ユダヤ人の祖先は日本人だった(2) 朝鮮半島の倭人たちとユダヤ教

朝鮮半島には、現在の韓国人の祖先が古代からいたという事を信じている人が多いだろう。

しかし、事実は違う。

この事は以前文章を書いているので参考にしてほしい。

 

朝鮮半島での旧石器時代(1万年前)は紀元前8000年頃に終了している。
その後櫛目文土器時代がくる。朝鮮半島において、櫛目文土器は4000年前くらいから現れるようになる。ウィキペディア

日本と朝鮮半島(3)  朝鮮半島縄文人の共同体意識の芽生えが支石墓
https://artworks-inter.net/ebook/?p=6635

日本と朝鮮半島(4)  濊(ワイ)族と倭の共通点
https://artworks-inter.net/ebook/?p=6643

何が言いたいんといえば、古代、朝鮮半島に縄文人が移住していたという事である。

Korea in 108 BCの地図を見れば、Korea in 108 BCの地図を見れば、濊という字が付いた国が二つほどあり、箕子朝鮮(きしちょうせん)という国の上に濊貊という国がある。

そして日本列島に近い朝鮮半島南に辰国という国がある。

Korea in 108 BC

辰国(しんこく)は『史記』『漢書』によると、衛氏朝鮮の時代(紀元前2世紀)に朝鮮半島の南部に存在したとされる国である。

 

白鳥庫吉は、辰国は辰韓のことであり、辰韓は辰国が樹立した国であるが秦人に似ているといい、『契丹古伝』は、辰国に多くの秦人が逃げて来ていることを伝えている。殷(箕子朝鮮=番朝鮮)は衛満に伐たれて亡び、殷王は辰へ逃げる。秦氏(秦人)も随ったといい、秦人も辰国へ逃げてきており、辰人と混血した。そのために、秦人に似ているとか、秦の言葉に似ているといわれる。

 

さらに、辰を淮委氏や沃委氏という種族が守っている。辰はこれらの種族が主要な民族であることがわかるとも書かれている。

淮委氏や沃委氏がどのような種族かわからないのだが、委という字は倭という字の簡略体とされている。

有名な金印の中に「漢委奴国王」と彫られている事は超有名だ。

とすれば、辰国は倭人系だと推測できる。

 

濊と辰国は、ともに倭人系の国だったのだ。倭人系と系の字が付くのは、やはり縄文中期あたりから朝鮮半島に住み着いた倭人たちである。

何千年もの間、朝鮮半島にやって来た種族と交わっていて、日本列島の倭人たちとは、少し変化を遂げてしまって違っていたのだろう。

近年では日本人がアメリカやブラジルに移民して、成功している例がある。彼らは日系呼ばれている。

それと同じことが古代でも起こっていたのだ。

 

日本の歴史の中に、大陸の騎馬民族の文化が影響を与えている部分がある。

日本在来馬の起源は、古墳時代に、モンゴル高原から朝鮮半島を経由し国内へ導入された蒙古系家畜馬(モウコウマ)と考えられている。ウィキペディア

これらは朝鮮半島の倭人系国家の人々が大きくかかわっていたのだろう。

 

世界中の倭人

中央アジアの弓月国とキルギスは前回述べたが、それ以外にも倭人がユーラシア大陸に進出していた跡がある。

 

中国大陸と5千人の倭人たち
https://artworks-inter.net/ebook/?p=3345

光和3年(180)、鮮卑(せんぴ)によって倭人が千余家連れ去られたのは、烏侯秦水(うこうしんすい)で倭人に魚を獲らせるためであった。という記録がしっかり残っている。

烏侯秦水

 

古代東ユーラシア人というくくりがある。集団ゲノム科学において、主にアジア太平洋地域に居住し、ヒトの遺伝的多様性の「東ユーラシア・クレード」に属する多様な集団の遺伝的祖先と系統的関係を記述するために用いられる用語だ。

その中に古代祖先南アジア人系統 があり、主に南アジア先住民に貢献した祖先集団のことである。現代の南アジア人だけでなく、5,000年から1,500年前のインダス周辺部の人々も一部含まれる。パニヤ人やイルラ人のような南インドの部族集団の間で最も高い存在感を示す。ウィキペディア

まあ、もともとアフリカから出発してホモサピエンスが世界中に広がっていったのである。

人類は、移動し続ける動物である。

縄文時代、喜界カルデラ大噴火で九州から移動した縄文人の存在をだれも否定できない。

みずら状髪型の年代を追っていくと、最も古いのは中央アジアのアーリア人であると見られました。紀元前1500年頃のみずら状髪型の人形が見つかってます。
https://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/10/23/173718 たっちゃんの古代史とか

みずら

 

この記事も興味深い。「みずら」とは倭人独特の髪形とされているものだ。

また、縄文人はるかなる旅路 (日経ビジネス人文庫) 文庫 前田 良一 (著)という本がある。

縄文人はるかなる旅路 (日経ビジネス人文庫) 文庫 前田 良一

ここには縄文人は世界中に拡散していったと書いている。そして南米エクアドルで出土した縄文土器について熱く語っている。この本も面白かった。

表題に移る。

ユダヤ人の祖先は日本人だったというテーマなのだが、ユダヤ人とされている人たちの事を調べる。

ユダヤ人とはユダヤ教の信者(宗教集団)またはユダヤ教信者を親に持つ者によって構成される宗教信者のこと。原義は狭義のイスラエル民族のみを指した。

なお、イスラエル国内においてユダヤ教を信仰していない者は、Israeli(イスラエル人)である。

なるほど。ユダヤ教が重要なのだ。

 

古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国した。

ユダヤ人は、紀元前1000年ごろと推定されるダビデ王の時代には、推定500万の人口を持っていたとされる。ちなみに、ある統計によれば同時代の世界人口は約5,000万人[25]、縄文時代だった日本列島の人口は推定で10数万である。

ダビデ像 (Nicolas Cordier作/サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂) ©Public domain

ソロモン王の死後、紀元前930年ごろ、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、多くの人民が捕虜としてアッシリアに囚われるか離散した(アッシリア捕囚、失われた十支族)。

ソロモン 王

 

紀元前1000年ごろ、推定500万の人口の人々がユダヤ教徒だったのはすごい。

その時代の世界人口の1/10の人々が集っていたのだ。

しかし、特定の人種ではなく、様々な人々が混在していた。

ただ、ユダヤ人の国イスラエルの憲法には、実際に、ユダヤ人というのはユダヤ教徒であること、または母がユダヤ人であることと、この定義が記載されている。

こうなってくると、縄文人の男性Y遺伝子がなくなったとしても、正当なユダヤ人として存在できるのだ。

 

ユダヤ教の教えは、唯一絶対にして万物の創造主である神の存在を信じ、神が与えた律法を守ること、および律法に記された社会正義、他者への慈愛、倫理、道徳を神の意志としてとらえ、実践することが神への忠誠を表明すると考えられている。

 

つまり、神の下の平等である。

この教えは異国人にとって最上の救いである。

縄文時代、喜界カルデラの大爆発で、世界中に散った縄文人たちが、何千年もの時代を経て、古代イスラエル王国にやって来たとしても、その故郷で差別されない。

もともと縄文人は彫りが深く、西洋人のようなところがあるので、なじみやすかったに違いない。

余談だが、ワタン(Watan)という言葉があり、アラビア語で「郷土」「祖国」を意味する言葉である。この言葉の中に倭(わ)という音がある。これは偶然の一致だろうか。

 

コメントを残す