倭・高句麗戦争 圧倒的に不利な戦いになぜ挑んだのか
倭は高句麗と最低2回は戦争している。
高句麗は旧満州地域で興った国で、魏志高句麗伝によれば「人々の性格は凶悪、短気で、略奪を好む。またその俗は淫なり」と書かれている。
そして朝鮮半島南部への領土拡大を目指していて、南下を続けていく。
倭国と高句麗では国力の差は大きく、倭国は国外での戦いになり、圧倒的に不利だったといえる。
歴史書には侵攻と書かれているが、南下する高句麗に対抗するための戦いであり、不利であっても、何度も挑んでいる。
この状況は、近世の太平洋戦争とよく似ており、大国に対して、プライドをかけて戦う姿勢は、武士道とも通じ、その心は古代より大和の心だったともいえる。