も見直しか。
国立歴史民俗博物館
更に詳しいレポートがあった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/91/1/91_1_11/_pdf
AMS-炭素14年代測定法が明らかにした日本の鉄の歴史 藤尾慎一郎 * 抜粋
2003年5月,国立歴史民俗博物館(以下,歴博)の研究チームが発表した弥生時代の開始年代は,これまでの紀元前5世紀を500年もさかのぼる紀元前10世紀であった。
この年代観に従うならば最古の鉄器と考えられていた曲り田遺跡出土の鉄も紀元前10世紀の鉄ということになり,中国と同じくらい古い鉄が日本に存在したことになるなど,東アジアの鉄の歴史を考える上で,大きな問題を投げかけることとなったのである。
日本列島でこれまで確認されている製鉄遺跡は6世紀後半のものがもっとも古いため,それ以前の鉄器はすべて列島外からもたらされたもの,もしくはもたらされた鉄素材をもとに作られたものである。
したがって曲り田の鉄器も紀元前10世紀以前に海外で作られた素材をもとに作られたものである。
さらにこちらも見て欲しい。
弥生ってなに?!【2014年6月5日】 国立歴史民俗博物館 企画展示室
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p140715/index.html
土偶は縄文だと思ってはいませんか?
紀元前10世紀に九州北部で水田稲作が始まってから、3世紀に近畿で前方後円墳が造られるまでの約1200年間つづいたのが弥生時代です。
この時代の日本列島には弥生文化だけでなく、本州東部の縄文文化(前4世紀以前)、北海道の続縄文文化(前4世紀以降)、奄美・沖縄の貝塚文化など複数の文化が広がっていました。
多様な文化が日本列島に花開いた最初の時代だったのです。
本格的な水田稲作を行う弥生文化も地域や時期によってさまざまな表情をみせます。たとえば水田稲作をへて古墳時代へ向かう地域はもちろん、水田稲作を手放し採集狩猟生活へ戻る地域もありました。
全国の弥生遺跡の出土品と資料約400点にもとづき、二人の教授が独自の「弥生論」を展開
全然違うじゃないか。
国立歴史民俗博物館のチームが弥生時代は紀元前10世紀からだと発表したのだ。
これがどんなに凄いことか、歴史に詳しい人はわかるはずである。
弥生時代の概念がすっかり変ってしまうのだ。
教科書で教えている「大陸から移り住んだ人によって米作りが伝えられ、稲作が始まった」というのは嘘っぱちなのだ。
大陸の進んだ技術というものは、この時代なかった。
古代朝鮮と日本の鉄器 朝鮮半島における鉄器の出現は、紀元前 3世紀である。
出現期の様相は、農工具を主体とするものであり、製作技術的には燕に由来する鋳造品が多くを占める。
おそらく全て燕の領域からの搬入品で あり、この段階の朝鮮半島では、研磨による再加工を除き、鉄器生産が行われていた証拠は確認されていない。
弥生時代(紀元前10世紀)朝鮮半島には誰が住んでるのかさえわかっていない。
朝鮮半島において学術的な検証が可能となる最初の国家は箕子朝鮮、ある程度実情が分かるのは衛氏朝鮮(紀元前195年? - 紀元前108年)からである。ウィキペディア
今までは紀元前4世紀頃から弥生時代が始まっていると信じられた。
弥生時代に急に稲作と鉄の使用が始まったとされていて、大陸からの技術と人が来たという説が一般的になってしまった。
本当は、土器や陶器の時代があり、青銅器などの時代を経て鉄の時代になるのだが、 日本の場合だけ弥生時代から青銅器と鉄器が並立していて、一般の世界の歴史とはそぐわなかった。
その解決案として「渡来人」という安易な説を選択してしまったのだ。
こんなページがあった。
古代製鉄の起源に迫る http://yamataikoku.sanin.jp/p/yamataikoku/new/2/
島根県立大学北東アジア地域研究センター市民研究員 山陰古代史研究会設立準備委員会代表 古代史研究家 田中文也
世界中の文明と同様に、日本にも古代鉄の製法があった
日本文明が世界最古で人類初である可能性は、縄文式土器の制作による。
この土器は1万6千年前から作られていたので、中国の製陶技術より桁違いに古い時代から、日本には「製陶技術」が存在していた事になる。
中国での製鉄技術の段階的な発展過程から考えれば、それより古い時代から「火を使って自然物を加工する」科学技術を持っていた日本古代文明の方が、中国より早く製鉄技術を獲得していたのではないか。
しかし、数千年や数万年単位の古代遺跡からの鉄資源の報告は確認出来ていない。
また出たとしても、現在大陸や半島から持ち込んだとの理解(定説)があるため、検証の対象から外されている可能性がある。
弥生時代が紀元前10世紀だとすると、色んな説がガラガラと崩れていく。
鉄の次は稲作である。
稲作は縄文時代から日本でもおこなっていたが、ここでいう稲作は水田方式のことである。
これまでの学説では、水田技術を持った弥生人が朝鮮からやってきたという説だった。
しかし、紀元前10世紀に水田が始まったとすると、朝鮮半島の稲作開始と同じ時代ということになり、朝鮮からわざわざやってくる意味がなくなるのだ。
というか、稲作が朝鮮半島より早く長江流域から伝播していたのだ。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku266.htm
そうすると、稲作が、先進地帯の朝鮮半島から日本に渡来したとする根拠が崩れてしまう。
私がなぜ、朝鮮から大量に人がやってきて日本文化のおおもとを作ったという考えに反対するかというと、それは日本語である。
日本の歴史を変えるような大量の渡来人がやってきたとしたら、中国語や朝鮮語がしっかりと日本語の中に浸透しているはずだ。
しかし、日本語と朝鮮語、中国語とはまったく別の言語ということははっきりわかっている。
だから朝鮮から大量に朝鮮人がきたわけはないと考えているのだ。
この事は私だけが考えているのではない。
多くの学者もそう考えている。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku266.htm
日本語は、朝鮮半島南部と九州に倭人がいて、そこに南からカンボジア系などの言語が混合して成立したクレオール言語と考えられる。
だから、大陸からやってきたとしても、朝鮮半島在住の倭人たちが移動したに過ぎないと考えている。
これは突飛な発想ではない。
何度でもいうが今回の弥生時代が紀元前10世紀という事になれば、朝鮮半島のことは考える必要がなくなるのだ。
稲作は中国大陸から直接日本にやってきたのだ。
稲のたどってきた道 佐藤 洋一郎
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
中国から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」。日本の各所に点在するRM1-b遺伝子。中国では90品種を調べた結果、61品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島では、55品種調べてもRM1-b遺伝子を持つ稲は見付からなかった。
なお現在の日本に存在する稲の遺伝子は、RM1-a、RM1-b、RM1-cの3種類
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku266.htm
弥生時代の環濠集落、池上曽根遺跡と唐子・鍵遺跡から出土した水稲の炭化米を、静岡大学の佐藤洋一郎助教授に依頼してDNA分析したところ、中国には広く分布するが朝鮮半島にはまったく存在しない温帯ジャポニカの稲であることが明らかになったというもの。
しかし、こんなに力説しても、朝鮮から大勢の渡来人が日本にやってきたんだという学者は大勢いる。
なぜ、そんなに朝鮮半島が好きなのか理解できないし、朝鮮には進んだ文明を持つ朝鮮民族がいたという根拠がどこにあるかわからない。
別に私は朝鮮が嫌いではないし、極端な国粋主義者ではない。
日本語が独立した言語で朝鮮語と違うという事実が、もっと合理的な説明を求めているのだ。
何でもかんでも進んだ渡来人で片付けてしまうのには大反対だ。
もっと調査が進んで、色んな発掘がおこなわれれば事実が見えてくるはずである。
だから、新しい科学的な実証で明らかになったことは、どんどん取り入れていかなければならない。
話を元に戻す。
紀元前10世紀に鉄が発見されたということは、その鉄はどこが作ったものだろうか。
いままでも遺跡で鉄は見つかっている。
しかし、よく調べてみると時代は特定できなかったものがほとんどだったという。
古い時代に鉄が存在しているはずがないという、学者の先入観がすべてを弥生時代にしてしまったのだろう。
日本では紀元前10世紀に鉄が普及していたのである。
そんなわけがないという学者が大勢いる。
日本がそんなに進んだ文明などを持てるはずがないというきわめて謙虚な人達である。
中国では、鉄は前6世紀以降から普及したといわれている。
中国より進んでいるはずはないらしい。
しかし、現実に鉄はあった。 稲作は縄文時代から始まっていたのである。
そして、紀元前10世紀の弥生時代に普及していた。
そうすると、大和朝廷が台頭してきた今までの理由がなくなってしまうのである。
鉄の力と水田による生産性の拡大が、大和を強くしたといわれているが、そうではなかったのである。
大和朝廷は、別の理由があって勢力を拡大していったということになる。
凄いことになってきた。
日本の古代史が大きく変っていく予感がする。