二人の天照の謎 「アマテラス」と「あまてる」

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、皆さんが良く知っている皇室の祖先神である。

一番上位の神様だ。


しかし、『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。

さまざまな法律や規則が書かれている延喜式にきっちり書いてある。

つまり天照と書いてあっても、状況次第で「あまてらす」と「あまてる」に読み方が変わるのだ。

二人の天照がいるのだ。


「あまてる」の神社は多い。

有名どころでは

山城の国・木島坐天照御魂神社

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城上郡・他田坐天照御魂神社
城下郡・鏡作坐天照御魂神社
高安郡の天照大神高座神社
摂津の国・新屋坐天照御魂神社
播磨国・揖保坐天照御魂神社

すべて「天照」と書いてあるが「あまてらす」では無いのだ。

それじゃどんな神様かというと自然神としかいいようがない。

うーん

もしかしたら日本には「あまてる」の神様の方が先にいたんじゃないだろうか。

たとえば

城上郡・他田坐天照御魂神
天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。

他田坐天照御魂神

他田坐天照御魂神

天照御魂が二千百年前に降臨したと書かれている。

山城の国・木島坐天照御魂神社は大宝元年(701年)以前とある。

これは間違いない。

古事記、日本書紀の天孫降臨神話がまとめられる以前に、上記の天照御魂神はいたのである。

天照御魂神は自然神と延喜式には書いている。

つまりお天道様だ。

古代日本はアミニズムの国であった。

各地域に、様々のお天道様が存在していたということである。

それが天照御魂である。


それが古事記日本書紀で、日本の皇室の祖先神となった。

それが「天照」アマテラスである。

文字は同じで、読み方だけが変ったのである。


ここで疑問がわく。

古事記、日本書紀で皇祖神という存在を作り上げた。

その時に、最高神天照大神の名前くらい新しく作ってもよかったのではないだろうか。

なぜ自然神「天照あまてる」を「天照あまてらす」に格上げするだけにしたのか。


内宮(天照大御神)

内宮(天照大御神)


伊勢神宮がある。

皆さんがよく知っている天照大神が祭られている神宮である。

去年私は伊勢神宮に撮影に行った。

フリー写真サイト 制作アートワークス
三重県伊勢市伊勢神宮 内宮(天照大御神)、外宮(豊受大御神)の写真
[browser-shot url=”http://freephoto.artworks-inter.net/2015kouyaise/ise/index.html” width=”400″ height=”200″ href=”http://freephoto.artworks-inter.net/2015kouyaise/ise/index.html” alt=”フリー写真サイト”]フリー写真サイト[/browser-shot]

いい場所である。

行く前にいろいろ調べたのだが、かなり不思議なことがてんこ盛りの神宮である。

この事は私よりよく調べているHPを参考にした方がいいだろう。

日本人の1%しか知らない伊勢神宮7つの秘密
http://bushoojapan.com/scandal/2013/10/02/6629

もう一つ「伊勢神宮の謎‐作家 高田崇史」
http://www.yakuji.co.jp/entry34160.html

どちらにせよ、天照大神が思っているより大切にされていないことを述べている。

また天皇家も江戸時代まで伊勢神宮に参拝した記録がない。

伊勢神宮に行くと正式な参拝の仕方がパンフレットに載ってある。

外宮先祭」である。

外宮(豊受大御神とようけのおおみかみ)を先に参拝してから、内宮(天照大御神)をお参りしましょうと書いているのだ。

天照大神が軽んじられている風評があるのはみんな知っているのだが、正式な参拝の仕方と公言しているのは、あまりにもあからさまである。


昔から思っていたことに、天岩戸の一件がある。

スサノウの乱暴に、アマテラスは岩戸に隠れたという話しである。

仮にも日本最高の太陽神である。その最高神であるのにもかかわらず

まるで乙女のような行動である。そして岩戸の前の踊りにつられてまた出てきてしまった。

天照大神とはそんなキャラクターの神様なのか。

日食という事実を、神話に取り込んだ細工だと思うがその振る舞いは素朴だ。


もう一つ

天孫降臨の際のやり取りである。

天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、天照大御神の子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に、「葦原中国平定が終わったので、以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」(「今平訖葦原中國矣 故汝當依命下降而統之」『古事記』)と言った。
天忍穂耳命は、「天降りの準備をしている間に、子の日子番能邇邇藝命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」(「僕者將降裝束之間 生一子 其名天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命 此子應降也」『古事記』)と答えた。邇邇藝命は高木神の娘の万幡豊秋津師比売命との間の子である。
それで二神は、邇邇藝命に葦原の中つ国の統治を委任し、天降りを命じた。

天孫降臨神話

天孫降臨神話

天照大神は高木神相談して、息子に地上を治めさせようとしたけど、天忍穂耳命の意見で孫のニニギを地上に使わしたという。
ニニギの天下りには5人のお供をつけ、さらに三種の神器を渡し、「この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。思金神は、祭祀を取り扱い神宮の政務を行いなさい」

このやり取りは、お母さんの心情である。

心配性で、回りの意見に従いながら私を拝みなさいと念を押す。

気の利く人間的な女神の姿である。

天照大神

天照大神


この話に出てくる天照の人格は2つだ。

孫を下界に下ろした天照大神にはモデルがいるという内容がNHKであった。

持統天皇である。


神旅 仏旅 むすび旅
持統天皇が天照大神のモデル説
http://ameblo.jp/taishi6764/entry-12075256998.html

持統天皇

持統天皇

天照大神とニニギノミコトの関係は持統天皇と文武天皇(孫)の関係を投影している。

持統天皇の和風諡号は「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)である。

それ以外にも色んな推理がある。

自分の孫が天皇になるという事実の根拠を神話に求めた証でもある。


しかし、天岩戸の話しは、聡明な持統天皇の逸話ではない。

おおらかで素朴な乙女の太陽神である。

この乙女の太陽神が「天照あまてる」

天孫降臨が「天照あまてらす」つまり持統天皇である。


地方の有力豪族が昔から信仰している「天照御魂」を天皇家の祖先にすり変えた知惠はたいしたものである。


日本は賢い女性たちが多いことを実感する。

伊勢神宮

伊勢神宮

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