古代大和人は星を見なかったのか

オリオン座流星群特集 | お天気ナビゲータ

古代史探究の話の中に、住吉三神はオリオン座の三ツ星だという話がある。

住吉三神は底、中、表筒男神の三神の事。

筒男という名前も不思議だし、底、中、表の三兄弟だという話も不思議だ。

その神様が、夜の航海の目印となっていたオリオン座の三連星だという話である。

さらにオリオン座には大きく見える三連星のほかにも、「小三つ星」と呼ばれている星があり、それが宗像三神でないかという話。

こんな話は嫌いではない。いや大好きである。

星の神は反逆者

ただ、大きな疑問もある。

それは古事記では、ほとんど星の神様に関する記述がない。

日本書紀には、天香香背男(あめのかがせお)という星の神様が登場するという。

正式名は天津甕星(あまつみかぼし)で、日本神話に登場する星の神である。

天津甕星の社 八百万の神

一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。 そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみ」という一節は強烈である。

星の神は反逆者だったという事になる。

天空の神は天照、ツクヨミがいる。太陽と月は重要な神で、特に天照は日本の最高神である。

しかしツクヨミは一癖ある神様である。

天照大神から保食神と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。

そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。

保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。

天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。

これは太陽と月が交わらない説明縁起だ。

しかし月夜見尊を「汝悪しき神なり」と言い放つ言葉は、星の神の場合と全く同じだという事に気づく。

つまり、月も星も悪役なのである。

住吉三神

まあ、星の事が古事記に載っていないということは、神話のあり方とすれば重要だと思う。

日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」との神託を得た。ウィキペディア

このくだりを読めば、住吉の神は、大きな軍事集団だと思える。

住吉一族と同盟を組めば朝鮮半島は奪える、そう言っているように取れる。

つまり、住吉三神は海人族の軍事集団だと言えるのだ。

航海に星の知識は重要か

「航海には星の知識が重要である」という説明があるが、それは事実なのだろうか。

日本の成立には海人族集団が大きな役目をはたしていた事は事実だろう。

ただ海人族と言っても、ヨーロッパ風ではない。

日本は島国で無数の島がある。島や半島を拠点とした沿岸を支配する一族だった。

更に、日本には黒潮、親潮という巨大な潮流がある。

星を目印に航海するより、潮の流れに乗ることが最重要だったのではないだろうか。

住吉三神の底、中、表筒男神は対馬の豆酘地域から名付けられたという説がある。

対馬は日本防衛の最前線である。

住吉三神をシンボルとする海人軍事集団は、対馬の豆酘地域から発生したという推測も、大いに成り立つ。

海の一族は、夜航海をしなかったのか

しなかったのではないかと思う。現代でもしないように呼びかけている。

「ヨットを夜にはあまり走らせない」
https://malu-sailing.com/archives/3789

夜間航行時の事故防止 重要 - 海上保安庁

ミニボートでの夜間航行 | blog@yuuyuumaru

 

丸木舟での「台湾→与那国島」実験航海に成功しました
独立行政法人国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/187485.pdf

これは実験航海のレポートだ。

2回目の夜:日没直後は雲が立ち込めて星が見にくく、最初の夜よりもさらに悪い条件でした。初日に荒れた海、翌日は酷暑の中を漕いだため、漕ぎ手の疲労がピークに達していたこと、そして北東方面に島があるという直感が働き潮もそちらに流れているように思われたことから、漕ぐのを止め、睡眠休憩をとることにしました。
実際にはこの時点で丸木舟は与那国島が見える圏外でしたが、幸いにも、島に向かう方向に流れていた潮に乗って、島に近づいていきました。

サイエンスポータル
3万年前の航海、丸木舟で完遂 科学博物館チーム、台湾から沖縄・与那国島に到着 | Science Portal - 科学 技術の最新情報サイト

この実験では、夜の運行に星の位置を頼りにしていたことがわかる。しかし星は天気が崩れれば見えなくなるので、直感と潮の流れで航海したと書いていた。

天体の星は、夜いつも見えていたわけではないということがよく分かる。

この事は日本の気候の特徴にも呼応する。

日本海側では、日本海の上を越えてくる北西の季節風により、冬に雪や雨が多く、太平洋側では、太平洋から吹き込む南東の季節風により、夏に雨が多い。

日本では全般に降水量が多く、1976年から2005年の平均値では、世界での年間降水量の平均は807mm(ミリメートル)なのに対し、日本平均は1690mmと、約2倍ある。ウィキペディア

雨が降れば星は見えなくなる。

もし星の知識があり、夜航海することに長けていたとしても、天気の時しか動けなければ、あまり役に立たないような気がするのだが。

古代世界の他の国では、夜間航海のための星の知識はしっかりあったとされているが、日本は島国で、雨も多く台風もあり海岸線伝いに運行したほうが、より安全で確実だったと思える。

古代日本に星の研究があんまりなかったは、下記の論文が詳しく書いている。

中国天文思想導入以前の倭国の天体観に関する覚書 天体信仰と暦
細井浩志
https://www.andrew.ac.jp/soken/assets/wr/sokenk178_2.pdf

長文なので結びだけを抜粋する。

中国天文思想導入以前の, 倭国の中枢であるヤマト政権においては, 個別の星辰信仰があった可能性は完全には否定できないものの、太陽信仰を除き体系的な天体信仰は存在しなかったと考えられる。

他の世界は、天文学が発達して、星座の話は当たり前になっているが、日本は違ったということである。

夜の航海の最重要な星は北極星だ。

日本にも妙見信仰というのはあるが、仏教とともに日本に入ってきた信仰である。

妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。

という事は日本には、それまで北極星信仰がなかったということになる。

住吉三神はオリオン座。いい話だと思う。

この説が全くの間違いだと言う気もない。

しかし、反論もあるという事を書きたかった。それだけである。

日本に星の信仰が根付かなかった理由はわからない。

だが、神は人が作る。

ここ3年ほど、長崎の神社を虱潰しに巡ってみて、そう感じるようになったのだ。

現場を実際に歩いてみて、かなりリアリストになったような気がする。

そして、少し残念な気がする。

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