聖徳太子とキリスト

聖徳太子

(お札の聖徳太子。しかしこの人は聖徳太子ではないといわれている)

聖徳太子

(ウィキペディアではこの絵を使っている)  

聖徳太子には謎が多く、多くのかたが様々な研究をしている。

様々な本がある中で、私は、哲学者梅原猛氏の隠された十字架は秀逸だと思う。

『隠された十字架』 法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたと主張している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6

何が秀逸かというと、その丹念な調査と資料の豊富さである。

歴史推理はこうあるべきだと思う。

しかし、門外漢の哲学者によるこの説は、歴史学者に喧嘩をふっかけたともいえる。故に厳しい批判や反論が浴びせられており、決着はついていない。    

聖徳太子を調べていると、必ずキリストやユダヤ関連のページが現れてくる。

何度も書いているのだが、どんなに突飛だと思う説でも否定しない。思うのはその書いた人の自由だからだ。

みんな、キリストやユダヤが好きなんだなと感心する。

そこで、この二つの類似性という奴を私自身が検証してみる。

■聖徳太子は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」

■キリストは馬小屋で生れた。

これは面白いと思う。

改めて考えれば、馬小屋という粗末な場所で聖人は生れたという話しは衝撃だからだ。

キリストが生れたとされるのは、紀元前2年頃だといわれている。 (西暦の紀元前という言い方は、本来イエス・キリスト降誕前として定義されたが、現代では他説がある)

何はともあれ、キリストの誕生が暦の読み方を変えてしまうくらい強力な影響がある。

海外に行かれたかたはわかると思うが、キリスト教圏では日本人が考える以上に、生活の中にキリスト教は浸透している。  

時代が違いすぎる

いきなり結論だが、聖徳太子の誕生は西暦574年2月7日とある。

つまりキリストの誕生と聖徳太子の誕生では、600年ほど時代が違う。

だから、馬小屋繋がりでも関係は全くない。  

当たり前だと思う。

これほど時代が離れているのに、世間やネットでは様々な風説が絶えない。

青森県戸来村にキリストの墓があるという。

これは竹内巨麿というペテン師が創作した竹内文書に

「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」である。

新郷村|キリストの墓

と書いている。

昔、この手の話を真に受け、熱中した時期があった。

戸来村の村名は、ヘブライに由来するとか、現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるなど、奇想天外で面白かったからだ。

また、これが日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は深く関係があるという話)の証拠とされているのも楽しい。

当然、上記の話は学術的にもきっぱりと否定されている。

しかし、今だにこの手の話が出回っているのを考えれば、やはり魅力的なほら話なんだろう。

下記のリンクは自説である。よろしかったらどうぞ

「日ユ同祖論」から見えてくるもの1、2,3

「日ユ同祖論」から見えてくるもの1 チベット民族
むかし「ユダヤ人と日本人」イザヤ・ベンダサン著を読んだ事があった。 こんな話があったのかと思って、わくわくした記憶がある。 日ユ同祖論であ...

厩戸皇子という名前はキリストの影響

厩戸皇子(うまやどのおうじ)という名前はキリストの生誕話に影響を受けているという説に移る。

聖徳太子の誕生時が書かれている箇所である。

『日本書紀』に生年は記していないが、「生れましながら能く言ふ。聖の智有り」という記述があり、出産間近の間人皇女が宮中の厩の前を通りかかったとき、突然産気づき、少しも苦しまずに安産したという。

参考文献:小学館週刊『新設戦乱の日本史 第27号 蘇我・物部の決戦』

これは聖徳太子誕生の様子である。

特別不思議でもないのだが、これが聖徳太子の話となると、不思議感が増す。

皇女が身ごもり、8ヶ月のときにはお腹の中から声を出し、その後、臨月を過ぎても生まれる兆候は全くなく、1年後の1月1日に生まれた。

更に、聖徳太子は、生まれ時「小豆ほどの仏舎利」を握っていたというのもある。

不思議オンパレードで、聖徳太子=聖人=キリスト という演出がどんどん出てくる。

「聖人キリストも馬小屋で生まれたというし、日本の聖人も馬関係だ。これはなにか繋がりがあるのかも知れないな」

そんな聖人イメージを様々な記録書は強調している。

キリスト教の影響とされるのは、馬小屋前誕生だけではなく、受胎告知という伝説が残っているからである。

「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」という話は、キリスト誕生にそっくりだと言われている。

特に西方の救世観音菩薩というのが、西洋の神様っぽい雰囲気を出している。

聖書のルカによる福音書では、天使ガブリエルがマリアの前に現れ、受胎告知したとある。

確かにそっくりなので、聖書の影響はあったと思う。

だが、一つ忘れていけないのは、東洋にも聖人はいる。

それはお釈迦様である。

お釈迦様は、紀元前5世紀前後の北インドの人物とされている。

キリスト誕生の500年ほど前に誕生しているのだ。

面白い話がある。

イエス・キリストの生涯には、13歳から29歳までの間「空白の17年間」と呼ばれる謎の期間が存在する。その期間、イエスは、仏教僧ISSAとなって修行していたという説がある。
これは英国営放送「BBC」が2007年に放送した内容で、イエスの仏教僧としての活躍を伝える書物「聖イッサ伝」が発見され、それにより制作したという。

イエス誕生時に現れたとされる東方の三博士と、チベット仏教の活仏制度の類似を指摘。東方の三博士は仏教僧だったのではないかと推測している。

【衝撃】イエス・キリストは「仏教僧ISSA」だった! 謎に包まれた“空白の17年間”をBBCが検証、聖書に書かれなかった真実とは?
https://tocana.jp/2017/07/post_13785_entry.html

確かにイエスの教えである博愛と、ブッダの慈悲は同じなのかも知れないと思う。

日本にやって来たイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルの話に、通訳のヤジロウはキリスト教の神(ゼウス)を「大日(大日如来)」と訳し、キリスト教の三位一体(父・子・聖霊)と仏教の三宝(仏・法・僧)が同一であり、ブッダはイエスに他ならないと説明したという。

日本人にしてみれば、キリストの教えも仏様の教えも、同じ聖人なのだから、似たようなことを言ってるんだなという感覚だったのだ。

話を聖徳太子の話しに戻す。

聖徳太子の誕生は、聖書ではなく、日本に伝わっている「釈迦の生誕秘話」に寄せられたと考えたほうが自然なのである。

釈迦出生の際の逸話

  釈迦はマーヤー夫人から生れた。 日本では摩耶夫人と書く。

摩耶婦人

(摩耶婦人)

マーヤーはヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊」という伝説があり、 「救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り」という聖徳太子の誕生にそっくりである。

上記にも上げたが、太子は馬小屋の前で生れたとあり、馬小屋で生れたとは書いていない。

この時代に、中国の景教(ネストリウス派)は伝わっていない。

そう書くと、それ以前に秘密で伝わっていたという反論があるが、記録がないのでなんともいえない。  

同じアジアなので、釈迦の誕生のほうが有力のはずだが、キリストの誕生に強引に結びつけるのはなぜだろうと思う。

これは、日本人の西洋信仰が生んだものだと考えたほうがいいだろう。

ネットにある大陸からの帰化氏族である秦氏が古代イスラエル人の失われた10支族ではないかという説や、その中のカド族が日本の天皇の「ミカド(御門)」である説なども、根底には西洋信仰があると思える。

厩戸皇子の馬

現代の私たちには、馬小屋というと馴染みがないが、馬のつく地名はたくさんある。

馬場、有馬、馬渡など。長崎にも「馬町」「桜馬場」という町名がある。

昔でいえば蘇我馬子もいる。 そんなに突拍子もない名前ではないと感じる。  

ただ、少し疑問も残る。

わざわざ厩の前で生れたと言わなくてもいいんじゃないかということである。

例えば、仏像の前で生れたといったほうが、凄そうな気がするのだ。

わざわざ「厩の前で生まれた」としたのは、全くの事実か、もしそうではないとしたら「厩戸」にした理由があるはずだ。

厩戸皇子の兄弟の来目皇子・殖栗皇子・茨田皇子はすべて地名である。厩戸皇子もまた地名に関係していると考えたほうが自然である。 (奈良には厩坂という地名や厩坂寺というのもある)  

それ以外では、聖徳太子が生まれた時代に理由があるのかも知れない。

馬のイメージだが、日本では家畜というより、賢いという方が強いのではないか。

駿馬という言葉や天馬などもあり、古代において馬は特別だった

甲斐の烏駒(くろこま)の話がある。

『聖徳太子伝暦』や『扶桑略記』によれば、太子は推古天皇6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養する。

同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという

この話は、聖徳太子の聖人伝説に寄せての話かもしれないが、聖徳太子と馬は親密度が高い。

また帰化人が多かった時代で、馬を巧みに操る渡来人達もいたと思われるので、そこに関係しているのかとも思う。

キリストは馬小屋で生まれていない

キリスト生誕を描いた絵画などで見られるのは「馬小屋」ではなくて「家畜小屋」 http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20101220/1292814575

キリスト誕生 

これを見れば、たしかに馬より、羊、牛が描かれている。  

そして、キリストは馬小屋で生れたとは書かれていない。家畜小屋で生まれたのである。

イエスは馬小屋で生まれたか? 平塚 徹(京都産業大学) http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~hiratuka/essays/stable.html

日本人だけが馬小屋と思い込んでいるという。  

さらに聖徳太子の時代の「厩戸」は宮中の中にある場所で、役人用の馬を管理している場所である。

キリストのように、一般家庭の家畜小屋で生まれたのではない

また家畜小屋以外にも伝承があり、正教会では洞窟とされ、イコンにもそのように描かれる。新約外典『ヤコブ原福音書』は洞窟で産まれたと書いている。

どうだろうか。

面白い説を拾った。

聖徳太子の「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」

イエスキリストは、12人の使徒 。2人とも不思議な能力を用いて人々を導き、様々な奇跡を起こした聖人

キリストは神の子にして救世主であり、聖徳太子は人々を世の苦しみから救う救世観世音菩薩の生まれ変わり

うーんとおもう。

別にキリストに結びつけなくてもいい話である。

日本人は受け入れることの達人である。現在、クリスマスはもはや日本の行事となり、教会での結婚式は処女達の憧れでもある。

古代でも、なんかの話しは伝わっていたのかも知れない。

しかし、神道ベースで色んな宗教を併せ持つ日本である。

色んな宗教のいいとこ取りはしていたかも知れない。  それくらいだと思う。

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