尖底(土器)でなくては駄目だった理由

尖底土器(せんていどき)とは、先が尖っている土器である。

尖底土器

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
日本の縄文時代早期の土器の一般的特徴で前期初頭にもある。(抜粋)

まず日本独自ではなく世界中にあるという事と、文明の初頭に作られていた事が事実である。

昔の人は立たせることも出来ない土器を何故作ったかが不思議で、古代人は「バカ」だからと切り捨てる人もいたという。

私は前にこの土器の存在が不思議でしょうがなく文章を書いている。

尖底土器の謎
http://artworks-inter.net/ebook/?p=3388

その後いろいろ本を読んでいてふと感じることがあったので、追加としてこの文を書いている。

 

謎なのは草創期前半に平底土器が存在していた事で尖底土器はその後作られたことである。

つまり平底土器の改良版として尖底土器が誕生した事である。

そして、尖底土器は縄文前期前半まで作られていたという。つまり期間限定で作られていた土器だったことである。

この2つの謎を再び追いかけてみたい。

尖底土器の用途は煮沸用だという。そうだろう。

煮沸する効率が高いので先を尖らせたというが、なぜある程度の時代から作られなくなったのかという答えが導き出せない。

科学的に先が尖っている方が熱効率がいいのなら、時代を経てもその形は残るはずである。

しかしその形式は残っていない。

なので、熱効率がいいから作ったという説には賛同できない。

先が尖っているので立てて並べることが出来ないので貯蔵には不適である。(土に埋めたなどの使い方も想像できるが、貯蔵なら平底が容量もあるし便利だから)

自立できないので、火をおこす炉への常時設置が必要になる。

尖底土器で煮物をしても食べるには不便である。

まず熱くて手で持てないし、大きすぎる。

なので平底土器に移して食べたと思う。私だってそうする。

つまり、尖底土器は釜のように煮炊き専用、平底は食べたり貯蔵するために使うというのが一番自然だと思える。

松戸市立博物館

 

まず縄文時代の炉の存在について事実を確認したい。

大きく分けると地上炉と掘込炉があったという。

地上炉・・地面をほとんど掘り込まない 屋内炉
掘込炉・・穴が一つの「縦型」と、二つの穴をトンネルでつないだ「横型」がある。

縄文時代の炉の分類
http://cocon-kimono.com/donguri/donguri04.html

 

縄文時代の家は竪穴と呼ばれている構造で、家の中に炉(囲炉裏)が存在している。

その囲炉裏では尖底土器は使いづらい。穴を掘っていないので、石や土で支える仕組みが必要となってしまう。

となれば家の中では使わなかった。家にある炉(いろり)は暖房だったり明かりだったのだと推測できる。

それじゃ、食事の煮炊きはどうしたんだという事になる。

縄文というのは狩猟採集生活である。なので食料はグループで確保していた。

何人かのグループで、イノシシを獲ったとする。

みんなで運んで集落へ持っていく。そうしたらみんなで解体したり調理するほうが自然である。

獲物を切り分けて、各自の家に持ち帰り、家の中で調理をするというのは現代人だけだ。

共同生活

学生時代(もう40年前)に東京、中野で下宿住まいをしていた時があった。

その時は共同便所で、共同炊事場だった。

縄文時代も共同炊事場があったはずだと確信する。

キャンプ場の共同炊事場

 

実際、家の中にある炉とは別に、屋外に炉穴(ろあな)という場所があったのである。

縄文時代早期の竪穴住居跡や煙道付炉穴(えんどうつきろあな)
http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/27221/iseki/kamo_iseki/tomidakiyotomo.html

煙道付炉穴(えんどうつきろあな)

山田橋大山台遺跡から検出された環状炉穴遺構群 縄文時代早期後半
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/isekimore36_1.htm

新井花和田遺跡の炉穴

飛ノ台貝塚 日本で初めて「炉穴(ろあな)」が発見された
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/5666/tobinodai.html

日本で初めての「炉穴(ろあな)」

炊事は縄文人にとっても重要な営みだ。

火を起こすのも大変だった時代に、現代風個人主義で個別に料理する事などはしない。

もっと合理的に暮らしていたのだ。

土器は共用だったのか

それなら共同で使う炊事場で使う土器は共同だったのだろうか。

もしかしたら個人用もあっただろうし、用途別もあったのだろう。

つまり、一つの土器をずっと使っていたというわけではないと推測できる。

そこに尖底土器の誕生の秘密が眠っていたのである。

尖底土器はサイズフリー

炉穴に土器を入れる時、その土器のサイズが重要である。

円柱形の平底の場合、穴に引っ掛ける部分を作らないといけないし、サイズもある程度一定でなくてはいけない。

一人の器用な縄文人がいて、同じサイズを器用に作るならまだしも、複数の家族が自分たちで作るのだ。

炉穴を共有しようと思えば、土器のサイズを決めなくてはいけなくなり、かなり面倒である。

ところが先を三角にしてしまえば、少しくらいサイズが違ってもOKなのだ。

また用途別の大きさの違うサイズでも、ある程度はOKなのだ。

 

炉の穴の直径は変わらない。

ところが土器の直径は、ハンドメイドなのでバラバラである。

もし円柱型の平底土器を、炉穴で煮炊きに使用する場合、穴の上にかぶせる形になる。

これは、熱効率がすこぶる悪いのは目に見えている。

また穴にきちっとはめ込むなら、下に落ちないようにどこかに引っかかりを作らなくてはいけないし、炉穴の直径に合わせた平底土器を複数作ることになってしまう。

 

しかし三角錐の尖底土器なら、炉穴で使うという事であればベストなのだ。

まず大きさは大体でいい。また下に落ちないようにする突起物は必要ない。

炉にハマればいいので、サイズはある程度自由である。

つまり、炉穴を使った煮炊きの場合、尖底土器の形状がベストなのである。

 

炉穴

 

火加減を調節できる

縄文初期の調理だが、煮るだけではなく、蒸す、いぶす、などがあったと推測される。

現代でも強火、弱火などを使い分けることで、料理を奥深く豊かなものにしている。

この尖底土器なら、直径のサイズや高さを変えることで、強火、弱火を調節できるのだ。

強火でグツグツ煮る必要なら、同じくらいの口径で背の高い土器を作ればいい。

そうすると、火に近づくので火力が強まる。

背の低い土器なら弱火になる。

 

なぜ、こんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろう。

三角錐は自立できないということばかり気になっていて、その使い勝手にまで考えが回らなかったせいである。

また、同じ大きさなどは簡単に作れるはずと、現代の鍋をどこかで想像していたためだろう。

縄文初期、ハンドメイドで複数の人たちが作る土器である。そう簡単に規格品は作れないのが当たり前だった。

共同で炉穴を使う、または複数の土器を使用していたという視点が私には欠けていたのである。

また炉穴で使う場合の尖底土器を作る場合、最初の直径を決めておけば、大体使える土器が出来上がる。

また先は尖っているので作りやすかったはずである。

この大きさを揃えやすいという重要な点を見逃してもいたのだ。

さらに火加減を調節するはずはないと、頭の中で決め込んでいた。

しかし縄文時代の人たちは、食料の種類によって火力を調節する叡智がすでにあったと推測できるのだ。

炉の変遷

縄文中期あたりから、生活様式が変化していき、炉も変遷していく。

初期の土器は壊れやすく、常に作り続けねばならなかったのだろう。

その為、煮炊き用の土器はサイズフリーの円錐形がベストだった。

しかし時代が進むと住居内に複式炉が出現している。

複式炉

縄文中期は炉の発達が著しく,床を掘りくぼめただけの地床炉のほかに,深鉢形土器を埋め込んだ埋甕炉(うめがめろ),河原石をめぐらした石囲炉,土器と石囲を組み合わせた石囲埋甕炉や,炉が二つの構造からなる複式炉と呼ばれる特異な炉などがつくられ,竪穴住居内の炉が生活のうえで重要な役割を果たしたことをうかがわせている。世界大百科事典

円錐形の自立できない土器より、自立できる底のついた土器が便利なことは間違いない。

サイズを揃えて作る技術が発達したなら、土器は円錐でなくても良い。

土器づくりが進化し、炉の変遷により生活体系が変わった時、円錐形の尖底土器はその役目を果たしたと言える。

という事で、炉の進化と変遷が縄文草期の尖底土器を不要にしていったのだ。

知恵のある道具たち

一つのものでいろんなものに対応できるものといえば、アジア人が使う箸がある。

西洋では、ナイフ、スプーン、フォークと用途を限定した複雑な形式があるが、箸は一つでそれらの事をこなす道具である。

それ以外にも

さまざまなモノを包み込んでくれる「フロシキ」

体型違いにも対応する「キモノ」等がある。

さらに食べ物では、全てのものを一つの鍋で煮て食べる「ナベモノ」もある。

実に合理的だ。

尖底土器はそんな合理性を考えて作られた土器だったのだ。

世界の中の尖底土器がそうだったと言える知識はないのでここは黙するが、他の世界にも尖底土器が存在するのなら、炉穴と共同炊事場があったはずだと思う。

 

しかし縄文人の皆様。あんた達はエライ!!

尖底(土器)でなくては駄目だった理由” に対して12件のコメントがあります。

  1. ソラスケ より:

    先日NHKの歴史ヒストリアで縄文の特集があり、尖底土器の使用方法と目的が未だに謎とされ、仮説として土中に半分埋め夜露を集めその水を何かの儀式に使っていたのではないかと奇天烈な結論で締め括っていたのを見て日本の考古学は大丈夫か?と心配していましたが、この記事を読ませて頂き溜飲が下がる思いがし
    ました。箒があればちりとりがあって、釘があれば金槌があって、ナットがあればボルトやレンチもある様に一方の道具だけ見て考えてもわからないのは当たり前。そんなこと言ってたら、そこの丸い羽釜も謎の道具になってしまいます。笑
    当然かまどの様な設備を利用していたのではと想像出来るのに、ホント日本の考古学者の能力を疑わざるを得ません。良い記事をありがとうございました。

  2. artworks より:

    コメントありがとうございます。この文章を書き上げた時とてもスッキリしました。物を見た時、知らないうちに先入観に囚われていることを改めて学んだ感じです。これからも時間探偵においで下さい。

  3. ナカヤマ トモユキ より:

    たまたま、この記事を見つけ、大変興味深く読みました。私も、昔から、尖底土器は
    使いにくそうなのに、なぜ使われていたのか疑問でした。炉穴のことも知りませんでした。しかし、この記事は、まさに「目からうろこが落ちる」思いで読みました。「共同使用の炉穴、各自作成の土器でも尖底土器なら、サイズフリーで合う、高さで火加減調節可能」という発想は、とてもすごい発想ですね。ありがとうございました

  4. artworks より:

    コメントありがとうございました。やはり縄文人はアウトドアの達人ですね。

  5. 大ちゃん より:

    縄文文化のすごさがわかりました。一万年近く続いた縄文文明の人間像がこの記事から推測され、わくわくしてきました。

  6. artworks より:

    コメントありがとうございます。縄文は奥が深いですね。これからも時間探偵を宜しくおねがいします。

  7. たけむらさとる より:

    素晴らしい考察です。「進化の法則は北極のサメが知っていた 渡辺佑基/著」という本にこんな」1文がありました。
    「生態学者は生物の細部を見すぎて大きな絵を描けない。」
    まさに木を見て森を見ず。
    高い視点から歴史を見ることできずく驚きが伝わりました。

  8. artworks より:

    コメントありがとうございます。

  9. 宮下和美 より:

    シェアさせていただきました。私の主義で、お他人さまのサイトでは、異説は唱えず、自分のところで、奇抜な意見を投じますので、お気が向きましたらご覧ください。

  10. artworks より:

    コメントありがとうございます。

  11. nonemu より:

    https://www.youtube.com/watch?v=xOujYlcpEUU
    かなり熱効率が良いようですね
    少ない量の細い薪でも煮炊きが可能なようです

  12. artworks より:

    コメントありがとうございます。ユーチューブの映像を見ました。実践をしている映像は、強烈な説得力がありますね。感心しました。

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