ユダヤ人の祖先は日本人だった(3) 集合的無意識
中近東や西欧に倭人が移動していたという仮説だが、いろいろ、こじ付けに近い状況証拠はあるという方も多い。
それは誰も否定できないだろう。
日ユ同祖論を唱える方たちも、ユダヤの文化が日本に伝わっていると考える以上、その逆もありうるという事に反論はないだろう。
シルクロードというのがある。
シルクロードの始まりは、紀元前114年頃に漢王朝が中央アジアに進出し、かつて未開の地であったこの地域をほぼ平定したことである。
紀元前114年頃といえば、日本の弥生時代である。
という事は、それ以前にも道はあったのだが、危険だったから道として機能できなかったともいえる。
何度でいうが、現在の学説では、現生人類の起源はアフリカで、十数万年前以降に世界各地に広がっていったという。
つまりヨーロッパ人も、アジア人も出発点は同じなのである。そのことを忘れてはいけない。
日本とユダヤの共通点
これは日ユ同祖論の中にたくさん書かれている。
ほんの一例をあげてみる。
古代ユダヤの聖櫃(アーク)と日本の神輿(みこし)は、良く似ている。
ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には、必ず入り口で禊として手を洗う。
ユダヤ教徒は祈りの際に黒い小箱(ヒラクティリー)を額に結びつけ羊の角笛ショーファールを吹くが、山伏も黒い小箱(頭襟)を額に結びつけ角笛に似た形の法螺貝を吹く点で、非常に類似している。
確かにヒラクティリーは面白いと思うが、山伏の文化がユダヤ教徒に伝わったと考えても理屈は合う。
偽史運動
今回の文章の内容も、実はすでに世間では発生していた。
古代日本人は、ユダヤ人の先祖であるという説(古代イスラエル12支族=ユダヤ民族(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族の3族)との勘違いから派生した説)。ウィキペディア
ただ、日本人が西洋人の祖先だったという説は、あまり面白くなく、外国の風習をよく知らないので、ピンと来ないのだろう。
それ以外にも、韓ユ同祖論、日本人シュメール起源説があり、日本の万葉集は古代朝鮮語で読み解けるという本が、ベストセラーになったことを覚えている人も多いだろう。
学術的には偽史運動のひとつとされていて、この手の起源説はオカルト等では人気のジャンルである。ウィキペディア
そう、面白いのだ。
若いころ、九州弁の「ばってん」は、英語の「but end」「but then」からきているという話を聞いて、心躍ったことを思い出した。
集合的無意識
これをどう捉えればいいのだろうか。
世界中には似たような伝説や所作が多いのも事実である。
この疑問に心理学者が回答らしきものを見つけている。
スイスの精神分析家であり、心理学者のカール・グスタフ・ユングである。
集合的無意識は、普遍的無意識とも呼ばれていて、昔から現代まで変わらない、人間の無意識の根底となる心理構造のことを指す。
言語連想試験の研究によってコンプレックスの概念を見出したユングは、個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。
元型の作用と、その結果として個人の夢や空想に現れうる種の典型的なイメージは、様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。ウィキペディア
ユングは、物事を捉えるとき『人類の心の中で脈々と受け継がれてきた“何か”がある』と説いているという。
すべてをこれで片づけることはできないが、現在の学説である人類の起源はアフリカにあるという、単一起源説もあるので、ありうるかなとも思う。
量子もつれ
最近の量子情報理論はどんどん進んでいて、これまで考えもつかなかった現象が発見されている。
超簡単に言えば、量子同士が相互作用をすると非常に強い相関を示すというものである。
詳しく知りたい方はネットで調べてほしい。
これにより、超能力とされていた、テレパシーやテレポーテーションなどが理論上可能という説もある。
この現実の現象を土台にすれば、ユダヤ人と日本人の似ている風俗や習慣の謎も解くことができると思うのだが、残念ながら現在は流行っていない。
残念である。
最後に
古代の歴史は面白い。
大昔の事だから、なかなか証拠になるようなものも発見されそうにもない。
友人が言っていたが、古代史って「言ったもん勝ち」なのでついていけないよと言っていた。
確かに、この手の話は、自説を曲げないし、反論も否定し論破しようとする。さらに、説を押し付けてくるので、辟易してしまう事も多い。
ただ思うのだが、伝説を信じトロイの遺跡を発見したシュリーマンの例もある。
オカルト偽歴史の中に、もしかしたら真実があるのかな。
そんな温かい目で、眺めてほしいと思う。