日本人は個人主義。バトンリレーにみる日本人像
日本人の特質に集団行動が得意というのがある。
一番印象的だったのがリオデジャネイロオリンピックの陸上男子400メートルリレーだ。
1位はジャマイカ。あの絶対王者ウサイン・ボルトがチームにいる。
私もテレビを見ていて、大興奮した場面だった。
さらにウサイン・ボルトが日本チームを絶賛した事も印象に残った。
日本人のバトンリレーはそれほど際立っていた。
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160820/dde/035/050/010000c
解説では、普通のチームがやる「オーバーハンドパス」ではなく日本チームは「アンダーハンドパス」を行った。
世界選手権、五輪の世界大会ではアンダーハンドパスを採用した2001年以降12大会では、2011年と2015年を除く10大会で決勝に残り、400mリレーは日本のお家芸と言える種目となりました。
練習でこの技を完成させたという事になるが
日本人の持つ以心伝心の能力がうまく開花したといっていいだろう。
稲作民族だから?
この事を書くと、稲作民族の遺伝子などという評論に出会う。
確かに農耕民族は集団行動をするが、
すべての農耕民族がバトンリレーが得意かというと、そうではない。
農耕というのは、世界中の人種がやっている事だ。
アジア、中近東、ヨーロッパ、アメリカ大陸
稲と小麦の違いはあるが、すべて集団で生産を行う作業だ。
いや水田稲作は特別だという方もいるが、稲作は東南アジアが本場である。
1.中華人民共和国、2.インド、3.インドネシア、4.バングラデシュ
これは米の生産量のランキングだ。
となれば、日本人の集団行動の統制のよさは稲作だけではなさそうである。
島国だから?
それなら、島国だから集団行動が得意という説明がある。
世界には島国は沢山ある。
2014年時点で、島国は、国際連合の加盟国193か国中、47か国である。
世界の島国は、イギリスを除き弱小といってもいいだろう。
そして、ほとんど植民地となった経緯があり、島国で侵略されなかったのは日本ぐらいかもしれない。
確かに集団行動が得意だというのは島国のせいだったかも知れないし、ヨーロッパから遠かったという原因はあるだろう。
しかし、世界を脅かしたドイツ軍は島国育ちではないし、最強のアメリカ軍も島国ではない。
原因の要素があるが、すべてではないという事になる。
日本人の特質を語るのなら、もっと古代の様子を考えなくてはならないだろう。
話を元に戻す。
個人主義
陸上男子400メートルリレーのバトン技のすごさからこの話は出発している。
連携プレーの凄さを語る時、個人の努力を抜きにして語る事はできない。
短絡的に日本人は集団行動が得意だからという結論に結びつけるのは早計である。
もっと個人に目を向けるべきではないだろうか。
黙々と努力するという事は、個人の能力を上げたいという欲求が出発点だ。
他人はどうあれ、自分自身がよくなりたいのだ。
これは究極の個人主義である。
日本人は没個性といわれているが、そうではない。
日本の文化の特異性は世界の人たちがよく知っているはずだ。
和食文化や侘びさびのお茶の世界。
武士道、柔道、絵画。
生魚を好んで食べるのも文化である。
そしてそれは、優れた個人の資質や性格が大いに関与している。
赤信号でも渡らない合理性
日本人の集団性でよく言われるのが整然とした行列である。
バスや電車に乗る際、きちんと並ぶのは
それが最も合理的だと、皆が知っているからだ。
ビートたけしの「赤信号 みんなで渡れば怖くない」は秀逸だが、
狭い国道や、車のあまり通らない道路では、みんな赤信号でも渡るし、
信号無視の常連は、老人たちである。
赤信号でも渡らないほうが合理的なのか、車が通らなければ渡るという事が合理的なのかという問題になると思うが、それぞれの合理性がある。
車が通らなければ渡る人は、直接自分の利益になるという合理性だ。
間違いではない。
車社会である。
交通戦争といわれるほど死者を出した日本は、整然とした交通規則を作った。
規則を守るという事が、安全を保障してくれるのである。
横断歩道を渡る時、毎回車が来る来ないをきょろきょろ確認して
隙を見て、だっと走るというのは疲れる。
規則を守れば、そんなわずらわしさから開放されるのだ。
これが規則を守る事により得られる安全への合理性である。
だからこそ、日本は世界一安全の国なのである。
日本の安全は、右向けば右といった夢遊病者のような行動論理ではなく
個人の意識の高さがなしえている、合理性の高い考え方がベースにある。
規則を守っていれば、ある程度の安全が確保できるという事であれば
無駄な緊張感と労力を排除でき、違うことに集中できる。
拳銃の携帯が緩やかな国では、安全を確保するのに
余計な気苦労と緊張感を必要とする。
信号を無視できる人が沢山いる国では、道を歩いたり車を運転する時
やはり同じ、余計な気苦労と緊張感を必要とする。
どちらが合理的だろうか。
血族と他人の違い
もう一つ重要な事がある。
集団性が高いのは日本だけではない。
中国だってヨーロッパだって、集団の意識は当然ある。
しかし、調べてみると血族の集団性の高さが目に付く。
映画に出てくるマフィアにも、血縁によるつながりが極端に強い。
中国の仲間意識も、頂点は家族である。
もちろん日本にも、家族主義はある。
しかし、これまでの日本の歴史を見れば、血族よりも他人との結びつきのほうが強いような気がする。
大和政権は天皇を中心とした組織だった。
天皇家は形式的な血統の一族である。それは政治的配慮が強かったように思える。
王権の保持者の基準を血族に限定すれば、無用な下克上は起りにくい。
この事を日本人は無意識の内に知っていたに違いない。
天皇制というのは国内の争いを少なくする合理的なシステムなのだ。
その後台頭してくる武士の社会、それから軍隊の社会、そして会社の社会と
他人とのつながりが日本の背骨となっていった。
血族は2番目で、1番は組織だった。
団塊の世代は、家族をないがしろにして会社に奉仕していたおじさんたちの集団だ。
戦争に関しては色々あるが、日本軍がより強力な軍隊だったのは周知の事実である。
武士は、家族より家、上下関係がメインの集団である。
これは事実である。
日本人の家族の結びつきが弱いわけではない。
しかし、家制度という形をとっている。
そこがファミリーとは違うと思う。
家族愛は世界普遍の愛情である。
しかし家制度という組織愛もそれと同等に強いのだ。
家族愛と組織愛の二重構造
日本人の特異性は家族愛と組織愛の二重構造にある。
その証拠となるのは、やはり日本の歴史の中で顕著な
組織への忠誠心の歴史である。
しかし、人間である以上家族愛がなくなることはない。
となれば、日本人の特異性が二重構造から来ているという結論になってしまう。
これまでの日本人論
これまでさまざまな日本人論がのべられてきた。
『菊と刀』 ルース・ベネディクト
日本の文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決め付け、欧米の文化を内的な良心を意識する「罪の文化」と定義。「甘え」の構造 土居健郎著
「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造をわかるための重要なキーワードだという。
甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義する。
この行動を親に要求する子供にたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるべきだという。ウィキペディア
これ以外にもたくさん出版されており、それぞれ納得できる本もある。
一般的に、日本の没個性と献身的な組織愛が述べられているものが多いのだが私は、日本人が没個性だとも思わないし、献身的な組織愛が主だとも思わない。
個性と組織愛が同等であり、より合理的な行動をとるという結論に達した。
つまり、日本人は昔から合理性を重んじた民族だったのである。
個性は、利己的な事と紙一重である。
利己的さは自由と共通項がある。
よくドイツ人は合理的だといわれる。
ドイツ人は日ごろより整理整頓を心がけている。
整理整頓をすれば、時間と手間を省いてくれるからだという考え方である。
合理的である。
しかし自分の担当以外の仕事は、やらないというのも徹底している。
利己的な事がベースになっている。
そのあたりが日本人と違う。
日本人の場合、自分の担当以外のこともやろうと考える。
社会が円滑に動く事が、自分の評価につながり、その結果
自分の利益となるからである。
こんな考え方は日本人だけであろう。
(もちろんそう考えない人も確実にいる。ここでは一般論として聞いて欲しい)
なぜ、こんな考え方が出来るのか。
それが、この話の本題である。
縄文の合理性
日本人は単一民族だが、それには歴史がある。
やはり縄文時代から、考えないとおかしくなる。
弥生時代、大陸から大勢の渡来人が日本にやってきて弥生時代を作ったという説があるが、疑問な点も多く決定的な説はない。
しかし、北から南から色んな人種が日本に来た事は間違いない。
しかも東の果てなので、出口はない。
日本列島の中で共に暮らさないと生きていけないのだ。
普通の文明なら、血で血を洗う戦いに明け暮れたたはずだ。
しかし、その当時の日本は食糧が豊富にあった。
奪い合うより、住み分けた方が楽に生き延びられたのだ。
さらに災害が多い。地震や津波、火山の爆発など人知を超えた自然が相手となる。
争って生き延びるより、他人と協力して生き延びる道を選んだ。
これは、利口で合理的な進化といえるだろう。
つまり、さまざまな条件が重なり、ブレンドされた結果
日本人の独特の特性が出来上がったのだ。
強くなったバトンリレーは
個人の努力の賜物だ。
そして、他人との協力関係がいかに重要かということの証明である。
いろんな世界で、時々見え隠れする日本人の特質に
はるかな古代縄文の生き様が見える。
これからも、その事を想いながら日本を見つめて生きたいと思う。