なぜ三貴神が登場したのか

 

なぜ三貴神が登場したのか

日本神話に出てくるアマテラス、ツクヨミ、スサノウは、最も貴い神として三貴神と呼ばれている。

アマテラスは日本の皇族の祖先で太陽神である。ツクヨミは月を読むと読めるので、月の神様とされている。

まあ、月と太陽は人間の生活に欠かせないので、理解できる。

ただ、スサノウはよくわからない所が多い。

神話と現実の世界がシンクロしているとすれば、高天原の神話というのは、卑弥呼の邪馬台国と推測できる。

アマテラスと卑弥呼は類似性が多い。

アマテラスは別名、「おおひるめ」という。「おお」は、偉大という意味なので「ひるめ」と省略してもいい。

邪馬台国の女王は「卑弥呼」という文字が残されていて、一般的には「ひみこ」と読む。

「ひるめ」と「ひみこ」。音も似ているし、意味も同じだ。

以下はAIの回答である。

アマテラスと卑弥呼の間にはいくつかの類似性が指摘されています。以下にその、おもなものを挙げます

女性である。アマテラスと卑弥呼の両者とも女性である。また宗教的権威がある。

夫がいない。アマテラスと卑弥呼の両者とも、特定の夫が記録されていない。

弟がいる。アマテラスにはスサノオという弟がおり、卑弥呼にも弟がいたとされている。

また、卑弥呼の死の前後に起きたとされる日食と、アマテラスが岩戸に隠れて世界が闇に包まれたという「アマの岩戸」の神話との間に関連性が指摘されている。

これらの類似性から、卑弥呼とアマテラスが、どういつ人物ではないかという説が存在します。

まあ、絶対的な証拠がないし、状況証拠だけでは決め手に欠けるのだが、偶然の一致にしては出来すぎていると思う。

邪馬台国の話は日本の記録や神話にも実名は書かれていないのだが、日本神話から邪馬台国時代のことが推測できる。

仮説

高天原の神話が、神武天皇以前の九州の物語だとすれば、ある程度の推測が可能だ。

まず三貴神の意味を考えると、邪馬台国を支えた重要な国を象徴しているといえる。

アマテラスは邪馬台国の卑弥呼でいいとして、ツキヨミとスサノウはどこの国と比定できるのか。

ツクヨミ

まずツキヨミから推理する。

ツキヨミの登場機会は極端に少ない。

その当時、重要度は高くて、おもて舞台に出てこない国と言えば壱岐の国がある。

『そうしょ』、『隋書』では、一支国と記述される。

この国は朝鮮半島と日本を結ぶ重要な国である。

壱岐と対馬は対になって呼ばれるが、地図を見れば、だいぶ遠く、壱岐は九州と朝鮮半島の中間にある。

AIの回答

壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで、西海道に属していました。壱岐国は、その地理的位置から、古代から日本と朝鮮半島、中国大陸をつなぐ海のシルクロードの交流・交易拠点として栄えていました。

壱岐国は、中国の歴史書『魏志倭人伝』に「一大國」として記述されており、その存在は古代から知られていました。また、壱岐国は、島全体が玄武岩の台地で、対馬と比較して平地が多く、周囲を海に囲まれて現在に至るまで漁業が盛んであるとされています。

壱岐国の重要性は、その地理的位置と豊かな自然環境により、古代からの交流・交易の拠点としての役割によって示されています。これは、壱岐国が大陸文化の流入路に位置し、倭寇の根拠地でもあったことを示しています。

また、壱岐国は、国指定特別史跡の「原の辻遺跡」や、国指定史跡の「勝本城跡」をはじめとして、県下に類を見ない巨石古墳群など、貴重な歴史遺産が古代から近代に至るまで数多く存在しています。これらの遺産は、壱岐国が古代からの交流・交易の拠点としての役割を果たしてきた証拠であり、その重要性を示しています。

 

壱岐国は倭寇という軍事力もあり、邪馬台国は壱岐国を敵に回す事は避けなければいけない国である。

さらに月読神社が存在する。

壱岐 月読神社

高皇産霊を祖とする「月神」は、壱岐県主に奉斎されたとある。また『先代旧事本紀』では、「天月神命」の神名で壱岐県主祖と見える。これらから、当社祭神の神格は海人の壱岐氏によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定される。また別の神格として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神とする説もある。

そして、陰の実力者として、壱岐国の象徴であるツキヨミが三貴神の一人として参加した。

スサノウ

問題はスサノウである。

スサノウの行動は支離滅裂だ。

神話では須佐之男命には夜の食国または海原または天下を治めるように言われたが『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。

出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に、姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ、あがるが、天照大御神は弟が攻めいって来たのではと思い、武装して応対する。スサノオは疑いを解くために誓約を行った。

我の潔白が誓約によって証明されたとしたが、勝ったに任せてと次々と粗暴を行い、天照大御神は恐れて天の岩屋に隠れてしまった。そのため、彼は高天原を追放された。

スサノオは、クシナダヒメの姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、ヤマタノオロチを退治する。そしてヤマタノオロチの尾から出てきた草薙剣を、天照御大神に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなる。

 

イザナギの怒りを買って追放されたり、アマテラスと誓約を行って神様を生んだり、八岐大蛇を退治したりと、神話とはいえ、ストーリーがめちゃくちゃである。

なぜ、こんな神様を三貴神の一人に加えたのか。

まず、スサノウはどこの国の人物とされているのかを調べたい。

高天原を、追放されたスサノオは、新羅の曽尸茂梨におり、この地、吾居ること欲さずと言い、息子の五十猛神と共に、土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った

これだと新羅出身の神様かとも思える。

さらに八岐大蛇退治は出雲の話で、出雲風土記ではスサノオは出雲よりも西にある石見地方で篤く尊崇されている神様である。

という事は出雲と深く関係があるのは間違いない。

いろいろ想像できるが、出雲出身の神様のようだ。

出雲は、神話でも国引きや国譲りの話があり、アマテラスが欲しがっていた国である。

古代の出雲は巨大な神殿もあり、力のある豊かな国だった。

ただ、神話を考慮しない信念を持った考古学者の間では、相変わらず出雲は神話の空想話だったのだ。

しかし、出雲大社の周辺地域では、武器や銅鐸などの出土品が次々と発見されたため、古代出雲王国の存在を認めざるを得なかったようだ。

 

出雲大社

ただ九州の邪馬台国が、なぜ距離のある出雲を欲しがったのかという疑問が残るのだが、邪馬台国の女王卑弥呼がどんな女王だったのかを考えると答えが出てくるようだ。

卑弥呼の性格については、『魏志倭人伝』には詳細には書かれていないが、一部の学者たちは彼女が忍耐強く、配慮ができる、したたかな性格だったと推測されている。

そして、魏に朝貢をした事を考えれば、国外に強い関心があったようだ。

出雲もまた、朝鮮半島とかかわりがあったとされていて、その人脈やつながりが欲しかったと思える。

これは想像だが、乱世の弥生時代をまとめ上げた手腕を思えば、かなりのやり手だったと思えるのだ。

日本神話では、アマテラスはニニギノミコトを天孫降臨させる前に、ニギハヤヒを先に本州河内国(大阪府)へ降臨させている。

ニギハヤヒ

つまり本州への進出も当然考えていたのだ。

だから、出雲王国が欲しかったのである。

以上の推理から、三貴神の一人に出雲のスサノウが加わったのである。

ちなみに、卑弥呼には一人の男弟がいて、政務を補佐したり、食事の世話をするという生活を送っていたと記録されている。

だから、スサノウが三貴神に必要だったとも言えるだろう。

神武東征

さらに、出雲を勢力として邪馬台国に加えたことで、後年の神武東征の話が見事につながっていくのだ。

神話を信用していない学者の人たちからすれば、ただの空想話としか思わないだろう。

しかし、神話の空想話としか思われてなかった、出雲に、荒神谷から日本最多の武器が出てきたり、出雲の巨大神殿の跡が見つかったりと、話はどんどん変わっていった。

また、九州佐賀の吉野ヶ里遺跡の発見や、鉄器などの遺跡が九州にたくさんあるという事も事実として見逃せない話である。

「事実は小説よりも奇なり」

この言葉を学習しない考古学者の方々に届けたいと思う。

神話の三貴神の話は、卑弥呼の目指した日本国の始まりを、示唆している話なのである。

 

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