見事な外交術 ヤマトの語源

ことばと文字。

当たり前だと思っている関係が、昔はなかったという事に気づいた。

今更といわれそうだが、古代の事を考えるなら、そこは大事だと気づいた。

私たちは、漢字の持つ意味に重きを置く。

 

「愛子」と書けば、愛らしい子供というイメージを持つ。

「悪魔」と書けば、悪い魔性のものというイメージだ。

それは、当然漢字を使う教育を受けたからである。  

 

しかし、古代日本が、漢字を取り込んだ時、 漢字の「意味」より「音」を利用したのだ。

万葉仮名といわれている使い方である。

なぜ漢字を、表音記号として使ったのかというと、中国語と日本語は全く別の言語だったからだ。

「はるくさのはじめのとし」という文がある。

今風に書けば「春草の初めとし」になるだろう。

ところが、万葉集では 「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」と書いた。

 

何処かでみた使い方だと思ったら、暴走族の「夜露死苦(よろしく)」と同じだった。

「魔苦怒奈流怒(マクドナルド)」などは、まさに4世紀の古代風の書き方だろう。

暴走族ってすごいな。

 

今でも、イタリアは「伊太利」 フランスは「仏蘭西」と書く。  

その事を念頭に置いて考えなければならない。

まず「倭」という呼び名だ。

中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して倭と呼んでいた。

しかし、日本原住民が自分たちの国を「わ」とよんでいたわけではなく、中国の人が、かってに「わ」と呼んでいたわけだ。

 

その理由として推測できるのは

1.倭人が自らを「わ」(われ)と称したことから「倭」となった、とする説

2.江戸時代の木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする。

などがある。

1番と2番が組み合わさったようだと思う。

 

身長の高さは、中国人も日本人もさして変わりはない。

「劣った」という意味合いが強いのだろう。

この説は一般的だし、納得もいく。

 

現代の日本人も、南洋系の裸族を、みんなひっくるめて「土人」という。

人間、上から目線だと何でもありになる。

今も昔も変らないのだ。 きっと中国の人も、深い意味はなく、上から目線で呼んだのだろう。

  それでは「やまと」はどうだろうか。

 

ウィキペディアにある「やまと」の語源一覧

山に囲まれた地域であるからと言う説

「やまと」は元は「山門」とする説

三輪山から山東(やまとう)を中心に発展したためとする説

邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説

 

僕なんかは邪馬台国の「邪馬台」が「やまと」と思うのだが。

しばらくホームページをみていたら 僕と同じ事を書いている方のHPを見つけた。

こちらの人の方が詳しく書いてある。

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《倭》と《大和》の語源(オロモルフ)■□■□■

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yamato_gogenn.htm

 

この方の意見も「山のふもと」を押している。  

 

「倭」は中国人が付けた名前 「やまと」は日本人が付けた名前。

こう分けられるのだ。   ここからが面白い。

結局「大和」とかいて「やまと」と呼んだ。

強大な大国、中国が付けてくれた「倭」をはねつける事をしなかった。

勝手に名前を変える事は、中国に反抗する事になる。

 

そこで、まず字を替えた。

「倭」を「和」に変えた。

そして、大きいという意味の「大」をつけたして「大和」とした。

 

そして「大和」を「やまと」と呼んだのだ。  

恐るべし日本

中国に何か言われたら、 「わ」という字をちゃんと使ってまっせ といいわけが出来るし 自分たちのメンツもかろうじて保っている。

 

大国の近くで独立を保とうとする努力 それが「大和」なんだ。

いいんじゃないかと思う。

その繊細さは、今でも生きている。  

がんばれ「大和」

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