【長崎・金比羅山の天孫降臨伝説(13・完結)】斉明天皇と阿曇比羅夫の航跡|神話の霧が晴れるとき

長崎港

長崎港

長崎の金比羅山に伝わる「天孫降臨伝説」の謎を追い続け、全13話に及んだこの調査も、いよいよ最終章を迎えた。

長崎港の最古の名として伝わる「瓊杵田津(にぎたづ)」。 この特異な響きを持つ地名は、古代史の巨大な舞台と完全にリンクしている。

万葉集の冒頭を飾る、あまりにも名高い一首だ。

「熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」 (万葉集 巻一・八 / 額田王)

この歌は、一般には女流歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)の作とされるが、出征軍を率いた女帝・斉明天皇(皇極天皇)御自身の御製歌とも伝えられている。

そしてこの歌が詠まれた場所こそ、四国・愛媛の道後温泉の海の玄関口「熟田津(にぎたづ)」であった。

1. 斉明天皇と神功皇后――重なる「百済救援」の影

この「にぎたづの歌」は、一体どのような状況で歌われたのか。 それは風流な旅の歌などではない。「朝鮮半島(百済救援)へ向けた大軍勢の出撃」に際して詠まれた、命がけの軍歌である。

当時の東アジアは激動の渦中にあった。 友好国であった百済が唐・新羅の連合軍によって滅亡の危機に瀕し、百済復興を支援するため、大和朝廷は国家の総力を挙げて大軍を派遣することを決意する。

その軍を率いて難波津を出航し、九州へと向かったのが、気丈なる実在の女帝・斉明天皇であった。

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(額田王の絵)  

斉明天皇

斉明天皇

斉明天皇と皇極天皇(こうぎょくてんのう)は同一人物である。

日本神話において、お腹に子(応神天皇)を身ごもりながら海を渡り、新羅を討ったとされる「神功皇后(じんぐうこうごう)」。 古代史研究において、神功皇后の伝説のモデルこそ、実際に百済救援のために九州・朝倉に前線基地を敷いた「斉明天皇」であるという説は極めて有力視されている。

そして、この国家の命運を賭けた渡海作戦で、船団を指揮し最前線で戦ったのが、古代最強の海人族の長――阿曇比羅夫(あずみのひらふ)であった。

阿曇比羅夫は百済の救援に奔走し、西暦663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」において、壮絶な戦死を遂げることになる。

長崎港に数多く残る神功皇后の伝説(神ノ島、皇后島、茂木、稚桜神社の鎮懐石)。 これらは神話の時代の話ではなく、斉明天皇と阿曇比羅夫が率いた「百済救援軍(あるいはその帰還部隊)」が、この天然の良港・長崎へと立ち寄った史実の投影だったのではないだろうか。

2. 丹治氏・額田王・稲佐氏――長崎で結ばれる血脈の輪

なぜ、斉明天皇の軍勢や阿曇比羅夫の一隊が、長崎港(瓊杵田津)に寄港しなければならなかったのか。 単なる風待ちや補給だけではない、決定的な「血縁と地縁のネットワーク」が存在したからだ。

ここで驚くべき古代の系譜が浮かび上がってくる。

  • 長崎の主「丹治氏」: かつて長崎浦を拓き、長崎氏の祖となった鉱山技術集団「丹治(多治比)氏」

  • 歌を詠んだ「額田王」: 額田王の一族は、古代の名門豪族である多治比(丹治)氏や、威奈(いな/猪名)氏と極めて近しい親族関係にある

  • 対岸の「稲佐氏」: 威奈(いな)氏は後世「稲佐(いなさ)」の地名・氏族へと繋がる

長崎港を挟んで、東の山麓には鉱山技術を握る親戚筋の「丹治氏」がおり、西の稲佐山麓には同族の「威奈(稲佐)氏」がいた。 さらに前回の第12話で解き明かした通り、有明海から長崎沿岸は阿曇比羅夫率いる「安曇族」の制海権のただ中にある。

斉明天皇の一隊、そして額田王や阿曇比羅夫の船団が、長崎港へ立ち寄るべき理由はこれ以上ないほど揃っていたのだ。

愛媛の道後温泉(熟田津)を出航した彼らは、長崎の地に寄港した。 奥深い温泉(道の尾温泉)を背負うこの天然の良港を、彼らは旅立ちの港に重ね合わせ、愛着と祈りを込めて「瓊杵田津(にぎたづ)」と名付けたのである。

3. 「瓊杵」から「天孫降臨」へ――地名が神話へ昇華した瞬間

長崎港が「にぎたづ」と呼ばれたことで、その港を見下ろす山は「にぎ山(瓊杵山)」と呼ばれるようになった。

そして第8話・第9話で検証した通り、この地は西彼杵半島の「ヒスイ」や大村湾の「真珠」、水銀朱を産出する「玉(瓊)の国」であった。 「瓊(赤く神聖な玉)」の採掘地であり、港の名が「にぎたづ」。 この2つが合体したとき、人々の脳裏にひとつの偉大な神の名が結びつく。

「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」である。

「にぎやま」の音に「瓊杵山」の文字が当てられたことで、大和の「天孫降臨神話」がこの長崎の霊峰へと劇的に接続されたのだ。

長崎の落日

長崎の落日

『古事記』において、天孫ニニギノミコトが地上に降り立った際、その土地を讃えて放った有名な神託がある。

「此地は韓国(からくに)に向ひ、笠沙の御前(みさき)に真の道通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地はいと吉き地」

「韓国(朝鮮半島)に向き合い、朝日の直刺す国、夕日の美しく照る国」。 五島灘と東シナ海を臨み、沈みゆく夕日が海面を黄金に染め上げる長崎の風景に、これほど完璧に合致する描写があるだろうか。

島原の主神「高来(たかき)神」が、天孫降臨を命じた最高司令官「高木(たかき)神」と共鳴し、長崎の「瓊杵山」に天孫の影が落ちる。 有明海と長崎半島を舞台にした古代の平定と鉱物掌握の歴史が、神話の暗号となってこの山に定着した瞬間であった。

4. 金比羅山に刻まれた「阿曇比羅夫」への鎮魂

最後に、この山が現在「金比羅山」と呼ばれている究極の謎に触れなければならない。

環境庁の看板に記されていた最古の記録。 「百済の琳聖太子が山上に香をたいて北辰(北極星)を祀った故事」。

白村江の戦いの後、祖国を失った百済の王族や遺民たちの一部は、阿曇比羅夫の船団に守られて日本へと亡命してきた。 その一部が、友好的な安曇族や丹治氏の拠点であった長崎に落ち着き、稲佐山や金比羅山に祖国の神を祀ったとしても何の不思議もない。

そして、白村江で散った海の英雄・「阿曇比羅夫(あずみのひらふ)」。 金比羅山の文字を静かに見つめ直してほしい。

「金比羅(こんぴら)」と「比羅夫(ひらふ)」。

讃岐の金比羅大権現を勧請したという近世の由緒の底流には、古代からこの海を拓き、命を落とした安曇族の猛将・阿曇比羅夫の記憶を、同じ「比羅」の文字に託して永遠に鎮魂しようとした海人たちの祈りが潜んでいたのではないだろうか。

5. エピローグ――忘れ去られた長崎の原初記憶

友人に「金比羅山に天孫降臨伝説がある」と話しても、「へー」としか返ってこなかったあの日から、私の歴史探偵の旅は始まった。

立て札のわずか数行の文字から始まった調査は、神仏習合、廃仏毀釈、風土記の土蜘蛛、ヒスイ鉱脈、安曇族、前方後円墳、そして東アジアを揺るがした古代の大戦争へと繋がっていった。

長崎は、1571年の南蛮貿易によって突如として歴史に現れた「寒村」などでは決してない。

神話の時代から、大陸を睨む軍事の最前線であり、美しい玉と水銀が輝く鉱山の国であり、勇猛果敢な海人たちが波を蹴立てて駆け抜けた、日本列島中枢の運命を握る要衝の地だったのだ。

誰も見向きもしない片隅に、大いなる古代の真実が眠っている。 金比羅山の山頂に立ち、港から吹き抜ける風に吹かれるとき、3000年の時を超えて古代人たちの雄叫びと波音が、今も確かに聞こえてくるのである。

(【謎の天孫降臨伝説を追え】全13話・堂々完結)

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