一寸法師 少彦名命は倭国

一寸法師 講談社

一寸法師の話しである。

民俗学的に言えば、小人は巨人とペアになって英雄の属性たる力と知恵をそれぞれ分け持つことが多いと言われている。

巨人が知恵の欠落により鬼や笑われ者へと転落するのに対し、小人は悪知恵を働かせて最後は成人の姿になりめでたく家に帰還する。社会層にとっては力よりも現実的な困難をするりとかわして行く狡知のほうが求められたのだろう。ウィキペディア

確かに一理あるが、一般的な小人(こびと)の解説でもある。

一寸法師の話はいつ成立したかは未詳だが、室町時代後期までには成立していたものとされる。これは御伽草子が室町時代に出版されたからだ。

「小さな子」のモチーフは、日本においては日本神話の少彦名命(スクナヒコナ)がその源流と考えられる。少彦名命が水辺に出現したように昔話の「小さ子」の主人公も何らかの形で水界と関わっており、水神にまつわる基層信仰の存在が指摘されている。ウィキペディア

この解説は私には不明だ。なぜ「小さ子」が水神にかかわるのかの推察がないし、そもそも水神とは何かが語られていないからだ。

民俗学の解説の場合、どこかこじつけや断定的な言い回しがあって、時々首をひねる事がある。

例えばフロイトの夢判断が、すべてセックスに関係していると言い切ってしまう所と似ているところがある。

ただ、全国的に知られている一寸法師が、神話の少彦名命の話からこぼれ落ちたものだとする考えは、民俗学的に不合理な点はない。

少彦名命と一寸法師

少彦名命

少彦名命と一寸法師が共通するのは、小人である事と、知恵があり、社会に貢献したことである。さらにお椀の船に乗るところもよく似ている。

だが神話の筋と比べると、大きく違っている。

一寸法師が桃太郎と同じように鬼退治の勧善懲悪の話として定着してしまったからだ。

一寸法師は住吉の神に祈ると、老婆に子供ができたという所から始まる。

桃太郎も御伽草子の元の話では、お婆さんが桃の実を食べて若返り、子供を産んだという設定になっている。

共に若返りという奇跡が英雄を生むという事になっている。

打出の小槌

さらに鬼を退治するという結末があり、桃太郎の場合、鬼からの分取り品が金銀財宝と隠蓑、隠笠、打出の小槌という事になっているものがある。

一寸法師は、鬼から奪った打出の小槌で、小人から一般人と同じ身長になったとしている。

という事は、打出の小槌つながりが見え、桃太郎と一寸法師はやはりつながっている。

一般的に考えれば、一寸法師の名前の法師は僧侶の事で、住吉神に祈ったから生まれたという事と、戦う場所が京都という、時代を反映した設定で、時代設定のない桃太郎話の方が先にあったと思う。

まあ二つの話が室町時代の御伽草子からと思えば、その昔の話では別々の話だったかもしれない。

二つの伝説が昔話で語られるとき、丸められ単純化されストーリーとなり、勧善懲悪と教訓で味付けをして、日本人好みに仕立て上げられたのだろう。

二つの話の本当の原型であるキャラクターのみが昔話の中で活用されたのではないかと思う。

その中で一寸法師は、小人というキャラがインパクトもあり秀逸なのだ。

どうして小人という設定が生まれたのだろうか。その事にとても興味がある。

あらすじ

背丈が1寸ほどの主人公が鬼退治をし、打ち出の小槌(こづち)の力でりっぱな若者になり、公家の姫と結婚し中納言にまで出世する。

話の中でインパクトがあるのは「お椀の舟、箸の櫂」そして鬼と戦う剣が針だったという部分である。

この針の剣で胃の中を刺されたら、痛いだろうなと想像して、ぞくっとなった記憶が残っている。

しかし調べてみると、御伽草子に掲載されている話は少し違うようだ。

老夫婦が、一寸法師が全く大きくならないので化け物ではないかと気味悪く思っていた。そこで、一寸法師は自分から家を出ることにした。

一寸法師は宰相殿の娘に一目惚れし、妻にしたいと思った。しかし小さな体ではそれは叶わないということで一計を案じた。神棚から供えてあった米粒を持ってきて、寝ている娘の口につけ、自分は空の茶袋を持って泣き真似をした。それを見た宰相殿に、自分が貯えていた米を娘が奪ったのだと嘘をつき、宰相殿はそれを信じて娘を殺そうとした。一寸法師はその場を取り成し、娘とともに家を出た。

二人が乗った船は風に乗って薄気味悪い島に着いた。そこで鬼に出会い、鬼は一寸法師を飲み込んだ。しかし一寸法師は体の小ささを生かして、鬼の目から体の外に出てしまう。それを何度か繰り返しているうちに、鬼はすっかり一寸法師を恐れ、持っていた打出の小槌を置いて去ってしまった。

一寸法師の噂は世間に広まり、宮中に呼ばれた。帝は一寸法師の両親である老夫婦が、両者ともに帝に所縁のあった無実の罪で流罪となった貴族の遺児だと判明したこともあって一寸法師を気に入り、中納言まで出世した。

この話は私たちが知っている話とかなり違い、一寸法師はかなりの謀略家で、設定がかなりリアルである。

スリルとサスペンス、愛情のもつれ、アクションもあり、最後はハッピーエンド。

こんな話が、一寸法師の元だったという事は、かなり脚色されて作られた物語だったという事になる。

これは主婦層に受けそうだが、世に広まったのは、一寸法師のキャラクターを立たせ、余計な枝葉を落とし、単純なストーリーとしてアニメ風にされたものが、ヒットした感じである。

この一寸法師のキャラクターは、室町時代に新規に生まれたものではない。

日本各地に様々な「一寸法師」の話が存在していたからである。

世界中にある小人の話

地方には一寸法師のさまざまな異称があり、「あくと太郎」 (青森) 、「豆助」 (佐渡) 、「指太郎」 (岐阜) 、「一寸小太郎」 (喜界島)、 アイヌのコロポックルカムイなどがある。

そしてその小人たちには、オリジナルの様々な物語が付いている。

また、日本だけではなくヨーロッパをはじめ、トルコ、インド、ミャンマーなどの南アジアに分布している。

これだけ広範囲に、小人伝説があるという事は、世界中に小人たちが現存していたからだろう。

もっと大きく言えば、小人たちの存在はホモサピエンスの記憶ともいえるのかもしれないのだ。

低身長種族

ピグミー

身長が低い種族という人たちがいる。

中央アフリカのピグミー族で彼らは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。

この平均1.5メートル未満の人々は、現在で総人口は約20万人と言われている。

これらの人々がなぜ存在するかという問題に関して、現在も研究が続けられている。

ピグミーを総称した人種概念をネグリロと呼び、平均身長が150cmに満たない事が特徴だ。

他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。 髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀(突き出したお尻)」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。

その特徴的な形質から、独立した人種とされたりしているが、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある。

しかしやはり遺伝子の仕業とする説もある。

ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。

mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6~7万年前に分岐し、2万年前に東と西にピグミーが分岐したという結果が得られた。

つまりピグミーは同一起源であるというのが、現在有力になっている。

アフリカは人類発祥の地と言われていて、ここから世界中に人々は移り住んでいく。

なので人類が最初アフリカに住んでいた時代に、ピグミーの活躍の記憶が、移動した人々の中で近世まで残っていたと考えてもそれほど突飛ではない。

ホモ・フローレシエンシス

ホモ・フローレシエンシス

インドネシアのフローレス島で2004年に発掘された1万3000年~3万8000年前の成人と思われる遺骨7体から、今まで知られていない身長1メートル前後の骨格が見つかり、ホモ・フローレシエンシスと名づけられている。

ただし実在した新種の人類であるのか、小人症の人類の骨格であったのか学者間でも意見が分かれている。

もし実在した新種の人類であったとすれば、伝説として語られて来た小人族は、古代において実在していた可能性があり、それが伝承として残っていた可能性もあるといえる。

このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。

現在では、フローレス人の骨は10万~6万年前のもの、石器は19万~5万年前前後のものであるとみなされている。

フローレス人がなぜ注目されるのかと言えば、進化の過程で脳サイズが極端に小さくなることは「あり得ない」とされているからだ。

もし小型になって進化していったとしたら、日本に存在した可能性が残る。

日本は4万年から3万年前には世界最古の磨製石器が製作されており、すでに日本では独自の文化が形成されていた。

フローレス人の石器が5万年前、日本人は4万年前に磨製石器を作っている。

この事を考えれば、身長1メートル前後のホモ・フローレシエンシスが日本にもやって来て、日本の新人と共存していた時期があったかもしれない。

現在の研究では、原人や旧人たちは最初地球上に広がり住んでいて、ホモサピエンスが誕生して世界に広がり始めた時に、原人や旧人たちは自滅したとされている。

なぜ自滅したのかも謎のままである。

ヨーロッパでいえば、ネアンデルタール人(旧人)とクロマニョン人(新人)の関係があり、この旧人と新人は交配可能で、現在のヨーロッパ人の遺伝子にネアンデルタール人(旧人)か゛何パーセントか入っているという事実を考えれば、アジアにおいて小型人類と新人が遭遇していて、交流があったかもしれないと想像できる。

アフリカのピグミー、インドネシアのフローレス人の存在が、世界中に小人伝説を生んだと考えても、それほど突飛な話ではないだろう。

日本の小人伝説

一寸法師の原型を探せば、神話の少彦名命がキーポイントになってくる。

『古事記』では少名毘古那神、『日本書紀』では少彦名命(すくなひこなのみこと)、『先代旧事本紀』では天少彦根命(あまのすくなひこねのみこと)、『出雲国風土記』では須久奈比古命、『播磨国風土記』では小比古尼命、他に須久那美迦微、少日子根などと表記する。

『古事記』によれば、スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。

スクナビコナの名前の由来について、『古事記伝』によれば「御名の須久那(スクナ)はただ大名持(オホナムチ)の大名と対であるため」とある。

この少彦名命の登場が不思議である。

古事記の話で、大国主が出雲の美保岬にいたとき、鵝の皮を丸剥ぎにして衣服とする小さな神が、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って現れたとある。

大国主が小さな神に名を尋ねたが、答えがなく誰も知らなかったという。

ここが不思議だ。

なぜ黙っていたのか。単純に言えば言葉がわからなかったという事だろうか。

そして神産巣日神が登場する。神産巣日神(カミムスビ)は造化三神のうちの1柱という根源の神様だ。

神産巣日神は少彦名命を自分の子と認め、少彦名命に大国主と一緒に国造りをするように言ったという。

神産巣日神は出雲の神様を支援する神なので、今回も少彦名命を大国主の助っ人として遣わしたと推測できるが、唐突で不思議な出会いだが、国づくりには少彦名命がどうしても必要だったのだろう。

少彦名命と大国主のバディな関係

姿から言えば、大男と小柄な男。たとえば大国主は総理大臣か大統領。少彦名命は天上の高天原から命を受けてやって来た不思議な能力を持つコミカルな技術屋。

現代風に言えば、そんな感じである。刑事ドラマでいえばバディ。つまり相棒である。

こんなスタートから始まるのだが、何をやったのかが古事記にはほとんど書いていないのも不思議である。

それではどこに書いているかと言えば、伊予国風土記、出雲国風土記、播磨国風土記、尾張国風土記に愉快なエピソードがある。

なぜだろう。

少彦名命は高天原の神産巣日神の子供だが、大和との関わり合いをあまり好んではいなかったのだろうか。又はよくわからない神様だったのかもしれない。

つまり異邦人だったとも想像できる。

そんな神様が国づくりに必要だったのかという謎が膨らむばかりだ。

九州長崎の精霊船

私は長崎人なので、一つ気になる所がある。

少彦名命が天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗ってやって来たという所である。

ガガイモの実は下が膨らんでいて先が細長い形状である。

二人山脚 ガガイモの実:天の羅摩船 http://ninin.my.coocan.jp/yama/y073.htm

精霊船のミヨシ 桜馬場1丁目自治会 – のらんば長崎

この形は、九州長崎に現在も続いている、精霊流しの船の先端部分(みよし)という部分の形と同じなのである。

そして長崎では、精霊船のみよしは、ガガイモの実からきていると言われている。

それなら、少名彦は九州からやって来たのだろうか。

日本は古代中国から倭国と呼ばれていた。

その事に関して様々な説があるが、江戸時代の木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べているが、他説も多くあり現在も確定はしていない。

縄文人の男性平均身長は158cm、弥生時代に入ると更に伸び、古墳時代には男性平均身長163cm、女性平均身長152cmである。唐の時代の、中国人の平均身長は169cmから170cmといわれている。

古代の中国人から見れば、日本人が163センチ前後。たしかに身長は低いが、個体差もあるだろうから、不躾に「ちび」と呼ばれるほどではないと思う。

また日本の倭という文字には、差別的なちびという意味はなく、「委(ゆだねる)」に人が加わった字形で、「柔順なさま」「つつしむさま」、また「うねって遠いさま」をあらわす。

ただ現代の中国語表記では倭は小ささを表す言葉である事は間違いない。

中国人が日本人を東の夷狄とみなしているのは間違いなく、倭国に対していい言葉を使ったとも思えないので、わざと小さい奴らと呼んだとも考えられる。(国や度量、文化度が小さいという意味ともとれる。)

倭国と日本

古代の中国歴史書を読めば、倭国と日本は同じものではなかったと思われる。

倭国は古の倭奴国なり。旧唐書、倭国伝
日本国は倭国の別種なり。旧唐書、日本伝

この記録は興味深い

だが、この話も諸説がありすぎて結論を出せていない。

だが倭国と日本という二つのグループが日本列島に存在していたという説は突飛ではない。

それは大国主の国作りの話にも表れている。

大国主は出雲系の神様であり、手助けした少彦名命は日本の国を作った神産巣日神(カミムスビ)は造化三神の子供なので、高天原系である。

だが単純に高天原系とはいえず、対になる高御産巣日神が天照大御神と共に行動している事とは対照的に、国津神を助けていることを思えば、少し方向性が違うのである。

高天原が日本の大本とするなら、イザナギイザナミの天孫系と国津神系の二つが存在している様にも感じる。

そして造化三神は仕事を終えるといなくなってしまう。少彦名命も同じようにいなくなってしまう。

となれば、この話は大和の国の成り立ちを示唆していると思える。

日本列島の国たちを作ったのは国津神の大国主で、助けたのが異邦人のような少彦名命。

それなら天孫系の神々は国づくりに参加していない事になる。

現実の歴史には、倭という国が登場し、大和という国も登場する。

とすれば、大和という国代表が大国主、倭の国の代表が少彦名命。この二つの勢力が日本という国を作り上げる。

天孫族はその後、大和を統治して日本国に仕上げた。

こんな推理が十分成り立つと思うのだ。

倭国=少彦名命

倭国は中国との付き合いが古く、邪馬台国もあったので文化度においては中国大陸の恩恵を強く受けていると思われる。

少彦名命の役目は医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識担当である。

大和と倭国が融合した時、これらの有益な知識は九州からやって来たものかもしれないのだ。

現実に、禁厭(まじない)は卑弥呼の鬼道、穀物は稲作と考えれば問題はない。

さらに中国が日本を倭国という字を使い表記したとして、その倭という文字に東の夷狄の意味があり、小さいという意味も含ませていたとしたら、天孫族は九州人を小人扱いしてもおかしくはない。

小さいという事はある意味差別的用語でもある。

日本の国造りの立役者、大国主と対比させて、一段低い存在としての少彦名命を差別化をしたのかもしれない。

天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗ってやって来たというのは、九州に残る死者の旅立ちとしての精霊船の風習を指していたのだろう。

精霊流しは、長崎県の各地、熊本県の一部及び佐賀市でお盆に行われている。

古代はもっと九州全土にあったのかもしれないし、佐賀県の古代都市吉野ヶ里がある事を思えば、この地域から少名彦はやって来たのかもしれないと思う。

また日本を作り上げた時、用の済んだ少彦名命は、のちに常世国へと渡り去るが、草に弾かれて常世へ渡った、川で溺れて神去りしたなど様々な説話が存在する。

もう少しましな退場をしてもいいと思うのだが、倭国に対する扱いはこんなものだったんだろう。

ただ一つ言えることは、倭国と日本は対立していなかったという事である。

互いに協力しているし、少彦名命は天孫族とは違うが、天孫族のはるか昔の高天原の住人としている。

ここまでくると信ぴょう性が増してくる。

外来神

日本神話には外来神が結構いる。

神生みの際、最初に生まれたひるこ、次のあわしまは、神のうちに入れてもらえず、海に流されている。

しかしいつの間にか日本に戻ってきて、えびす様として信仰されているし、アワシマも女性の下の神様として信仰を生んでいる。

これらは、本州から九州に流された者たちだったのだろう。

特に和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社を総本社とする全国の淡島神社や淡路神社の祭神であるが、多くの神社では明治の神仏分離などにより少彦名神等に置き変えられている。

この淡島神、国産みを行った際に、両神の2番目の子として「淡島」が登場する。しかも不具の子であったために葦船に乗せて流され、日本の神様とはされていない。少彦名命と淡島神はとても象徴的である。

「魏志倭人伝」では、邪馬台国、その倭種の国からは南に、小人の国である侏儒国があるがこの地は女王国からは4,000里である、などと説明されている。

女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里

大和の国では九州に小人の国があったと信じられていたのかもしれない。

まとめ

日本の神話は不思議である。

何の説明もなく物語が展開していくからだ。だがそこに妙なリアリティを強く感じてしまう。

今回の大国主と少彦名命の建国物語もその一つである。

日本にある小人の話がすべて少彦名命とは思わないが、おそらく一寸法師はそうだろう。

世界中にある小人の話は、小人が実在していたという事実につながるし、現在でも成長ホルモンの異常による小人症の人々は存在する。

それ以外にもピグミーやフローレンス人の話も捨てがたい。

さらに言えばドイツの生物学者であるベルクマンの法則である「寒い地域の動物の方が体が大きい」という説に従えば、南国の低身長と北国の高身長の対比から生まれたものかもしれない。

一寸法師の話は、体は小さくても知恵と努力と勇気で、戦ったヒーローの話であり、教訓をたくさん含んだ仕上がりになり全国に広がった。

それは日本人の弱者への温かいまなざしと、判官びいきと言われる応援につながってくると思う。

そして一寸法師の元になった少彦名命の神話は、日本が大和と倭国を飲み込んでいく話の比喩として、古事記に載せられたのだろう。

そこには協調があり、日本の和の姿が見えてくるのだ。

日本の建国の為に尽くした少彦名命は、仕事が終わると去って行ってしまって、二度と古事記には登場しなくなる。

これもまた象徴的な結末である。