英語が出来なくても困らない(1) グローバル化と西洋植民地政策の共通点
日本の英語教育は、中学校から始まり、大学教育まで含めると約10年間英語を学習するのが普通である。
それなのに、しゃべれない、わからないが圧倒的に多い日本人である。
私自身も、「アイキャンノットスピークイングリッシュ」というのが関の山だ。
英語教育に熱心な人は、日本教育に英語をもっと積極的にという意見が多く、世間もその風潮である。
確かにしゃべったり、聞いたりするのは、日本人は苦手で、英語の発音やアクセントは日本語とは異なるため、これらのスキルを向上させるためには積極的な練習が必要といわれている。
しかし、こんな日本人でも得意とされている英語のスキルがある。
それは文法である。
AI 英語を学習中の外国の方からすると日本人は英語の語彙や文法知識が高いと感じられている傾向にある。
英語ができない日本人はダメなのか
結局ここに落ち着く。世界は英語であふれている。
だから、世界で働く人には、英語が必要であるという論法で締めくくられる。
それなら、英語力が高くなれば、日本はもっと良くなるのだろうか。
英語が得意な国は優れているのか
自国語以外で英語が得意な国はオランダ、シンガポール、オーストリア、ノルウェー、デンマークである。
やはり上位は西欧諸国が大半を占めている。
非ヨーロッパの国は2位のシンガポールと12位の南アフリカのみである。
シンガポールは新しい多民族国家で華人、マレー人、インド人などが共存している国だ。
AI 1824年から約130年間イギリスの支配下に置かれ、1963年にマレーシアの一部としてイギリスから独立しました。
つまり、イギリスの影響で英語がメインなのである。
南アフリカはイギリスとオランダが植民地支配を行い、非白人と白人との分離政策でアパルトヘイト政策が46年間続いていた。
つまり国民が努力して英語を学習した結果ではなく、英語圏の西洋諸国が植民地支配をしていた結果、英語がメインになったのだ。
AI アジアでは、シンガポール、フィリピン、マレーシア、香港などが英語能力が高い国として知られている。
香港はイギリスの植民地だった。
マレーシアは16世紀の初めにポルトガルの植民地とされ、17世紀の中ごろからオランダの植民地、そして1874年からイギリスの植民地となっている。 驚くことに1957年に独立するまでの約450年もの間、植民地だった国。
何のことはない。すべて西洋の植民地支配を受けていた国である。
強制的に占領されて、英語に支配されていただけである。
植民地にならなかったら、英語はそれほど普及していないと思う。
日本の場合
日本も太平洋戦争で負けて、アメリカに占領されている。
どうしてアメリカ軍(GHQ)は日本に英語漬け政策を行わなかったのかという内容に
GHQは当初、日本人が軍部の独裁に唯々諾々と従ったのは教育水準が低かったからだと考え、英語による再教育をする予定でした。ところが実際には教育程度が高いことを確認し、英語導入を断念しました。ヤフーの知恵袋より
アメリカ軍は1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)までの約7年間、日本を占領していた。
マレーシアの450年とは比べ物にならない。
日本の教育水準が高いことは、世界が認めている。
最新の2022年調査では、日本は科学的リテラシーが2位、読解力が3位、数学的リテラシーが5位でした。1つ前の回の2018年調査では、科学的リテラシーが5位、読解力が15位、数学的リテラシーが6位。 2018年より前の結果をふまえても、日本の15歳の学力はOECD加盟国中トップクラスを維持しています。
こんな記事を読めば、日本人として誇らしくなる。
結果だけ見れば、日本の教育はそれほど間違っていなかったといえるかも。
そんな日本でも英語が苦手なのだ。
再度、なぜ日本に英語が必要という問いをAIに投げかけてみた。
日本人に英語教育が必要な理由
まず第一に、国際的なコミュニケーションがますます重要になっているためです。英語は国際ビジネス、学術研究、観光などさまざまな分野で広く使用されており、英語を理解できることは国際的な交流や情報アクセスの向上につながります。
また、グローバルな労働市場においても、英語が必要とされる職種が多く存在します。英語ができることは職の選択肢を広げ、国際的なキャリアの機会を提供します。多くの企業や組織も、国際的な展望を持つ人材を求めています。
さらに、英語を学ぶことは異文化理解を深め、国際社会での協力やコミュニケーション能力を向上させることにもつながります。これが日本人にとって英語教育が必要な理由の一部です。
なるほど
これは本当なのだろうか。
グローバルという考え方の是非
G7(先進7カ国首脳会議)というのがある。
フランス、米国、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7か国と欧州連合(EU)で、周りは英語が得意な国ばかりで、アジア圏では日本だけである。
この現状を見れば、AIの答えにも納得できる。
ただ引っかかるのがグローバル(世界的規模)という言葉である。
グローバルという言葉が広く使われるようになった時期は、一般的には20世紀中ごろからその使用が増えました。
グローバル化によって得られるメリットは、主に2つ、生産性の向上と経済問題の解決です。
なるほどと思うが、デメリットもある。
●価格競争の激化
●感染症の拡大
●自国の産業の衰退
●貧富の差の拡大
●規制なき自由貿易による競争の激化
●企業がコストを抑えるために、より低賃金な労働力を求めて海外へ雇用を広げようとするため、自国の産業は衰退して失業者が増える
問題のほとんどが、経済関係の事である。
経済人にとってグローバル社会は大歓迎なのだが、それ以外のヒトにはどんな得があるのだろうかという疑問が残る。
よくよく考えてみれば、何のことはない。
言葉による植民地政策といってもいいくらいである。
グローバル社会と植民地政策の共通点については、いくつかの要素が関連しています。まず、経済的な視点では、植民地政策は資源の確保や経済的利益の追求が中心であり、これはグローバル社会においても資源の配分や経済的な競争が共通の要素となります。
また、植民地政策やグローバル社会においては、文化やイデオロギーの伝播や衝突も見られます。植民地政策はしばしば文化や価値観の押し付けを伴い、これが社会間での摩擦を引き起こすことがあります。同様に、グローバル社会でも異なる文化や価値観が交わる中で対立が生じることがあります。
最後に、権力と支配の構造も共通の要素です。植民地政策は支配者と被支配者の関係を形成し、グローバル社会においても国家や国際組織などの権力構造が存在し、これが世界の秩序や影響力の分布に影響を与えています。
これらの要素は、グローバル社会と植民地政策の間に共通のパターンや相似点を示しています。
AIもわかっている事なのだ。
ただ、こんな文章を書けば、非難ゴウゴウだろう。
タイトルの「英語が出来なくても困らない」という意味は、英語の学習が必要ではないという意味ではない。
日本人すべてが、ネイティブスピーカーになる必要はないという事を言いたいのだ。
英語が好きな人は勉強すればいいし、あまり得意ではない人は、そこそこすればいいと思う。
一般論だと思うが、英語以外にも国語、算数、理科、社会は重要だからだ。
さらにAIの時代だ。英語が苦手の人は日本の翻訳の技術に頼ってもいいと思う。
次は「学力が高いのに英語が話せない理由」というものがある。
それは日本人の成り立ちにかかってくる。
それを追求してみたい