奇跡の神仏習合 天武天皇の凄技
日本の古代史を調べていると、いつも不思議に思う。
それは宗教である。
世界を見れば、宗教で殺し合をしている。
今の中東の争いも、敬虔なイスラム教徒同士のイスラエル聖地の奪い合いである。
ヨーロッパの十字軍もキリスト教が発端だ。
ところが日本は、神様と仏様を一系統としてまとめ上げる神仏習合という荒技を使って治めてしまった。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。
最初仏教が日本に来た時、日本人は仏様を蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の神様として扱った。
実におおらかな対応である。
仏教はインドから生れたのだが、様々な国を経て日本にやってきているので、考え方は柔軟である。
例えば不動明王等の火炎光背や密教の護摩の火はゾロアスター教の影響を受けている。
しかし、まったく争いがなかったわけではない。
蘇我氏は熱心な仏教信者
物部氏は皇室の末裔なので神道
最終的には、仏教の蘇我馬子が勝利して、そこか仏教の繁栄が始まっていく。
しかし、宗教戦争には発展しなかった。
丸く収まったのである。
その理由は、日本人の性格というしかない。
そして神と仏を認めた天武天皇の存在がある。
天武天皇は八色の姓で氏姓制度を再編するとともに、律令制の導入に向けて制度改革を進めた。
新しい都(藤原京)の造営、『日本書紀』と『古事記』の編纂は、天武天皇が始め、死後に完成した事業である。
道教に関心を寄せ、神道を整備して国家神道を確立し、仏教を保護して国家仏教を推進した。
その他日本土着の伝統文化の形成に力があった。
天皇を称号とし、日本を国号とした最初の天皇とも言われる。
天照大神という神を造り出したのは天武天皇である。
また、仏教も保護する。皇后の病気に際して薬師寺建立し祈った。
それに加え道教にも傾倒していたらしい。
歴史を見ても天武天皇の施政が、神仏習合を強く進めたのは間違いない。
その後、神仏習合がすすみ、仏・菩薩を本地とし、神を衆生救済のための垂迹とする本地垂迹説が進んでいく。
神宮寺の建立や、阿弥陀如来の垂迹 (すいじゃく) が八幡神、大日如来の垂迹が伊勢大神という考えが浸透していったのだ。
和をもって貴しとする考えが、ここでも発揮されていったのだ。
しかしその後、神と仏は盛事の力関係でバランスを変えていく。
長く続いた共存は明治になり、神仏分離になっていく。
日本人にしてみれば、神仏習合も神仏分離も政治がしたことで、民衆の心は変らなかったと思う。
長崎はキリスト教が根付いた街である。
なぜ、キリスト教は神と仏に交わらなかったのかというのが不思議である。
宗教に関して寛容な日本人が、初めて敵意を表したのがキリスト教である。
たぶん、伝わってきた時期も悪かったし、伝えてきたオランダ、ポルトガル、スペインの姿勢も悪かったと思う。
キリスト教に敵意があったわけではなく、ヨーロッパ諸外国の欲が日本を過敏にしたのだ。
きっと、キリスト教がいい時期に伝わったとしたら、キリスト教さえ取り込んだ日本教を作ったと思える。
長崎では禁教政策で、キリスト信仰者は隠れキリシタンとなった歴史がある。
長い間隠れていた隠れキリシタンは、日本のキリスト教を作っている。
マリアは慈母観音と同じだ。
マリヤ観音という。
これは日本人の凄い才能だと思う。
やはり、和をもって貴しとするのである。