倭国と日本の関係

華麗なる唐代を再現する歌と踊り

華麗なる唐代を再現する歌と踊り

日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。

と『旧唐書』の「倭国伝」には書いている。

これが事実なら、邪馬台国と大和朝廷は別々に存在してもおかしくない大事件だ。

『旧唐書』(くとうじょ)
中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫、張昭遠、王伸らによって編纂された歴史書。二十四史の1つ。

日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合したと記述されている。

この記述が問題視されているのは、『旧唐書』と『新唐書』では、日本の書き方が違うからである。

解説
唐が滅亡した直後に書かれた『旧唐書』では、木版本でも「倭国」と「日本国」の記述の間に改行があり、東夷の中の別項目という扱いになっている。
 これに対して、後代史料である『新唐書』では、2つの国を一本化して記述しているが、それは著者の欧陽脩が同時代の知識をもって“編集”したものと考えるのが妥当である。
(もし、本当に倭と日本が同一連続王朝だとするならば、『旧唐書』がなぜ別国扱いにしているかをきちんと理由づけられなけばならない。)

旧唐書 巻199上 東夷伝
http://classic.music.coocan.jp/_book/furuta/kutoujo.htm

『旧唐書』と 『新唐書』 の二書が書かれたのは10~11世紀だが、それ以前の遣随使の時代から数十人規模の学問僧や帰化漢人が倭国から留学している。さらには、遣唐使に同行した阿倍仲麻呂が中国に帰化していることなどからも、かなりの正確さで互いの歴史が見えていた時代である。

邪馬台国・奇跡の解法
古代中国の知見と価値観で読む『倭人伝』解読の新境地
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/ff7d72c1dd78790aa0023f83ad748b04

『旧唐書』と 『新唐書』が書かれた時代には、日本はある程度確立された組織をすでにもっている。


日本国の朝貢は630年の遣唐使から始まっている。

そして日本の遣唐使が尊大で自分の国を大きく見せようとしていると書いている。

唐が日本と深く関わったのが「白村江の戦い」以降である。

白村江の戦い
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。

s-1312historicalcafe

この戦いは唐・新羅連合軍の勝利に終わる。

「日本国は倭国の別種なり」というのは、唐・新羅連合軍が闘ったのが「倭国」であり、遣唐使を派遣したのが「日本」と言うことなのだろう。

私流に考えれば幕末の時代、徳川幕府は「倭」で、明治の新政府は「日本」という事か。


古田武彦氏の「九州王朝説」というのがある。

古代史研究家の古田武彦氏

古代史研究家の古田武彦氏

学者の皆さんは無視しているが、一般の人から支持の高い説である。

「倭国≠日本国」と「倭国=日本国」

この問題は、なかなか決着がつかない。

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Impression

私は幕末説である。

トップが変れば国は変る。

日本は、明治維新も経験しているし、太平洋戦争敗戦も経験している。

その際、大きく国の内容が変っている。

まったく違う国になった様な感じをよその国の人は持つのだと思う。

しかし、歴史の細かな分岐点などが、資料として出てこない限りこの論争は終わらないだろう。

皆さんの議論を注目していたい。

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