蛙と蛇と縄文の信仰
日本には、古代より蛇信仰がある。
縄文土器にも、蛇は多く造形されている。
蛇は倭国の縄文だけではなく、世界自由で信仰の対象になっている生き物である。
これは、十分理解できる。
蛙はどうかというと、どちらかといえばグロテスクで信仰の対象ではない地域が多い。
しかし、エジプトでは「生命」の象徴であった。
ヘケトという女神がいる。
ヘケトは、エジプト神話における水の女神であり、蛙そのものか、蛙の顔をした女性の姿をしていて多産と復活を司るとされる。
元々古代エジプトにおいて蛙はその姿から胎児の象徴であり、また多くの卵を産むことから多産の象徴でもあった。
オタマジャクシを描いた象形文字が大きな数である「十万」を意味した程である。
日本では蛙神とされ、一部の神社では信仰の対象となっている。
静岡県引佐町には、「渭伊神社」があり、三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とある。
蟾渭神(せんいしん)は井戸や井水を祭祀対象として聖水祭祀された神。
蛙の姿をした水の精霊であると言われている。
蛇ほどではないが、蛙も一部では精霊となっている。
縄文土器にはコミカルな蛙が多く描かれていて、蛇の恐ろしさとは対照的に、身近な精霊として存在していたと思われる。
実は別のページに、「縄文の心-2 遮光器土偶はカエルの精霊」という一文を書いている。
http://artworks-inter.net/ebook/?p=1492
「蛇ににらまれた蛙」という言葉があるが、蛇は蛙を食べる。
しかし、この蛇も最強ではない。
ヘビ喰いワシという鷲もいるくらいで、鳥は蛇を付け狙う。
さらに蛇の卵は、様々な生き物から狙われている。
実はカエル、カメも蛇を食べるのだ。
蛇は見た目の恐ろしさが印象的だが、生物界ではちゃんと食物連鎖の中に加わっている生き物である。
しかし、古代人にとって身近な生き物である事は間違いない。
共に再生のシンボルでもある。
蛇は脱皮するし、蛙の子おたまじゃくしは手足が生えて蛙になる。
さらに、蛇も蛙も食料になる。
古代人にとって食べるというのは、精霊として祭る大きな要素だと思う。
命を奪って食料にするのだから、供養するというわけである。
食べるから祭る。
古代の信仰は唯の妄信ではない。
共存共生の証なのだ。