中園アーケードの恵比寿様の謎
長崎市内の住吉の話である。
電車の住吉電停を降りると両脇にアーケードがある。
中園郵便局のほうのアーケードの角に恵比寿様が祀られている。
うーん
ちょっと不思議に思った。
恵比寿様は商売繁盛の神様だけど、漁業の神様でもある。
恵比寿様はいろんな意味がある。
蛭子命(ひるこのみこと)の恵比寿は漂流神だ。
死産した子供が、水難で水死した人間と似ている事から同一視され、海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承というのがある。
もう一つは七福神の1柱となり商売繁盛の神様としての性格である。
商店街なので商売繁盛の神様として誰かが祀ったと思ったが、近くには川が流れている。
今はアーケードだが、昔は川が近くまであったのじゃないかと考えたりもした。
そしてその事はいつの間にか忘れていた。
ブラタモリ
これはNHKの番組である。
大好きで、毎週録画している。
「高低差」「河岸段丘」などの言葉が出て、今までにない町歩きが面白い。
もう一つ、ローカルのケーブルテレビだが、「長崎ぶらぶら好き」もいい。
ただこの番組は江戸時代の話がメインなので、少し興味が違うが「山口広助」氏の知識には舌を巻く。
いつものように中園町を買い物でうろうろしていた時、すごいものを発見した。
すごい物とは大げさだが、道の脇にある恵比寿様だ。
住吉交番の裏手にひっそりと祀られていた。
ピンときた。
中園町のアーケードの角にある恵比寿様とすく近くにある交番隅の恵比寿様。
やはりこの通りには川が流れていたのである。
しかし現実にはその場所から40~50メートル線路側に川がある。
よし。
このあたりの高低差と川を知れば詳しくわかるかもしれないと思い
住吉ブラタモリをすることにした。
川を下ってみる。
中園町には西浦上駅がある。
この線路脇に川が流れている。
まずは赤迫方面に歩く。現在工事中である。
暗渠にしているようだ。その先を進むと線路の左側に川筋が変わる。
左側を見ればレンガ造りだ。という事は昔から工事が行われていたという証である。
異常にまっすぐな川
この線路沿いの川はまっすぐだ。
そして線路もまっすぐである。
これは、明らかに河川工事が行われた証拠である。
この川を下ってみる事にした。
長崎駅に向かって歩く。
ブラタモリで言っていたが、なだらかな高低差と道の曲り方は自然の地形のようだ。
線路の土手は明らかに人工的だ。線路の反対側の音無町側とこちら側の土地の高さは同じようだ。いや音無町側には丘か小山になっていてこちらに下っている。
どんどん下っていくと、左手は大橋地区
もっと下がると
川沿いに進んでいくと浦上川との分岐点がある。
そして大橋である。
ここまで歩いてきて、一つわかったのが川の流れである。
川は護岸工事がされているのだが、曲り方といい自然な地形と思えた。
そうすると、あの西浦上駅付近の直線の川の流れが不自然だと思う。
地図にある不自然な水路
ここでグーグルマップを見る。
ここで重大な発見をした。
謎の水路を発見したのだ。
このあたりはよく知っているのに、まったく気づかなかった。
マップで見ても、この水路は自然な曲線である。
そして家の並びが不自然なのは、最初にこの水路があっって、その曲線に沿って家を立てた証拠でもある。
そしてその写真である。確かに川があった。
住吉交番の恵比寿と位置はずれているが、川が蛇行しているのは発見できた。
ネットで調べても、昔の川筋はなかった。
色んなキーワードで検索をかけると一つだけ発見する。
それは伊能忠敬の地図である。
伊能忠敬の地図
伊能 忠敬はご存知の通り17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした偉大な人物である。
江戸時代長崎にもやってきて、正確な地図を残している。
住吉、赤迫は浦上(時津)街道がある。
その道筋に川も書かれている。
時津街道 長崎県内の主な街道
地図以外にも日記が記されている。
九月十八日 朝は曇天、午後より晴れ。
彼杵郡大村領浦上北村。昨日打ち止めより時津街道を測る。浦上北村本村。人家が散在していて字はない。只、西又は東という。右に口留番所。字東。字西。字中通(住吉商店街)。
浦上街道は住吉神社の前を通っている。
そのあと赤迫の坂を上ったのだ。
下の文は、赤迫を登りきったところである。
右の岩に六地蔵と釈迦阿弥陀観音を彫刻している。枝岩屋、家数三十五軒。左に岩屋大権現一ノ華表(かひょう、鳥居のこと)前。八町ばかり(873m)引き込んだ岩屋岳の梺(ふもと)に本社がある。平宗川は巾六間(11m)。
この道の左手には川が流れている。
平宗川というらしい。初めて知った。
この川が、西浦上の線路の脇を流れているのだ。
巾六間(11m)と書かれている。今の川幅は5メートルくらいか。
昔は倍くらいあったのだ。
伊能忠敬の全体の地図があればいいのだが、ネット上にはなかった。
上記の地図は赤迫から滑石付近だと思う。
肝心の中園町、住吉の地図はネット上にはなかった。
しかしその代わりに浦上街道の地図があった。
必要な所を拡大してみる。
青い線が昔の川の流れだそうだ。
前の地図と合成してみる。
川沿いにあった恵比寿様
長かったが、昔の川筋と恵比寿様が重なった。
ここも昔は川だったのだ。
それも今の道幅の倍の川が流れていたのだ。
いまだとイメージがわかないが、江戸時代以前も平安時代もたぶんここには川が流れていたはずだ。
こんな絵葉書があった。
どこの場所か特定できないが、浦上街道は川沿いにあったのだろう。
中園町のアーケードの恵比寿様の謎が解けた。
結構大きな川みたいなので、船が行きかっていたかも知れない。
恵比寿様があるという事は、人が住んでいて市場が出来ていたのかもしれない。
今の住吉の繁栄はこの川のおかげかもしれない。
「かもしれない」だらけだが、今の町に残っている2体の恵比寿様は、過去の地形を現してくれた。
この事は別にたいした事じゃないだろう。
歴史に詳しい先生たちなら、簡単にわかっていた事かもしれないが、ネットとカメラしかない僕には、とても有意義な勉強だった。
やはり、歩き回りその場所を知るかはとても大切だ。
敬愛するシャーロックホームズやコロンボや古畑任三郎のように、小さい所を大切にしたいと思う。
理想である。