淀姫神社と土蜘蛛の姫たち 邪馬台国の残照

邪馬台国はどうなったのか。これに関しては説が多い。

以下はウィキペディアに載っている説である。

九州で成立した王朝(邪馬台国)が東遷して畿内に移動したという説。東遷説は戦後も主に東京大学を中心に支持されている。

倭国大乱で東遷したという説。

久米雅雄は「二王朝並立論」を提唱。

卑弥呼と壹與の間に東遷したという説
大和岩雄は九州にあった女王国とは「畿内をも含む倭国全体の首都」であって、卑弥呼の死後、畿内の邪馬台国へ東遷して女王壹與を擁立した。

邪馬台国時代の後に東遷したという説
安本美典は「卑弥呼=天照大神」「壹與=万幡豊秋津師比賣(忍穂耳の妃)」だと同定した上で、その子孫である神武天皇が東遷してヤマト政権になったのであるとした。

これらの説は、それぞれ一理あり、「21世紀に登場した異説」というククリで論じてはいけないものも多い。

しかし、邪馬台国は滅んでしまったという説も当然あると思う。

邪馬台国が滅んでしまったといえば、歴史ロマン愛好家から、そんな夢のない話はするなと言われそうだ。

だが、その滅びを感じされる事象に出会った。

それが淀姫(與止日女)神社の存在である。

淀姫(與止日女)神社

この神社のことを知ったのは最近のことだ。

二年ほど前から、神社巡りを始めた。スタートは長崎市内と対馬市からで、現在西海市、諫早市、雲仙市、大村市へと範囲を広げている最中である。

現在撮影箇所は280を超えているが、長崎県内を制覇するのは、まだ先になると思う。

先日、諫早市の高来町、小長井町を回った。そこで淀姫神社を撮影した。さらに川上神社も撮影する。

淀姫神社

川上神社

私の場合、撮影するだけではなく、その神社の沿革を、ネットや郷土誌を参考にして、分かる範囲で解説をするという事を基本としている。

アートワークス 長崎の神社
https://artworks-inter.net/ 

小長井町井崎 淀姫神社 神功皇后の妹と九州文化圏

高来 河上(川上)神社 佐賀与止日女神社との深いつながり

これらの内容を書いた時、邪馬台国の最後の姿を思い描いたのである。

與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。「淀姫神社」とも表記され、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。ウィキペディア

佐賀市観光協会
與止日女神社 観光情報 佐賀市観光協会公式ポータルサイト サガバイドットコム [sagabai.com]

概史
延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。

これらを読めば、格式が高いことはよく分かる。

與止日女命 (よどひめのみこと)に関しては、

神功皇后の妹という。また一説に、豊玉姫であるとも伝える。
『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)には、「與止姫神」のまたの名を「豊姫」「淀姫」というとある。また、同書佐嘉郡条には「世田姫」の説話が載り、同一神と見られている。
佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち当社を含めた6社が嘉瀬川流域にある。

とある。

佐賀と長崎は、2つで肥前国なのだが、長崎人の私は佐賀の淀姫神社のことを全く知らなかった。

淀姫(與止日女)神社の分布

邪馬台国のトヨ

この淀姫(與止日女)神社の淀姫(與止日女)が「豊姫」の別名があることから、邪馬台国のトヨではないかという説がある。

臺與(台与、とよ)(235年 – 没年不明)、あるいは壹與(壱与、いよ)は、日本の弥生時代3世紀に、『三国志 (歴史書)・魏志倭人伝』中の邪馬台国を都とした倭の女王卑弥呼の宗女である。卑弥呼の後継の男王(名は不明)の次に、13歳で女王になり倭をまとめたとされる。魏志倭人伝中では「壹與」であるが、後代の書である『梁書倭国伝』『北史倭国伝』では「臺與」と記述されている。

「臺與」を「とよ」と読むのが通説となっているが、これには議論がある。

「臺」の文字は中国の時代ごとにより、また地方ごとにより異なる。昔は[d?]と表現していた時もあった。「ト」「ド」の音韻の音節があるとすればこれに該当する。但し一般には「ダ」が主流であり、隋の時代に「ダイ」に変化し、それがそのまま今の日本の発音になり、中国ではその後に「タイ」と変化していった。

淀姫(與止日女)を臺與(トヨ)とは読まないが、なぜ「豊姫」という別名があるのか。

そしてヨドとトヨ。読みをひっくり返した名前は大いに気になる。

神功皇后の妹。この件も気になる。

弟に息長日子王、妹に虚空津比売、豊姫がいる。豊姫に関しては肥前国風土記の神名帳頭注よりと注がある。ウィキペディア

土蜘蛛

土蜘蛛/土雲(つちぐも)は、上古の日本においてヤマト王権・大王(天皇)に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。

九州だけではなく、大和国で恭順に及ばなかった人々をすべて土蜘蛛と言っていた。

その首長名とおもわれる名前が33名あり、そのうちには名前に「女」(め)や「媛」(ひめ)などが使われている点から女性であろうと見られる土蜘蛛も8名いる。

http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_01.html

土蜘蛛一覧の中から、名前で女性と思われるものをピックアップしてみた。

●津頬(ツララ)
○掲載箇所:景行天皇 十八年六月
○登場地:玉杵名邑(たまきなのむら)
○比定地:熊本県玉名市・荒尾市・玉名郡周辺

田油津媛(タブラツヒメ)・夏羽(ナツハ)
○掲載箇所:神功皇后 摂政前紀 仲哀天皇九年三月
○登場地:山門県(やまとのあがた)
○比定地:福岡県みやま市瀬高町(せたかまち)山門(やまと)近辺

大山田女(オホヤマダメ)・狭山田女(サヤマダメ)
○掲載箇所:佐嘉(さか)郡
○登場地:佐嘉(さか)川の川上
○比定地:佐賀県佐賀市大和町東山田(佐嘉川は現在の嘉瀬川)

海松橿媛(ミルカシヒメ)
○掲載箇所:松浦(まつら)郡
○登場地:賀周(かす)の里
○比定地:佐賀県唐津市見借(みるかし)

八十女人(ヤソヲミナ)
○掲載箇所:杵嶋郡
○登場地:嬢子山(をみなやま)
○比定地:佐賀県多久(たく)市東南部の両子山(ふたごやま)、あるいは近隣の山

●大白(オホシロ)・中白(ナカシロ)・少白(ヲシロ)
○掲載箇所:藤津郡
○登場地:能美(のみ)の郷
○比定地:佐賀県鹿島市能古美(のごみ)地区

速来津姫(ハヤキツヒメ)
○掲載箇所:彼杵(そのき)郡
○登場地:速来(はやき)の村
○比定地:長崎県佐世保市早岐(はいき)

浮穴沫媛(ウキアナワヒメ)
○掲載箇所:彼杵郡
○登場地:浮穴(うきあな)の郷
○比定地:不明 諸説有 長崎県彼杵地域

もちろん、男性名と思われる記述のほうが多いのだが、これだけ女性名と思える首長が多いのは、明らかに不自然だと思う。

邪馬台国の残照

邪馬台国の卑弥呼は 242年〜248年の間に死去したとされている。

その後を継いだのは台与である。

台与は13歳で女王になり倭をまとめたとされる。

しかしその後の記録はなく、不明のままである。

もし、台与政権がうまくいかなかったとしたら、邪馬台国連合は分散して地域の小国として生き延びたと思われる。

その際、巫女を中心にする政治の形は残ったのではないかと思う。

日本の場合、権威と権力を分ける特異性がある。

巫女は権威で、武力は権力である。

九州の土蜘蛛には女性と思われる首長が多い。

これらが、淀姫神社を生んだ原因と考えても、それほど突飛ではない。

結論とすれば、邪馬台国はトヨの代で消滅する。

ただ、その巫女を中心とする政治形態は残り、地方の豪族として生き延びる。

その証拠が、與止日女神社の存在である。

やはり、與止日女神社は邪馬台国の残照なのだ。

淀姫神社