縄文の心-2 遮光器土偶はカエルの精霊
縄文の土偶で一番有名なのは遮光器土偶である。
概略がウィキペディアにある。
遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。一方で遮光器土偶を模倣した土偶は、北海道南部から関東・中部地方、更に近畿地方まで広がりがある。その特徴は上述の遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、太ももと女性をかたどっていることである。また、胴部には紋様が施され、朱などで着色された痕跡があるものが多い。大型のものは中が空洞になっている。
青森県亀ヶ岡遺跡出土
完全な状態で発見されることは稀で足や腕など体の一部が欠損していたり、切断された状態で発見されることが多い。多産や豊穣を祈願するための儀式において土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられている。また、切断面に接着剤としてアスファルトが付着しているものも多く、切断した部分を修理して繰り返し使用していたと考えられている。ウィキペディア
まとめてみる。
遮光器土偶を模倣した土偶は、北海道南部から関東・中部地方、更に近畿地方まで広がりがある、とある。
例
亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)出土土偶
手代森遺跡(岩手県盛岡市)出土土偶
恵比須田遺跡(宮城県田尻町)出土土偶
泉沢貝塚(宮城県石巻市)出土土偶
これは、縄文集落間で交流があった証拠だ。
そしてこの文化圏の中心は、やはり青森県亀ヶ岡遺跡だと推測される。
その理由は、土器や土偶の完成度の高さである。
亀ケ岡遺跡は海岸に接しながら三内丸山に見られるような海洋民族としての痕跡はない。
鮭が生活を支えるものであったと考えられている。
これはとても重要だと思う。
亀ケ岡遺跡に住んでいた人達は、海洋民族ではないということになる。
鮭がとれるのは川である。
狩猟生活を営み、北海道の自然と生活を共にしてきたアイヌの人々にとっても、サケは特別な存在。毎年秋に確実に川を遡上するサケは冬の食生活の基盤になり、皮からは靴や着物など日用品をつくるなど、生活と大変密着した魚で、北海道に暮らす生物の命をつなぐ「カムイ・チェップ(神の魚)」として、サケを特別に扱ってきました。
「サケの文化」北海道各地:北海道遺産シリーズ(19)
農耕民族は稲が大切である。
この稲に関わるものが、神を産み、信仰を産みだす。
そして社会を作っていく。
この稲は人工的に栽培されていき、森を開き富を生み出す。
そして争いを生み出すものとなった。
だからこそ、農耕社会では、豊穣の神が誕生していく。
ところが亀ケ岡遺跡に住んでいた人達は、狩猟採集民族である。
川を遡ってくる鮭を取り尽くせば、その次の年はのぼってこなくなることを知っている。
富は蓄積するものではないのだ。
自然保護とそこに住む食料たちとの節度ある関わり合いこそが大切になる。
そこから生れた信仰は、様々な自然の中に住む精霊というという形をとっていくのが通説である。
海との関わりよりも、陸にある川と水辺の民は、海洋系とはまたひと味違う信仰があったと思われる。
遮光器土偶は川辺の民の象徴かも知れない。
土偶ほど不思議な物語を内包してしている物は他にないだろう。
特に遮光器土偶はひときわ光を放っている。
遮光器土偶の特徴は遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、太ももと女性をかたどっていることである。
まず性別だが、胸のポッチと全体的に丸い姿が、学者の人達は女性と判別しているが、私には女性には見えない。
というか、男女を超越している像である。
縄文人の写実力は素晴らしい。
男女を作り分けることくらい造作も無い事である。
明らかに抽象的なイメージを立体化している。
体の模様は当然洋服である。足や腕が太いわけではない。
洋服のデザインは緻密である。
遮光器土偶を女性と言い切るには無理がある。
女性を表現するには、もっと女性らしく作るはずである。
という事であれば、性別を超越している「もの」だ。
次は丸い眼鏡だが、遮光器とはいいネーミングだ。
イヌイットがもしかしたら東北に来ていたのかも知れない。
フクロウ、入れ墨などの説もあるようだ。
精霊の姿だから、何でもあり得る。
この遮光器土偶は、亀ヶ岡式文化圏で多く発掘されている。
地域ごとに、その形状は異なるがモチーフは同じである。
精巧さは亀ヶ岡がベストである。
下記のホームページに掲載されているのも遮光器土偶である。
これらのモチーフはすべて同じなのだ。
この事が遮光器土偶の謎を解くはずだ。
写真は 第12回 「流し目の土偶!?」さんより転載させて頂きました。
http://jomonfan.exblog.jp/tags/%E3%80%8C%E6%B5%81%E3%81%97%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%9C%9F%E5%81%B6%EF%BC%81%EF%BC%9F%E3%80%8D/
遮光器土偶だが、破損した状態で出土されるので祭祀や儀式の際、多産や豊穣を祈願するため土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられているのが一般の説である。
しかし、両足揃ったものも出土しているので、意図的に壊したというのは早計のような気がする。
また、アスファルトで修復したあとがあるというのは、生活に根ざした像ということだ。
それに、祭祀や儀式はあったと思うが、誰に何を祈るのだろうか。
定住しているのだが狩猟民族である。
多産や豊穣は少し筋が違うような気がする。
循環型社会である。
自然の摂理に従順である。
もし、神に祈るとすれば安全と変らぬ未来ではないだろうか。
絶対神ではない身近な精霊が縄文の心ではないかと思う。
学問的なことを追究しても、土偶の姿は見えてこないかも知れない。
私はカメラマンである。
カメラマンの目で土偶を見つめてみる。
説明はいつだって後からついてくるのだ。
土偶はみんななじみやすく、やさしい造形をしている。
形はリアルではないが、雑ではない。
たぶん、身近にある生き物だったと思う。
遮光器土偶をじっと見る。
変な顔である。
頭は編み上げた髪の毛のようだ。
顔だけ見てると仮面ライダーだ。
目のような一本線は目を閉じているのだろう。
肩幅があり丸っこい。
足も太いが足首は細い。
そして手はよく分からない。
まてよ。
なぜ指の数がわからないのだろうか。
これだけ細部が精巧なのに、指が2本しかない。
そういえば他の土偶も指は適当だ。
やはり、人間ではないのである。
遮光器土偶を想像で四つん這いにしてみる。
あれ。
こいつはみたことがある。
そう、カエルだ。
あの堂々とした体型はカエルだった。
だから、変な顔だけど親近感があったのだ。
そうするとあの目も納得がいく。
遮光器ではなくカエルの目だったのだ。
亀ヶ岡の地区には湿地帯が多く、土偶発掘も湿地帯だった。
湿地帯にはカエルが付きものである。
カエルは古代の食料だったといえる。
また、カエルには薬効がある。
有名ながまの油は生薬の蟾酥(センソ)という。センソには強心作用をはじめ種々の薬理作用が報告されている。
オタマジャクシから手が生え足が映える姿は、命の姿そのものだろう。
カエルの文様は縄文土器の文様に似ている。
カエルをモチーフにした縄文土器はたくさん発掘されている。
上の写真は ネコ虫さん縄文の旅より転載させて頂きました。
http://tnntohmusi.at.webry.info/201507/article_5.html
それ以外にもカエルは日本人にとって馴染みの深い生き物である。
遮光器土偶を見ると神様ではないような気がする。
カエルを人型の精霊にして、大切にしたのではないだろうか。
写真は ゼノハズでウシガエル釣れるんすね(笑) より転載させて頂きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/midnight_0da/9868088.html
よく似ている。
体の文様も雰囲気が似ていると思う。
縄文時代はウシガエルはいないが、ヒキガエルは沢山いた。
奈良時代初期に書かれた日本最古の神話・歴史書の古事記にもカエルがでてきます。その当時ヒキガエルは「タニグク」と呼ばれており、水田の神の使者と信じられていました。
先ほども縄文式土器にカエルが描かれていたと書きましたが、おそらく当時から貴重なタンパク源としてカエルは人に食べられていたと考えられます。
○日本人とカエル http://exoticpetdata.blog33.fc2.com/blog-entry-51.html
川の鮭を生活の基盤としていた、水辺の民亀ケ岡遺跡人と、その文化を受け継いだ人達は、湿地の精霊、カエルのモチーフを作り続けていたのだ。
それが遮光器土偶だったのだ。
アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、あらゆるものにカムイが宿っているとされる。使命を帯びて人間の世界であるアイヌ・モシリ (aynu mosir) にやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうという。ウィキペディア
カエルは水の中にも陸にも住める。
卵から足が生えて成長していく姿は、今見ても命のドラマチックさを感じてしまう。
精霊にふさわしい生き物である。
カエル。少し気持ち悪いが身近にいて食料になる精霊。
これが狩猟民族の信仰の心だったような気がする。
いやあ~ 驚きです。この遮光器土偶の捉え方、感銘しました。
コメントありがとうございます。
証拠は何一つ無いのですが、土偶を見た正直な感想でした。
最初に名前をつけた人の想像力は大事ですね。遮光器土偶とつけてしまうとその言葉に囚われてしまう。火焔土器も水の流れをモチーフにしたと言う説も有りますから。カエルの精霊だとすると頭の王冠もカエル座っている姿に見えるし、体の点々もヒキガエルのイボに見えてきます。素晴らしい想像力です。
コメントありがとうございます。縄文の世界はたぶん私たちの想像を超える世界観があったように思えます。二転三転する学術の世界とは違う視点が出来ればと思い続けているしだいです。
恐らく正解ですね。
https://instagram.com/p/BVCdAKKAFac/
後脚を食べるからこそ祭事で折るのでしょうね。
コメントありがとうございます。
インスタの写真もすごいですね。縄文の感性の本質は鋭い観察眼だと感じます。
なるほど! と思い、一歩進んだように思います。おもしろい発想ですね。色々な角度から、あるいは柔軟な発想で見ないと前へ進みませんよね。遮光器土偶は一体どうなってんだと、理解に苦しみます。
私は、土偶は胎児と共に死んだ母体に「とり憑いていた悪霊」の姿だと思います。しかし遮光器土偶は大多数の土偶とは違うようですね。
ところで、土偶が胎児と共に死んだ母体にとり憑いていた悪霊の姿であると気がついて、ブログに載せたのですが、なかなか出てきません。それで土偶を検索していたらここに出くわしたというわけです。この土偶が「悪霊の姿」とすると、土偶の五つの謎が一挙に解けるのです。
1、ほとんどが女性
2、おなかに切った跡がある
3、人間の顔に作ってない
4、全て壊されている
5、母体と一緒に副葬されてない
私のブログも見ていただければと思います。
「土偶は悪霊」で 出ます
コメントありがとうございます。ブログを読まさせていただきました。土偶が精霊だったという部分は世間の大半の方が納得しているところで現代の人形に対する思いに通じるところがあると思います。その人形(ひとがた)に人間が何を込めているかは縄文も現代も同じだったのではないかと私は解釈しています。まあ正解のない議論ですので、科学的な確証が発掘されるのを待ってみたいと思います。