武士は縄文人 日本は縄文遺伝子によって牽引されてきた

外国の学者が鎌倉武士の骨を調べたら、縄文系だったという記事があった。

鎌倉武士

1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。

この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。

http://amezor-iv.net/res.php/society/090315143807/1-30


縄文人=アイヌ人=鎌倉武士という図式である。

しかし、この説には当然反論もある。

 増田准教授らはオホーツク人のなかに、縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプを確認した。北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった」

当然だと思う。

鎌倉武士の骨が縄文系というだけで、すべてがアイヌ人という結論はありえない。


しかし、しかしである。

戦闘集団である武士が、縄文系だったとされる説は面白い。

武士と日本文化

尊敬する司馬遼太郎氏の話のなかに、「日本史の中で武士がいたからこそ明治の近代化が成し遂げられた」と語っていたからである。

確かに、日本という国を引っ張っていったのは、武士という階級である。


武士の始まりは、自警団であり、組織が出来ると共に発生してきた。

しかし、武士という集団に規律と思想を持ち込んだのは、鎌倉時代の武士である事は間違いない。

鎌倉幕府は、源頼朝(源氏)がつくり、北条氏(平氏)が幕府の実権を掌握、御成敗式目という法律が作られた。

政権は質実剛健を信条とするものとなり、全国的に経済も安定する。

そして13世紀の二度にわたる元寇を打ち破った事は周知の事である。

その後、南北朝時代、戦国時代をへて織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が登場する。


今回の縄文系鎌倉武士とは坂東武者の事をさしているのだろう。

坂東とは現在で言う東京・埼玉・群馬・栃木・茨城・千葉・神奈川を坂東といい、鎌倉武士の代名詞でもある。

性格は質実剛健、勇猛果敢ということか。

マイノリティの縄文と武士

縄文人=鎌倉武士が成立するとすれば、縄文人は質実剛健、勇猛果敢という事になる。


なんかありそうな話で、面白いが言い切るには自信がない。


日本人の中には縄文の遺伝子が15%あるらしい。

現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程度である
国立遺伝学研究所
https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html


縄文時代には南方系と北方系があったといわれているので、琉球方面と東北関東方面では、同じ縄文人でも出身が違っていたとされている。

単純に割り算をして北方系縄文人、南方系縄文人が半分づつとすれば、関東地方の坂東武者たちの遺伝子は7.5%日本人に伝わっていたといえる。


日本の武士の割合は、各時代で違うがしらべてみたら

ヤフーの知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11115067541
以上より、武士の割合は華士卒族の合計192万7848人、約6.4%となります。もっともこれは東北諸藩・旧幕府で大量の解雇者が出た(例えば仙台藩には総人口の22%を占める17万2千人の士分がいたが、戊申戦争後に陪臣など12万6千人を平民に格下げした)後の数字ですので、実際にはこれよりも少し多い220万人以上、7%ぐらいが武士とみなされる人口でしょう。

7%ぐらいが武士という数字があった。

さらに鎌倉時代は武士は1%で残りは農民だったという。

興味深いのは、日本を牽引してきた武士集団は、全人口の少数派だったという事である。


縄文人は支配系か

弥生時代、日本にやってきたのは農民の祖先で、縄文人はそれらの人を統括するポジションに移ったといえるのかもしれない。

こう考えると、東南アジアから稲作を持ってきた他国の言葉を話す民族を纏め上げ、日本語で統一したのが縄文人たちだったのかもしれない。

日本語が独立言語として成り立っていたのは、マイノリティーの縄文人集団の指導が原因だった可能性が出来てくる。

この発想は小説とすればおもしろい。

縄文人と渡来系弥生人
縄文人(左)は彫りの深い顔立ちで、歯が小さい。
渡来系弥生人(右)は平坦な顔立ちで歯が大きい。
出土:縄文人 宮野貝塚 、弥生人 金隈遺跡 / 写真撮影:酒井孝芳
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html


足の骨から縄文人の平均身長を推定すると、男性は158cm、女性は148cm程度である。しかし、縄文人は四肢の末端近くが相対的に長い。腕や足の末端近くが長いことは、走る事、つまり狩猟生活への適応であると考えられている。(資料提供:国立科学博物館/馬場悠男)
http://material.miyazaki-c.ed.jp/ipa/jyoumonjin/hikaku/IPA-joe100.htm

小柄だが、肩幅があり、鍛えられた筋肉を持つアスリート系が縄文人である。

弥生人の場合、手足は長く、身長は明らかに縄文人よりも高いとか顔が平べったいとかで体格に関して特に記述はない。


縄文人と弥生人の区別は正しいのか

縄文人と弥生人の区別が、数少ない遺跡の中から出てきた人骨の調査結果であり、遺跡そのものがどの時代からのものなのかも信憑性は薄い。

要するに、決定するには極端にデータ不足なのである。

それを膨らまして、現在の説になった。


過去縄文人は、弥生時代に駆逐されてしまったという学説が主流だった。

稲作は朝鮮半島から伝わったという説が定説だった。


そんな事を思えば、縄文人弥生人の区別さえ不明である。


彫が深ければ縄文人、平べったければ弥生人というのは

どう考えても乱暴だ。


しかし、狩猟採取を生活にしている人たちと、稲作を中心にする人たちの気質は違うことは推測できる。


鎌倉時代、武士の基本的考えを作り、日本文化をリードしてきたのは、北の縄文の末裔坂東武者。

源義経

明治維新。幕府を倒したのは、南の縄文系の薩摩藩である。

共に、古代縄文人の血が濃いといわれている人たちである。

これは、縄文の血統が日本を牽引してきたといえるだろう。


この話は、小説とすればかなり面白いといえる。

しかし、私の心の中では、真実かもと思っている。

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