尖底土器の謎

縄文式尖底土器

尖底土器(せんていどき)というものがある。

縄文時代の土器である。

この土器は先がとがっている。

何故こんな土器を縄文人は作っていたのか。

もちろん、それに対していろんな見解がある。

しかし、私はその説明に納得がいかないのだ。

そして、いろんな本を読み調べたが、私の納得のいく説明をまだ得られていない。

そこで、この文書を書くことにした。

書くことで、何かヒントが沸いてくるかもしれない。

尖底土器

縄文草創期前半の土器である。底が尖っていることから尖底土器と呼ばれている。

かつて尖底の理由は、土器の作り方が未熟なため底から粘土ひもを巻き上げて作ったからとの考え方があった。

しかし、最古の土器に平底があったり、製作技法も板状の粘土を輪積みして作られていることなどから、この考え方は否定された。おそらく、形の変化は機能とは別の流行であろう。

この解説は太田市教育委員会の解説である。

結構的を得ている。

過去、縄文人は知能が低く、底むを平たくする事が出来なかったと本気で述べていた学者が、結構いたらしい。

いかにも縄文人を馬鹿にしていた説明である。

縄文草創期には先のとがった土器も合ったが、底が平たい土器もあったのだ。

違う解説

尖底土器は「ドングリ」のアク抜きを効率よくするためにできたものであり、前期になってアク抜きの不要な「栗」が栽培できるようになったため、尖底土器は姿を消し、平底の土器に取って代わられた

縄文探求シリーズ【縄文時代の道具】
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/10/001155.html

という説明もあった。

ドングリは食べるのに灰汁(タンニン)抜きが必要だったため、尖底土器はその灰汁抜きに用いられていたと考えられています(平底よりも熱効率がよく、早くお湯が沸騰するそうです)。

尖底土器は、石を五徳のようにして、そこに土器を浮かせるぐらいで固定していたという説(松久保)が有力です。

尖底土器

尖底土器は、地面に埋めて固定するために先が尖ってるという説明も納得できない。

それだと平底にして周囲から熱を加えるのと同じになり、わざわざ先を尖らす必要性が薄くなってしまう上、尖っている部分にも加熱された跡があることに対する説明がつきません。

その通りだと思う。

先がとがっていると、お湯が早く沸くという説明があった。

そうだろうか。

円錐は内容の体積が少ない。だから早く沸くということだと思う。

もし、科学的にそうなら、現在にも生かされているはずである。

尖った底は、地面に置くのではなく、地面や、灰の中に差し込み立てて使用しました。

この解説も納得がいかない。

何故わざわざ土にさす必要があるのか、理由がない。

縄文の生活を考えれば、土器は食事の際に使用する道具である。

今の私たちの生活で言えば鍋である。

そして肝心の火なのだが、使うたびに火をおこしていたのかという事も疑問である。

いろんな解説に書かれているが、木の棒を回して火をつける方法もあるのだろうが、毎回やるのは面倒だと思われるので、種火というを保管していたと思う。

となれば、火を使う場所があったわけで、かまどが常設されていたことは間違いない。

一般的には個別の竪穴式住居にはかまどはなかったとある。

となれば、現代のように台所は共有だったと考えたほうが理屈に合う。

そして、発掘の調査でも炉は発見されている。

三重県埋蔵文化財センターは四日市市内にある中野山遺跡と筆ヶ崎古墳群の調査を行い、縄文時代早期(約 8,000 年前)の煙道付炉穴がみ
つかりました。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/Miebunka/media/00835001/00835092.pdf

煙道付炉穴

炉があれば、煮炊き用の土器は地面におく必要はないので、先が細くても問題ないし、どちらかといえば先がとがっているほうが、炉にかけやすくなる。

これが今回の結論である。

地面に突き刺して使うとか、尖っているほうが早く煮沸するという理由は間違っていないと思うが、すこしひねくり回した感があると思う。

しかし、たったこれだけの結論をとりあえず得るまでに、様々な本を読んだ。

そして、なぜ安定性にかける先のとがった土器を、最初から使っていたのかという最初の疑問の答えを少しだけ納得することができただけである。

前期から中期になると、早期の、底の尖った尖底土器は、次第に消滅し、平底深鉢土器が一般化し、東日本では繊維土器が普及します。

底が丸い土器や平べったい土器よりは、先がとがっていた土器の方が作りやすかったこともあるのかなとも思う。

しかし、実はすべて納得したわけではない。

今回は発見できなかったが、もっと明快な理由があるはずだという思いがある。

今後も調べていく積もりである。

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