比叡山への旅(3) 比叡山延暦寺
京都二条で比叡山直通のバスに乗る予定だったが、バスの停留所がわからずうろうろしてしまい、見つけた時は発車した数分後だった。
その後に比叡平行きのバスが来た。若い観光客風の女性が2名乗ったので、比叡山の近くまで行くのだと思い、つられるように乗ったのだが、それが大間違い。
念のため運転手さんに尋ねたら、「全然違うよ、すぐ降りて電車を探せ」と言われたので、慌てて降りて、歩いて二条駅まで戻る。
これで一気に汗が吹き出し、少しへたばる。
気を取り直し、電車を探し琵琶湖の坂本という場所まで行き、ケーブルカーに乗る。
文章で書くと簡単なのだが、慣れない電車バスに右往左往の連続。これで大幅にへたばる。
ケーブルカーは風情があり、気持ちが少し回復、わずかな時間で比叡山へ到着した。
「延暦寺」とは、比叡山の山内にある広大な境内地に点在する約100ほどの堂宇の総称で延暦寺という一棟の建造物があるわけではない。
この比叡山には東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」の三つに区分されていて、メインは東塔らしい。
山に入った第一の感想は、今回のコロナ禍で観光客が少なかったせいもあるのだが、全体的に閑散としている感じだった。
どうしても高野山と比べてしまうのだが、高野山の派手さは全くない。
大きなお堂が点在しているという印象を持った。
比叡山の見どころは、ネットで予習済みなので、まずは東塔(とうどう)の根本中堂を参拝する。
ところが、この根本中堂が工事中で、大きな工事用建物をかぶっていて残念ながら全景が見えなかった。
東塔を2時間ほどで回り、西塔(さいとう)へシャトルバスで移動する。
この西塔もまた静かな森の中にあり、散策すると親鸞聖人の修行の場だったと書いている空き地がある。
なんとなく、なるほどと思った。
天台宗
延暦寺は、ご存じ最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院である。
そして高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心だった山である。
天台宗は中国を発祥とする大乗仏教の宗派の一つで、この天台宗を学んで日本に広めたのが最澄(伝教大師)である。
私は仏教に関してそれほど知識があるわけではないので、ネットからのコピペで紹介する。
天台宗と真言宗の違い
全ての人は皆、生まれながらにして仏となりうる素質をもつ「本覚思想」が天台宗で、空海の真言宗は「即身成仏」である。
真言宗は今現在生きているこの身のまま成仏できるという考え方なのである。
あまりにもざっくりした解説だが、空海と最澄の違いは、多くのホームページに詳しい記載があるので、私が解説するより、賢人たちの本やホームページを熟読したほうが、はるかにいいと思う。
無知な私が強く感じるのは、天才と秀才の違いである。
そして、その思いはこの比叡山にきて確信に変わった。
人は仏になれる素質があると考えた最澄、仏になれると言い切った空海。
どちらが魅力的かといえば、やはり空海だろう。
これもまた、私の偏見である。
百済の抱き込み作戦 仏教伝来
やはり仏教のことを知るには、この事柄は外せない。
538年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとある。
これは公的な記録であり、それ以前にも日本に仏教は伝わっていた。
それなら、なぜ百済の聖明王は、百済の国宝級な宝物の金ぴかの仏像を日本に送ったのかといえば、政治的思惑が多く含まれている。
以後は梅原猛氏の「仏教伝来」の受け売りである。
その当時の百済は、朝鮮半島南部の日本が支配していた「伽耶」の地域がどうしても欲しかったのだ。
それは、新羅の台頭や北の高句麗の脅威からだった。
そして、日本を抱き込むために、日本に金ぴかの仏像を送ったのである。さらに、多くの仏教学者や僧を日本へ送りつけた。
なので、仏教がどんな教えで、どれほど日本人にとって有益かなどを説いたりはしない。
「今のアジアのトレンドは仏教で、それを取り入れなければ日本は乗り遅れるよ」っていう感じである。
この新しい動きは、日本に仏教対神道の対立を巻き起こす。それが曽我氏と物部氏の確執となる。
単純な思想論争ではなく、どちらが政権側に近づけるかという政治の争いだったといえる。
そして聖徳太子という天才の登場する。
聖徳太子は、日本に平等の概念を持ち込み、仏教に儒教を加味した新しいシステムを作り上げたのである。
国を新しくするには、新しいトレンドが必要だったのだ。
そうやって入ってきた仏教は政治的なものだったので、民衆に根付かず堕落していく。
そして、空海と最澄が登場するというわけである。
空海は仏教の持つパワーを、最澄はそのシステマチックな体系を日本に伝える。
それは、日本の奇跡だったともいえる。
そして、仏教は民衆に広がっていくのである。しかし、その為には神道の力も必要だった。
天台宗の密教が神道と習合して「山王神道」、真言宗と習合して「両部神道」が生まれる。
仏と神の融合である。
山王神道(さんのうしんとう)は仏が主で、両部神道(りょうぶしんとう)は神が主である。
その後、すべてをごちゃまぜにした修験道が民衆の支持を得るようになる。
民俗宗教思想
日本にもともとあった自然崇拝と祖先崇拝は、日本人の大きな精神的バックボーンである。
それを変えることは出来ないのである。
なので、神道と仏教は寄り添った。それが自然だからだ。
日本には、俗信ともいえる信仰が山のようにある。これらを研究の対象にしたのが民俗学である。
例えば天狗と山岳信仰、霊魂の存在など仏教とも神道ともいわれない部分が多い。
これらは日本だけではなく世界中にある。
俗信を切り捨てるのは宗教で、取り込むのも宗教である。
そんな目で日本の宗教を見ると、人々に寄り添った日本の僧の姿勢がわかる。
最澄は人にはすべて仏性があると説く。
その弟子たちは、それならば修行をしなくても念仏だけ唱えれば救われると、解釈を広げていった。
そうゆう風に、最澄の教えは様々な宗派を生み、民衆へと仏教は広がっていくのである。
比叡山は静かな場所である。
それは最澄の人柄が反映しているのかもしれないと思う。
最澄が描かれている絵画だが、女性的な顔立ちをしているものが多い。
ふと思う。
空海は父、最澄は母なのではないかと。
不遜だが、今回の旅でそのイメージは私の中に居座ってしまった。
帰りは、京都直通のバスに乗った。
山道を下ると、時折琵琶湖が見える。
そういえば、ケーブルカーのあった場所は坂本という。
今話題の「麒麟が来る」の明智三成の城がある処だ。
明智といえば織田信長だ。
比叡山は、信長によって焼き討ちされている。
この事件は肯定派と否定派に分かれている。
私は信長に寄り添いたい。多分信長は僧侶を尊敬したかったのだ。その思いが、堕落していく仏僧に向けられたのかなと思う。
そう思いながら、バスは京都に近づいていく。
これで、旅が終わったとほっとした気持ちになった。
旅の終わりにはいつもそう思う。
そして首から下げていたカメラをカメラバックにしまった。
比叡山への旅(1) 仁徳天皇陵
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比叡山への旅(2) 三柱鳥居の木嶋蚕の社
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比叡山への旅(3) 比叡山延暦寺
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